自民公約に改憲4項目2017/09/21

本日付産経新聞一面に10月の衆院選で掲げる、自民党の公約骨子案が報じられた。

憲法改正では4項目。
①自衛隊の存在の明記
②教育の無償化
③緊急事態条項
④参院選「合区」解消

①③は国家として当たり前のことである。
②はどうだろうか。

18日付同紙「談話室」に18歳の高校生が投稿していた。
大学の無償化に反対である。
理由は、行きたい意志のなかった人も安易に進学し、その結果、多くの税金が使われて国民にしわ寄せが行く。
それよりも、経済的に苦しい世帯には学費を安くする仕組みを整備すべきである。

正論である。
社会保障と同じで、財源が厳しいのは目に見えている。
もしやるにしても、憲法で決めるのでなく、法律で十分である。

④については、かねて本ブログでも訴えていたことで大賛成だが、詳しい内容が新聞報道ではわからない。
こういうときこそ、紙面の制約のないWEBで詳報を伝えてほしいものだ。

応募作の使い回しは非難すべきことなのか2017/09/21

第21回「日本ミステリー文学大賞新人賞」の候補作4つが決まったそうだ。
予選委員7氏=円堂都司昭、香山二三郎、新保博久、千街晶之、細谷正充、山前譲、吉田伸子+光文社文芸局が10点満点で採点、討議のうえ選定したという。

予選委員の名前が出ているのも初めて見たが、
【予選委員からの候補作選考コメント】として、応募者の姿勢へのかなり強い批判が書かれていて驚いた。異例ではないか。

香山二三郎氏は「しつこいようだけど、次の二点にはくれぐれも気を付けて。応募作品は新作で。既応募作品での再応募は本賞では控えましょう。原稿の印字は字間を詰めて。読みにくいと端から印象が悪くなります」。
これくらいはいい。気をつけよう、という気になる。

新保博久氏は、ある作品(原文では明記)に「次にどう展開するのだろうとワクワク感を覚えた」が、「二年前の他賞の落選作という凶状が判明して支持を撤回した。再応募作が絶対に不可というわけではないが、以前の応募状況を問い合わせてもダンマリだったのは、作者も後ろめたいのだろう。その作品での落選歴を秘匿していても、予選委員はたいてい複数の賞を兼任しているから十中八九、露顕すると覚悟しておいてもらいたい」。最後に「恥じ入れ」とまで付け加えた。

確かに今回、予選の読み手は相当にいらいらした様子だ。

細谷正充氏は「他の新人賞に投稿して落ちた作品を、そのまま送ってくる“使い回し原稿”問題も、クローズアップされた。二重投稿ではないので応募規約に違反しているわけではないが、今回、同じ内容で四度目の投稿という作品があり、さすがに問題視せざるを得なかった。自分の作品が可愛いのは分かるが、プロの作家になりたいのだったら、見切る勇気も必要だろう」。

吉田伸子氏も「二重投稿はないものの、いわゆる“使い回し”(過去に別の賞に応募した作品)が目立ちました。過去に応募した時のタイトルと変えられていることから、故意だと推察しますが、これは止めていただきたい。過去の作品に拘る気持ちも分からなくはないですが、フェアではないと思います。それよりも、新しい作品へ気持ちを向けたほうがいい。新人賞が求めているのは「新しい芽」である、ということを心に留めておいて欲しいです」という。

ただ、応募者の立場から言わせてもらうと、自分では結構自信のあった原稿が一次予選も通過しない場合、「これ、ほんとに読んでもらったんだろうか」と疑ってしまうのは自然な心理だ。
悪気があってやっているのではない。自分の作品が可愛いのだ。
だから、別の賞に応募して、もう一度読んでもらおうとする。

書いた人ならわかるが、長編小説を書くのは本当に大変だ。
日々、部屋に引き籠るという孤独と、いくら時間を費やしても報われない巨大な徒労感と才能のなさに長時間耐えなければならない。

こうして出来上がった作品が可愛いのは当たり前だ。
ちゃんと読んでもらっているのか、読まれたとしても本当に正しい評価なのか、疑ってしかるべきだ。

業界人の評価があてにならない例は枚挙にいとまがない。
最も有名なものでは、ハリーポッターが十数社の出版社に断られたという例がある。

「恥じ入れ」とまで非難すべきことなのだろうか。
読むほうはせいぜい数時間だろうが、書くほうはどれだけの時間を費やしていることか。
これでは、書かずに読者でいるほうがずっと楽でいい、と思ってしまう。