パワハラ、セクハラ、やっぱりない方がいい2018/04/23

パワハラやセクハラの概念が出来て、世の中が窮屈になったのは好きではない。が、サラリーマン時代を振り返れば、それが咎められなかった時代はやはりひどかった。今、助けられる人が多いのは間違いあるまい。

例えば、セクハラ。

私は校閲部の後、社会部で新聞記者のスタートを切った。もう35年前の話だ。

そのとき、一人だけ女性部員がいた。
記者ではない。
気象協会から送られてくる天気予報や、航空・鉄道・船各社の旅行案内、各種催し、出生、死亡まで「決まりもの」といわれる定型の情報コーナーはけっこう多い。それらを出稿する係だ。

オールドミスのおばちゃんで(どちらも今では禁句?)、年齢を考えたこともなかったが、40前後だったのだろうか。
この人がものすごい巨乳で(ただし、全体も太っていた)、先輩記者たちの冷やかしやおちょくりがすさまじかった。
今ならすべてセクハラだが、そんな概念すらない時代、その人はきっと陰で泣いていたに違いない。

セクハラという言葉が出始めてからは2件記憶にある。

一つは女性支局長が地元の販売所長たちとの懇親会の席で、チークダンスを強要されたというもの。
「セクハラ」という言葉がなかったら無視された問題かもしれないが、当該支局長が抗議した結果、本社に戻ってきた。

もう一つはパワハラ+セクハラというべきもの。
ある取材部のデスクが若手女性記者に対して、常々、異常に厳しく指導していて、仕事の後まで2人で会って叱りつけていたのだが、その席で再三、「ホテルに行こう」と誘っていたというもの。

このデスクは編集局内に有力な女友達や仲の良い先輩がいたため、だいぶ擁護されていた(つまり女性記者を悪く言う)が結局、畑違いの局に異動になった(今はほとぼりも冷めたのか、局次長まで昇進している)。

関連して思い出すのは、ジャーナリストの山口敬之氏だ。
気を失っている伊藤詩織さんを避妊もせずに犯した(そこまでは氏自身も認めている)のは、セクハラどころか強姦に他ならない。

なのに、山口氏が総理番だった、安倍総理と親しかったというだけで、保守を自称する人たちは擁護する。
いけないものはいけないと明言したのは、私の知る限り百田尚樹氏だけだ(百田さん、見直した)。
確かに、氏の『総理』という本はいい本だった。しかし、仕事と犯罪は話が別だ。

さて、パワハラに移ろう。
私も数々、上司からの嫌がらせを受けた。20日に取り上げた「異動取り消し」も今ではパワハラと言っていいだろう。

パワハラ救済の仕組みができていれば、私もだいぶ救われた。

それより何より思い出すのは、同期がパワハラで自殺したことだ。
彼は私と全く同じ立場だったから気持ちがよく分かるし、彼が命を絶たなければ私だったかもしれないのだ。

私と彼は編集部デスクだった。
担当も同じ国際面だった。
地方紙だから、国際面は共同通信の記事で作る。
原稿を選択して部員に渡し、紙面を作っていく。
夕方から始まり、紙面が出来上がるのは午後10時ごろだ。

出来た紙面を部長の元に持っていくと、必ずすべてやり直しになる。
部分的な手直しではなく、全否定。
こちらは部員に対して立場もない。

しかも、部長の指示通りにやって紙面が良くなるわけでもない。
ただ単にこちらの仕事を認めたくない、ぶっ壊してやり直しをさせたいとしか思えない。
これを毎日やられては精神がズタズタになる。

彼は朝から焼酎を飲んでいたという。
2005年2月21日のことだ。
たんすの引き出しに布か紐状のものを掛けて、座ったまま首を吊った。

パワハラはまだ世間に浸透していなかったから、私もどうしようもなかったが、パワハラ以外の何物でもなかった。
ただ、本人がパワハラを訴えた場合、どう説明するか難しさはある。

どういうパワハラか聴取されて、「仕事が厳しかった」では通るまい。
それでも、救済する制度は欲しかったと思う。泣き寝入りはよくない。

部長はその後も手を緩めなかった。
同じ2005年の6月21日。

私は夜勤をしていて、入院していた父が死んだと妻から連絡が来た。
私は国際面を仕上げてから、病院へ向かった。

翌日やっと落ち着いた時間に、デスクの責任として紙面を確かめた。
すると、国際面はやはり跡形もなく変えられていた。
部長の悪魔のような意地の悪さを見た。