昔、コアラ番記者だった ― 2022/10/16
鹿児島市の平川動物公園のコアラが続けて死んでしまったようだ。
私は昭和60年、地元紙社会部の遊軍記者(まだ27歳!)で、受け持ちの一つとしてコアラを担当していた。
コアラ担当なんて今はいないだろうが、前年、オーストラリアから初めて鹿児島にコアラがやって来たときは、上野にパンダが来たときに匹敵するくらいの大騒ぎだったのだ。
その大騒動は先輩記者が担当し、少し落ち着いてから私に回ってきたのだ(大体このパターン。おいしいところは先輩が持っていく)。
ところが昭和60年10月3日、雌のコアラ一頭が初めて死んでしまったのだ。一面の大ニュースだ。よく覚えている。
来月は開園50年の平川動物公園を訪ね、久しぶりにコアラの顔を見に行こうと思っている。
コアラのジェインが死亡しました。
— 鹿児島市平川動物公園 (@hirakawazoo) October 16, 2022
オーストラリアから来園し、3頭の子どもを残してくれました。
小柄でしたが子育て上手で、子どもたちにもとてもやさしく接していました。
中心的な存在だっただけに喪失感は非常に大きいです。愛してくださりありがとうございました。https://t.co/v2BuCav2QF pic.twitter.com/xgWSs00j7d
私は昭和60年、地元紙社会部の遊軍記者(まだ27歳!)で、受け持ちの一つとしてコアラを担当していた。
コアラ担当なんて今はいないだろうが、前年、オーストラリアから初めて鹿児島にコアラがやって来たときは、上野にパンダが来たときに匹敵するくらいの大騒ぎだったのだ。
その大騒動は先輩記者が担当し、少し落ち着いてから私に回ってきたのだ(大体このパターン。おいしいところは先輩が持っていく)。
ところが昭和60年10月3日、雌のコアラ一頭が初めて死んでしまったのだ。一面の大ニュースだ。よく覚えている。
来月は開園50年の平川動物公園を訪ね、久しぶりにコアラの顔を見に行こうと思っている。
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