縄文土器を読み解けるか2022/10/01

考古学者の小林達雄は言う。

「縄文土器の文様には、装飾を目的とする種類=装飾性文様と思想(物語)を表現する目的の種類=物語性文様との二つがある」(『縄文土器の研究』)

縄文時代にはむろん文字がない。

しかし、この物語性文様を読み解ければ、縄文人の考えや記録したかったこと(歴史?物語?)が分かるかもしれない。

次なるテーマは古代史2022/10/06

「林芙美子」の次のテーマは、九州の古代史にすることにした。

12月で65歳、前期高齢者となるので、後半生のテーマとなる。

縄文の巨大集落、上野原遺跡まで高速で3時間10分。
弥生の巨大集落、吉野ヶ里遺跡まで30分。
飛鳥以降の中心地、太宰府まで30分足らず。

この地の利を生かして古代史の謎に挑戦だ。
時間がない。悠々として急げ。

日本古代史の問題点2022/10/06

日本の古代史の最大の問題点は、昭和史と全く同じで、自虐史観からなかなか抜け切れないところにある。

超一流の論者は30年も前から指摘しているが、末端の研究員・学芸員は一向に変わろうとしない。

梅原猛は『日本の深層』(最初の刊行は1983年、文庫化は1994年)で、日本で見つかった世界最古の土器について、「この土器の年代のあまりの古さに、多くの日本の考古学者は、その科学的な鑑定の結果を疑った。なぜならば、日本の多くの学者にとって日本の文化は、どこか海の外からきた文化でなくてはならなかった」と書いた。

土器ばかりではない。鏡もそうだ。

森浩一は『日本神話の考古学』(1993年)で、「考古学では、とくに銅鏡の研究者の間の根強い価値観として、舶載鏡、つまり外国製品のほうに圧倒的な価値を与えがちであるけれども、八咫鏡は舶載鏡の可能性はまったくなく、倭人社会での製品、それも北部九州の製品の可能性がきわめて高い」と書いている。

私の9/30の記事「ヒスイの加工」も読んでもらいたい。

古代史と昭和史の自虐史観と闘う2022/10/10

蟷螂の斧とはいえ、昭和史の自虐史観とは自分なりに戦ってきたつもりだ。

『林芙美子が見た大東亜戦争』では、南京大虐殺はなかったと結論付けた。

『花に風』は林芙美子の生涯を描いた伝記だが、「朝日新聞と戦争と共産主義」についてかなり研究し、その成果を思いきり盛り込んだ。

さらに現在、再び南京大虐殺について書いた論文をとあるところに提出中だが、それをもって昭和史についてはひとまず切り上げるつもりだ。

そして、次は古代史において、朝鮮・中国を一方的に崇め奉る史観を修正したいと浅学非才を顧みず考えている。

青山繁晴議員経由で自民党員となりました2022/10/13

自由民主党の党員証が届きました。

しばらく前に来ていたのですが、今日久しぶりに青山繁晴さんのfb投稿を見て思い出し、共感を込めてupしているところです。



党員となった動機については本ブログ7/14付「次できることは国葬だ」を、青山繫晴さんについては8/5付「『薩摩人民共和国』の恐怖」をお読みください。

政治について色々と思うところがあり何かやりたいが、やる方法が分からないので取りあえず青山さんに頑張ってもらおうという人は党員になってみてはどうでしょうか(私がそうです)。

青山さん経由で党員になることによって、青山さんの党内での発言力が高まります。
後援会も支持団体も持たない主義の青山さんにとって、それだけが政治活動の原動力です。
(党員証が大阪府連から来るのは青山さんが兵庫出身だからです)

青山繁晴事務所を検索すれば申し込み方法が分かります。

拉致―メディアの不作為2022/10/13

南日本新聞夕刊一面の「思うこと」(今はもう夕刊はない)。

エッセー欄であるから、ふつう生々しい事件が題材になることはない。

この日、平成14年(2002年)11月9日付の「思うこと」を読んで驚いた。

吹上浜で「拉致」されかけたというのである。

筆者の家は吹上浜の近くで、よく貝殻拾いに行ったという。
10年余り前(1990年頃か)の晴れた日、一人で松林に車を停めて浜に出ると、はるか沖に船が一隻見えた。
珍しかったので気になったが、波打ち際の貝殻の所へ行った。

すると、海から「おかしな暗号のような短い、三言、四言が罵声のように耳に飛び込んできた」。

「拉致」という言葉が浮かび、砂浜を7、80メートル駆け戻った。
丘の上に登り切った時、後ろを振り返って震え上がった。
はるか沖にあった船がもう波打ち際に来ていて、人影もあった。

今度は車まで丘を駆け下りた。

このエッセーが掲載された2002年。
日朝首脳会談で北朝鮮が日本人拉致を初めて認めた謝罪した。
10月15日は拉致被害者5人が帰国した。

それで筆者は10数年前の特異な体験を思い出し、「思うこと」に書いたのは間違いない。
しかも吹上浜は鹿児島のカップルが昭和54年(1979年)に拉致された場所である。
その10年ほど後にも北朝鮮の工作船が吹上浜に来ていたとすれば、大スクープである。

しかし、私を含め、南日本新聞記者の誰も、この驚くべきエッセーを追加取材、補足取材しようとはしなかった。拉致問題が大きく動いた直後にも関わらず!

いみじくも今年は日朝首脳会談から20年。
昭和55年に産経新聞が拉致問題をスクープしながら、他のメディアは黙殺した。
だから、スクープした元産経記者の阿部雅美さんは「拉致問題はメディアの問題でもある」という。
「怠慢だったのは、政治家や官僚だけではない。不作為、つまりやるべきことをやらなかったという意味で、報道各社も『報道しない』という〝大誤報〟を繰り返した。1回だけではなく、何度も」

まさに「思うこと」を黙殺したのも、メディアの不作為だった。

サッカーと日の丸2022/10/13

ツイッターで初めて1000を超える「いいね」をもらいました。


来月からW杯カタール大会が始まります。
ウクライナで戦争が続く中で行われる今大会はどんな国歌斉唱になるのか、一つの注目点かもしれません。