今日のひとこと2021/08/18

桐壺院から朱雀帝への遺言

あなたには
帝(みかど)として
帝室千年の
栄えのために
努めてほしい

臣にも
民人にも
心くばりを
忘れずに

いままでに
変わらず
なにごとにも
源氏の大将と
計って
政事(まつりごと)を
行うように

~大和和紀『あさきゆめみし』(講談社)第3巻


この言葉、特に「帝として帝室千年の栄えのために努めてほしい」に感動したので、原文ではどうなっているのか、有名な訳二つで確認した。

與謝野晶子訳
「私が生きていた時と同じように、大事も小事も彼を御相談相手になさい。年は若くても国家の政治をとるのに十分資格が備わっていると私は認める」云々と、

円地文子訳
「私の世にある時と変らず、大小にかかわらず何事にも、あれを後見とお思いになるように、……」

いずれも、大和和紀訳の前段部分は存在しない。光源氏に対する言及だけだ。

つまり、これは作者大和和紀の意訳というか創作なのだ。
しかし著名な女流作家よりもずっと簡潔でいて、本質を突いて素晴らしい。
「帝として帝室千年の栄えのために努めてほしい」をどこから絞り出してきたのか、天才的だ。

今日のひとこと2021/08/16

石井英夫

山本[夏彦]さんとはしばしば酒席にお供し、ご一緒した。浜町河岸のあい鴨の鳥安、うなぎの前川や神田川、てんぷらの中清、横浜の中華街へも。評論家の徳岡孝夫さんがご一緒のことが多く、横浜・三渓園の古い料理屋まで足をのばしたこともある。健啖家だった。あんな怖い人とよく一緒に飲めるね、と友人にいわれたこともある。「古井戸ってのぞきたくなるものじゃないか、怖いもの見たさで」と答えた。

~『コラムばか一代 産経抄の35年』(産経新聞社)


文中の徳岡孝夫は先日来、本欄で取り上げている「紳士と淑女」のコラムニストである。
山本夏彦からすると、徳岡が兄弟子、石井が弟弟子の関係である。

石井は「紳士と淑女」を本邦随一のコラムと絶賛し、「この匿名のコラム子は、たぶん七十代半ば、英語に堪能で、どうやら新聞記者上がりらしい」と推測してみせるが、本当に正体を知らなかったのかどうか怪しいものだ。いや、知らないはずがないのだが、石井は最後まで秘密を守り抜いた。

コラムニストの世界というのはどうやら、がっちりギルドを形成しているらしい。

「日本の新聞にはたいがい朝刊一面の下に、コラムと呼ばれるへんちくりんな欄がある」(石井)が、朝毎読に産経、日経、東京などの同業者で「コラムの会」をつくり、年に2、3回集まってわいわい酒を飲んでいたという。

ギルドとは他者排除の仕組みである。だから皆、担当が長い。
石井英夫にいたっては「産経抄」執筆35年である。

こんな幸せな人はいない。
少なくとも新聞業界の中で、こんな幸せな人はいない。

新聞記者とは、給料をもらって原稿を書ける、世の中で唯一の職業である。
世の中に文章を書いて暮らしている人は少なからずいるが、小説家・作家には給料などない。売れた分だけの収入である。だから「売文業」という。

新聞記者は収入の心配などしなくていい。
しかし、サラリーマンだから、中間管理職に進むと、記者に書かせる側になる。人に仕事をさせる、この人事管理が大変なのだ。
私などいまだにデスク時代のつらさを思い出して、夢にうなされる。

それに比べて石井英夫はいい年になっても人事管理に悩みもせず、コラムニストという特権的な地位に35年もいたという。
うらやましい、としか言いようがない。
幸運だけではなかっただろう。
ギルドの中に生き、仲間とともに人に仕事を渡さない知恵を絞り続けたに違いない。有名店で舌鼓を打ちながら。

今日のひとこと2021/08/15

徳岡孝夫

内地を敵であるかのように罵る沖縄の運動家諸君は、牛島司令官、長参謀長の自決に心うたれたことはないのか。
沖縄を奪還するために、戦艦大和の乗組員たちは欣然、片道燃料で出撃したのではなかったか。第二艦隊司令長官・伊藤整一は、何のために生還の可能性ゼロの作戦に従容として出ていったのか。伊藤司令官の一人息子は、何のために父の艦を護衛して死んだのか。
本土決戦になっていれば、われわれも死ぬ覚悟だったのだ。互いに和解しようではないか。

~『完本 紳士と淑女 1980-2009』(文春新書)


雑誌『諸君!』1982年11月号だ。
1987年10月号にもまた、こう書いている。
「沖縄の死者たちの生命も、また高い。だから沖縄本島南部の古戦場には記念碑が林立し、その中には悪趣味に近いものさえある。沖縄を守り切れなかった非力を恥じて自決した牛島司令官や長参謀長の生命は安い。だから誰も祈らない」

鹿児島市加治屋町の甲突河畔に、「沖縄軍司令官 牛島満大将生い立ちの碑」が建っている。
牛島満とはどういう人だったのか。山岡荘八『小説太平洋戦争』(講談社文庫)第8巻から引くのが最もふさわしい。

「この悲劇の第三十二軍を指揮して果てた牛島満中将は薩摩の出身で、大西郷の崇拝者であり、そのゆえに綽名もまた今西郷と呼ばれていたのだが、彼は自決後、帝国陸軍では最後の『陸軍大将』をおくられ、ここにゆくりなくも、皇軍の最初の陸軍大将であった大西郷と同じ薩州人として、その首尾を飾ることになったのもふしぎな因縁を想わせる。
私は戦後沖縄をたずねたおり、さまざまな人々から、牛島大将を思慕する回顧談を聞かされた。大将のことを口にする時、それらの人々はそのほとんどが眼を赤くして、高潔な人格と温容ににじむ徳を讃えた。おそらく大西郷の敬天愛人の至誠を師表として厳しくおのれを鍛えた武将であったのに違いない。そう云えば、自決の直前にも、長参謀長と、城山における大西郷の死について淡々と語り合っていたという……」

誰も祈らないのなら、6月23日の自決の日、甲突河畔の碑の前に行って祈ろうではないか。

今年7月10日、長参謀長の出身地、福岡県粕屋町で初めての慰霊祭が行われた。

今日のひとこと2021/08/14

稲川淳二(怪談家)

Q健康へのこだわりは?

粗食。朝ごはんしか食べない。最近は毎日、コンビニの冷やし中華です。

~産経新聞本日(8/14)付10面(読書面)

今日のひとこと2021/08/14

内田百閒

それから、方方に虎列剌(コレラ)が出来て、毎日毎日沢山の人が死んだ。死ぬと直ぐに役人が来て、死んだ者を棺桶に押込み、縄でからげて、それに棒を一本通して、後先を隠坊(おんぼう)がかついで、持って行ってしまう。だから虎列剌のお葬いを一本棒と云った。それから巡査が来て、家の者をみんな連れて行くのである。そうして激しい薬を飲まして、それで死んだら、又一本棒にして、焼場に持って行くのだと、みんなが話し合った。

~『百鬼園随筆』(新潮文庫)のうち「虎列剌」


特に感想はない。
内田百閒が好きでもない。
たまたま見かけた文章である。別に教訓も読み取れない。

今日のひとこと2021/08/13

徳岡孝夫

国鉄の処理が済み、日航が済んだら、やがて最後の親方日の丸族NHKの分割と民営化だぞ。

~『完本 紳士と淑女 1980-2009』(文春新書)


この本は惜しまれつつ休刊したオピニオン誌『諸君!』の巻頭コラム「紳士と淑女」を集めたものである。連載中、徳岡孝夫はずっと匿名だった。
ちょうど私が南日本新聞社に在籍した時期(1982-2008)とぴったり重なるので、懐かしく振り返りながら読んでいるところだ。

引用したのは1985年10月号の一節で、注目すべきは36年も前からNHKの分割・民営化がいわれていたということだ。

今もSNS上でNHKへの批判を見ない日はない。
敵はしぶといが、なんとかしなくてはならない。

閉会式もまたひどかったが、選手たちは素晴らしかった2021/08/09

開会式の感想は「幼稚でチープ、日本らしさがない」だった(7/24参照)。
しかし、まずは五輪が開催されたことをよしとして、我慢して最後まで見た。

それから競技が始まり、前半は日本がずっと金メダル争いのトップを走って、興奮した。
二日間足踏みしたが、後半再びメダルを取り始めた。
チャンネルを頻繁に切り替えながら、毎日ずっと目が離せなかった。

そして金メダル争いは3位をキープして終了。
五輪史上最高の成果を挙げた。

悪のオピニオンリーダー、朝日新聞が「五輪反対」を唱え続けたにもかかわらずだ。
朝日は表向きは、コロナの感染拡大の中、五輪どころではないとしながら、真意はいつもの、五輪を断念させて日本に恥をかかせてやろうという、底意地の悪い反日活動だ。
(それでいて五輪視聴率を一番かせいだのは系列のテレビ朝日だという。コロナで国民を「ゆすり」、五輪で国民に「たかり」、許せない)

しかし、選手たちはマスコミによる「日本はダメだ」の大合唱、そういう自虐史観的なものから自由だった。
日の丸を上げたい、君が代を歌いたいというコメントが目立った。

誇らしい人たちだ。

そして真っ先に「開催に感謝」を口にすることで、上手に気持ちよく批判をかわしていった。
まあ、選手に「開催に感謝」を言わせる社会って、何なのかとは思うが。
練習や競技に集中したいだろうに、そんなことに気をつかわせて。
にもかかわらず、史上最高の成果を挙げたのだ。

そして閉会式。
驚いた。
開会式以上にひどいとは。

日本には相当優秀な演出家が少なからずいるだろうに、どうやってあんなひどいものが作れるのか不思議なくらいだ。
電通が悪いのかどうかは知らないが、誰も台本やリハーサルをチェック、採点しないのだろうか。

やはり日本の文化は左翼系が支配しているから、日本らしさを出すのは苦手中の苦手なのだろう。

こちらはテレビを見なければいいが、あんな退屈なものを長時間見せられて、選手たちが可哀そうだ。
唯一、東京音頭のときだけが皆うれしそうだった。
それ以外、日本文化の発信はゼロに近かった。

日本を背負って戦った選手たちと、日本らしさを少しも出せなかった大会の演出側と。
日本社会の分断は五輪後も続く。
もちろん、日本を誇りに思う側を応援していく❕