沖ノ島と竹島 ― 2023/03/13
きのう12日、「沖ノ島研究の新地平」と題して世界遺産登録5周年の研究成果報告会が九博であった。
思いのほか内容が濃かったので、何回かに分けて書いていきたい。
まず、秋道智彌さん発表の「航海と海域ネットワークから見た海の世界遺産」で私のアンテナに引っかかったのは、「沖ノ島社務所前遺跡(縄文時代) 大量の二ホンアシカの骨を出土(鬱陵島・竹島)」という部分だ。
何しろ1人30分の持ち時間しかないので、詳しく知りたいところもあっという間に通り過ぎてしまう。
そこで帰ってからネット上で探すわけだが、知りたいことが検索で都合よく出るものではない。
やはりWikipedia程度である。
沖ノ島は「旧社務所跡地での発掘調査で出土した土器や石器から、縄文時代前期には漁民らが上陸し、ミチ(ニホンアシカ)猟の漁業基地として使用していたことが確認された」とある。
また、昨年3月28日付の産経新聞の記事に「竹島にいた悲劇の海獣『ニホンアシカ』の謎」があった。
鳥取大の井上貴央名誉教授の話として、「ニホンアシカはかつて、日本列島全域に住んでいました。各地の縄文時代の遺跡からも、アシカの骨が出土しています」とある。
しかし、二ホンアシカは竹島を最後に絶滅した。
井上さんによると、「明治期の乱獲によるもの。また、韓国の竹島占拠後は、竹島に人が常駐し、生息環境を乱したこと。幼獣を食用にしたこと。学術調査でアシカが確認されているのに、保護策が取られなかった」からだ。
ところが、韓国側は「ニホンアシカをこの世から絶滅させたのは日本人だ」という誤った情報を発信しており、「科学的根拠に基づかない。情報操作されている現実には深い悲しみと怒りを感じる」と井上さんは言う。
またしても、盗っ人(不法占拠)猛々しい韓国人の姿だ。嫌になる。
秋道さんの話ではこのほか、沖ノ島にはオオミズナギドリ(宗像ではオガチという)が10万羽も生息しており、古代人が沖ノ島に行くのにこれを目印にしたのは間違いないというのが面白かった。
思いのほか内容が濃かったので、何回かに分けて書いていきたい。
まず、秋道智彌さん発表の「航海と海域ネットワークから見た海の世界遺産」で私のアンテナに引っかかったのは、「沖ノ島社務所前遺跡(縄文時代) 大量の二ホンアシカの骨を出土(鬱陵島・竹島)」という部分だ。
何しろ1人30分の持ち時間しかないので、詳しく知りたいところもあっという間に通り過ぎてしまう。
そこで帰ってからネット上で探すわけだが、知りたいことが検索で都合よく出るものではない。
やはりWikipedia程度である。
沖ノ島は「旧社務所跡地での発掘調査で出土した土器や石器から、縄文時代前期には漁民らが上陸し、ミチ(ニホンアシカ)猟の漁業基地として使用していたことが確認された」とある。
また、昨年3月28日付の産経新聞の記事に「竹島にいた悲劇の海獣『ニホンアシカ』の謎」があった。
鳥取大の井上貴央名誉教授の話として、「ニホンアシカはかつて、日本列島全域に住んでいました。各地の縄文時代の遺跡からも、アシカの骨が出土しています」とある。
しかし、二ホンアシカは竹島を最後に絶滅した。
井上さんによると、「明治期の乱獲によるもの。また、韓国の竹島占拠後は、竹島に人が常駐し、生息環境を乱したこと。幼獣を食用にしたこと。学術調査でアシカが確認されているのに、保護策が取られなかった」からだ。
ところが、韓国側は「ニホンアシカをこの世から絶滅させたのは日本人だ」という誤った情報を発信しており、「科学的根拠に基づかない。情報操作されている現実には深い悲しみと怒りを感じる」と井上さんは言う。
またしても、盗っ人(不法占拠)猛々しい韓国人の姿だ。嫌になる。
秋道さんの話ではこのほか、沖ノ島にはオオミズナギドリ(宗像ではオガチという)が10万羽も生息しており、古代人が沖ノ島に行くのにこれを目印にしたのは間違いないというのが面白かった。
百済の竹幕洞祭祀遺跡 ― 2023/03/13
さて、「沖ノ島研究の新地平」では、2人の話者が百済の竹幕洞祭祀遺跡(5世紀後半)を取り上げた。
九博「加耶展」の出品目録を見ると、同遺跡からの3点があったので、成果報告会のあと会場に寄った。写真がそれである。
説明にあるように、百済は5世紀、大加耶(4世紀から日本が支配していた任那)に接近した。
それを裏付けるように、竹幕洞祭祀遺跡からは大加耶系(すなわち倭系)の遺物が見つかっている。
同遺跡は海岸の絶壁にあり、航海の安全を祈った沖ノ島の祭祀遺跡とは共通点がある。
しかし百済は日本から大きな影響を受けながらも、面従腹背の気持ちがあったらしい。
同国に近い任那西部の4県を譲ってくれるよう日本にねだり始めるのだ。
日本はなんとこれをOKし、512年、4県を割譲してしまう。
これが外交上の大失敗で、任那(加耶)の滅亡へとつながる。
九博「加耶展」の出品目録を見ると、同遺跡からの3点があったので、成果報告会のあと会場に寄った。写真がそれである。
説明にあるように、百済は5世紀、大加耶(4世紀から日本が支配していた任那)に接近した。
それを裏付けるように、竹幕洞祭祀遺跡からは大加耶系(すなわち倭系)の遺物が見つかっている。
同遺跡は海岸の絶壁にあり、航海の安全を祈った沖ノ島の祭祀遺跡とは共通点がある。
しかし百済は日本から大きな影響を受けながらも、面従腹背の気持ちがあったらしい。
同国に近い任那西部の4県を譲ってくれるよう日本にねだり始めるのだ。
日本はなんとこれをOKし、512年、4県を割譲してしまう。
これが外交上の大失敗で、任那(加耶)の滅亡へとつながる。
「壊す人」とは結局、何者だったのか ― 2023/03/13
大江健三郎が亡くなった。
大学時代、つまり40年余りも前に読んだ『同時代ゲーム』の影響はずいぶん続いた。
私が9年前に発表した最後の小説、「取材ノートのマンモス」(『現代鹿児島小説大系2』所収)に「ゴウキッどん」という英雄が出てくる。
この名は西郷隆盛の本名、西郷吉之助の郷吉(ゴウキチ)から取ったものだが、実は『同時代ゲーム』の壊す人なのだ。
だから、こう書いている。
「ゴウキッどんについて語るとき人々は、強烈な破壊者のイメージから『ちんがらっ、打っ壊(が)した人じゃった』という前置きを必ず付ける」
大江健三郎の文章は有名な悪文で、難解だ。
だから壊す人なんてもっともらしくもったいぶっているが、何のことかよく分からない。
現実の大江健三郎の思想は、反核とか反戦平和とか、反原発とか分かりやすい左翼だ。
しかし文章は難解で理解不能だからこその不思議な魅力がある。
亡くなったのはやはり寂しい。
大学時代、つまり40年余りも前に読んだ『同時代ゲーム』の影響はずいぶん続いた。
私が9年前に発表した最後の小説、「取材ノートのマンモス」(『現代鹿児島小説大系2』所収)に「ゴウキッどん」という英雄が出てくる。
この名は西郷隆盛の本名、西郷吉之助の郷吉(ゴウキチ)から取ったものだが、実は『同時代ゲーム』の壊す人なのだ。
だから、こう書いている。
「ゴウキッどんについて語るとき人々は、強烈な破壊者のイメージから『ちんがらっ、打っ壊(が)した人じゃった』という前置きを必ず付ける」
大江健三郎の文章は有名な悪文で、難解だ。
だから壊す人なんてもっともらしくもったいぶっているが、何のことかよく分からない。
現実の大江健三郎の思想は、反核とか反戦平和とか、反原発とか分かりやすい左翼だ。
しかし文章は難解で理解不能だからこその不思議な魅力がある。
亡くなったのはやはり寂しい。
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