拉致―メディアの不作為 ― 2022/10/13
南日本新聞夕刊一面の「思うこと」(今はもう夕刊はない)。
エッセー欄であるから、ふつう生々しい事件が題材になることはない。
この日、平成14年(2002年)11月9日付の「思うこと」を読んで驚いた。
吹上浜で「拉致」されかけたというのである。
筆者の家は吹上浜の近くで、よく貝殻拾いに行ったという。
10年余り前(1990年頃か)の晴れた日、一人で松林に車を停めて浜に出ると、はるか沖に船が一隻見えた。
珍しかったので気になったが、波打ち際の貝殻の所へ行った。
すると、海から「おかしな暗号のような短い、三言、四言が罵声のように耳に飛び込んできた」。
「拉致」という言葉が浮かび、砂浜を7、80メートル駆け戻った。
丘の上に登り切った時、後ろを振り返って震え上がった。
はるか沖にあった船がもう波打ち際に来ていて、人影もあった。
今度は車まで丘を駆け下りた。
このエッセーが掲載された2002年。
日朝首脳会談で北朝鮮が日本人拉致を初めて認めた謝罪した。
10月15日は拉致被害者5人が帰国した。
それで筆者は10数年前の特異な体験を思い出し、「思うこと」に書いたのは間違いない。
しかも吹上浜は鹿児島のカップルが昭和54年(1979年)に拉致された場所である。
その10年ほど後にも北朝鮮の工作船が吹上浜に来ていたとすれば、大スクープである。
しかし、私を含め、南日本新聞記者の誰も、この驚くべきエッセーを追加取材、補足取材しようとはしなかった。拉致問題が大きく動いた直後にも関わらず!
いみじくも今年は日朝首脳会談から20年。
昭和55年に産経新聞が拉致問題をスクープしながら、他のメディアは黙殺した。
だから、スクープした元産経記者の阿部雅美さんは「拉致問題はメディアの問題でもある」という。
「怠慢だったのは、政治家や官僚だけではない。不作為、つまりやるべきことをやらなかったという意味で、報道各社も『報道しない』という〝大誤報〟を繰り返した。1回だけではなく、何度も」
まさに「思うこと」を黙殺したのも、メディアの不作為だった。
エッセー欄であるから、ふつう生々しい事件が題材になることはない。
この日、平成14年(2002年)11月9日付の「思うこと」を読んで驚いた。
吹上浜で「拉致」されかけたというのである。
筆者の家は吹上浜の近くで、よく貝殻拾いに行ったという。
10年余り前(1990年頃か)の晴れた日、一人で松林に車を停めて浜に出ると、はるか沖に船が一隻見えた。
珍しかったので気になったが、波打ち際の貝殻の所へ行った。
すると、海から「おかしな暗号のような短い、三言、四言が罵声のように耳に飛び込んできた」。
「拉致」という言葉が浮かび、砂浜を7、80メートル駆け戻った。
丘の上に登り切った時、後ろを振り返って震え上がった。
はるか沖にあった船がもう波打ち際に来ていて、人影もあった。
今度は車まで丘を駆け下りた。
このエッセーが掲載された2002年。
日朝首脳会談で北朝鮮が日本人拉致を初めて認めた謝罪した。
10月15日は拉致被害者5人が帰国した。
それで筆者は10数年前の特異な体験を思い出し、「思うこと」に書いたのは間違いない。
しかも吹上浜は鹿児島のカップルが昭和54年(1979年)に拉致された場所である。
その10年ほど後にも北朝鮮の工作船が吹上浜に来ていたとすれば、大スクープである。
しかし、私を含め、南日本新聞記者の誰も、この驚くべきエッセーを追加取材、補足取材しようとはしなかった。拉致問題が大きく動いた直後にも関わらず!
いみじくも今年は日朝首脳会談から20年。
昭和55年に産経新聞が拉致問題をスクープしながら、他のメディアは黙殺した。
だから、スクープした元産経記者の阿部雅美さんは「拉致問題はメディアの問題でもある」という。
「怠慢だったのは、政治家や官僚だけではない。不作為、つまりやるべきことをやらなかったという意味で、報道各社も『報道しない』という〝大誤報〟を繰り返した。1回だけではなく、何度も」
まさに「思うこと」を黙殺したのも、メディアの不作為だった。
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