「半分、青い。」の感動の不思議2018/08/01

朝ドラの「半分、青い。」に毎日のように感動している。
ところが、総集編で見ると全然面白くないのは不思議。
ストーリーがもう滅茶苦茶なのだ。

ストーリーは計算され尽くして、破綻がないドラマがいいと素人は考えるのだが、どうも違うようだ。(向田邦子のような完璧なドラマは、確かに時代には合わない気もする)

じゃあ、ストーリーは行き当たりばったりでも感動させられるって何だろう。

セリフかな、もちろんそうだが、けっこうありがちなセリフも多い。
奇をてらわず平凡なセリフをうまく使っている印象はある。

キャラ立ちかな。
それははっきりある。どのキャラも立っている。
だからあんなに登場人物が多くても、混乱しない。
もっとも、オフィスティンカーベルの双子のメイドのように、ザ・ピーナッツのパロディを狙って失敗したものもある。完全にすべっていた。

でも、けっこう失敗を恐れず、次々に仕掛けてくる。
とにかくストーリーが破綻しようが飽きさせない。そこなのかな。

手垢のついたセリフやキャラでも、結果、心に訴えればいいのだ。
北川悦吏子だからできる技かもしれない。きっとそうだ。

今朝も無理があったな~

夫の涼ちゃんの監督デビューが決まったのに、鈴愛は「いつまでも夢を追いかけて!」と泣いて非難する。

おいおい、そこは一緒に泣いて喜ぶべきでしょ。
監督デビューは決定しているのだから、もう夢ではなく現実だ。

私なんか、作家デビューの当てもへったくれもなく会社を辞めた。
子供はまだ大学生だった。
これなら非難されてもいいだろう(笑)

マスコミは誤報を訂正しないのか(2)2018/08/07


反日の病は深い2018/08/08

沖縄の翁長知事が亡くなった。

これに対して、以前からfbfである鹿児島のある公立図書館長が、書き込んでいる言葉にショックを受けた。

「ご冥福を祈る」とかなら分かる。

そうではない。
「無念だったろう」と、国の防衛政策にことごとく楯突いた人間の言動を一方的に称賛しているのだ。

指定管理者だから、この人自体は公務員ではない。
しかし、やはり、立場は公立図書館長だ。

こんな図書館の本は借りたくない。蔵書は偏向しているに決まっている。

類は友を呼ぶ、で賛同のコメントが多く寄せられている。

沖縄、ひいては日本が中国に侵略されても構わないという人がこんなに多いとは絶望してしまう。

差異と不平等との区別2018/08/11

新渡戸稲造は、1899年に書いた『武士道』で、男女平等について論じている。
全17章の中の、第14章「婦人の教育および地位」だ。

新渡戸稲造は38歳で、病気療養のためアメリカ滞在中だったという。
日清戦争の4年後、日露戦争の5年前だ。

当時、アメリカではすでに女権拡張論者の活動が盛んだったことが、次の一文でうかがえる。しかも、日本の社会にまで口出ししていた。

「あるアメリカ人の女権主張者が『すべての日本の女子が旧来の習慣に叛逆して蹶起せんことを!』と叫んだ軽率なる見解を、我が国の社会は納得しないであろう」

新渡戸は「女権主張者」が「叛逆」を呼びかけていることに反論する。

「かかる叛逆は成功しうるか。それは女性の地位を改良するであろうか。かかる軽挙によって彼らの獲得する権利は、彼らが今日受け継いでいるところの柔和の性質、温順の動作の喪失を償うであろうか。ローマの主婦が家庭性を失ってより起りし道徳的腐敗は、言語に絶したではないか」

最後の、ローマの主婦云々は何を指しているのか分からない。

それはともかく、新渡戸は「今しばらく、武士道の制度下における女性の地位は果して叛逆を是認するほどにじっさい悪しくあったか否かを見ようではないか」と問題提起する。

そして、「軍事社会においては婦人の地位は必然的に低く、それは社会が産業的となるに伴いてのみ改良せられる」というハーバート・スペンサーの説は日本にも当てはまるとして、婦人の自由が最も少なかったのは武士階級で、社会階級が下になるほど――例えば職人――夫婦の地位は平等だったと述べる。

だから、「私は女子が男子と同等に待遇せられなかったと述べるに躊躇しない」と、新渡戸は旧来の日本における男女の待遇差を認める。

しかし、その次が重要だ。
現在の男女平等論議は結局、120年前と全く同じであることに驚く。

「しかしながら吾人が差異と不平等との区別を学ばざる限り、この問題についての誤解を常に免れないであろう」

男女には「差異」があり、「不平等」とは問題が違う。
これを認識しない人たちとは永遠に平行線のままだ。


ところで、『武士道』の先見性はすごい。
世界は、キリスト教と唯物主義(共産主義と言い換えてもいい)とに二分されるだろうと、最終章で予言しているのだ。

では、「武士道はいずれの側に与(くみ)するであろうか」。

「それは何らまとまりたる教義もしくは公式の固守すべきものなきが故に、全体として身を消失に委ね、桜花のごとく一陣の朝風に散るを厭わない」

まさに予想通り、武士道は大東亜戦争で桜花のごとく散った。

「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない。しかしその力は地上より滅びないであろう。その武勇および文徳の教訓は体系としては毀れるかも知れない。しかしその光明その栄光は、これらの廃址を越えて長く活くるであろう。その象徴(シンボル)とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう」

これが『武士道』の結論である。

憲法改正しないままの防衛強化は間違っている②2018/08/12

安倍晋三首相が昨日、総裁選への出馬意向とともに、自衛隊を憲法9条に明記する改正への決意をあらためて示した。
何としても実現を期待し、支援したい。

自衛隊の明記だけでなく、内閣総理大臣が自衛隊の最高指揮権を持つと明記することが重要だ。

将来また民主党のような政権ができないとも限らない。
その首相が自衛隊を指揮したら恐ろしい、と思う。
その危惧は残しながらも、それでもなお、首相の指揮権は明記しなければならない。

なぜなら、日本の敗戦の理由が「統帥権の独立」にあったことが、今や明らかだからだ。

以前も書いたが、統帥権は、内閣制度の国では当然内閣が持つ。
ところが、プロイセン(ドイツ)が統帥権を政府から独立させ、首相は関与しないという慣行を確立させ、プロイセンを範とした日本陸軍が統帥権の独立を図った。

もちろん形の上では、天皇陛下が軍の最高指揮権を持っていた。

しかし実際は、政府と統帥部とが方針を決め、天皇は立憲君主として、それを承認するだけだった。むしろ天皇は権威づけとしてうまく利用されただけと言えよう。

つまり、誰も陸海軍を束ねる者がいなかった。
戦史を少し勉強するだけで、陸軍と海軍の不一致は驚くべきものがある。
敗けるのは当たり前だ。むしろ、物量に勝るアメリカ相手によく4年近くも戦えたものだと感心する。よほど兵士の質が良かったのだろう。

ところが、この反省が生かされず、「陸自と海自との間に溝があるのではないか」と指摘するのは、ガダルカナル戦の研究者、亀井宏氏(84)だ(8月10日付産経新聞九州・山口地方面)。

服部卓四郎『大東亜戦争全史』で見てみる。
昭和17年7-8月、日本海軍はガダルカナル島に飛行場を建設したが、大本営陸軍部は米軍が上陸するまでこの事実を知らなかった。多くは島の位置すら知らなかったという。

亀井氏は「陸海軍がけんかしていた、と言われますが、実はそうじゃない。けんかもしないほど、別々の方向を向いていた」という。
このため、「ガ島ではぶっつけ本番で、陸海の協調作戦を強いられた」。その結果、補給もままならない戦場に、大勢の兵士を置き去りにする状況となった。

亀井氏は今年3月新設された陸自の水陸機動団について、陸自が輸送艦の導入を検討していることに疑問を呈する。
大規模な海上輸送は本来、海自が責任を持つことから、「陸自と海自との間に溝があるのではないか。自衛隊も当然、ガ島を教訓にしているとは思いますが…。同じ失敗は繰り返してほしくありません」

負ける戦争は2度としてはならない。

そのためには、陸自と海自がバラバラの行動をとらないよう指揮権を明確にしておくこと。
自衛隊を憲法に明記するだけでは足りない。
内閣総理大臣が自衛隊の最高指揮権を持つと明記することが絶対に重要なのだ。

『正論』8月号の岡田邦宏「そもそも国民に9条信仰はあったのか」は、目からウロコだ。

世論調査をもとに「国民は一貫して九条を支持し、九条は国民に定着している」かのように言われてきたが、それが全くの虚構、うそっぱちであることを、これまでの世論調査を見直すことで明らかにしている。

これだけ憲法学者や「平和教育」推進勢力、メディアが自衛隊を否定しても、国民は一貫して「軍隊は必要」「自衛隊は必要」と認識しているのだ。

国民は賢い。
安倍総理は自信を持って、9条改正に邁進してもらいたい。

林福江さんを悼む2018/08/13

林福江さん(2009年4月25日、旧門司三井倶楽部で)
作家林芙美子の姪、福江さんが6日亡くなった。92歳。
葬儀は9、10日、密葬で行われた。

大正14年、鹿児島市生まれ。
同市の三州バスで働いていた昭和26年、林芙美子に母キク(福江さんには祖母)の面倒を見てほしいと請われて上京。東京都新宿区中井二丁目の芙美子宅(現在の新宿区立林芙美子記念館)で一家と暮らした。
ひと月後の同年6月、林芙美子が自宅で急死。47年には、芙美子の夫だった林緑敏氏と結婚した。
緑敏氏は平成元年に死去。同4年、新宿区が旧宅を購入し、林芙美子記念館を開館。福江さんは近くに住んで毎日顔を出し、来館者と接していた。研究者の取材に応じてきたほか、平成25年の「生誕110年 林芙美子展」をはじめ、資料提供に協力してきた。

林芙美子を主人公にした、桐野夏生の小説「ナニカアル」(平成22年)では、語り手の「林房江」として登場している。

ここ数年は体調を崩していた。

いよいよ九条改正だ2018/08/14

さすが安倍首相。

石破茂が総裁選に出てくるのを「いやだなあ」とネガティブにとらえるのではなく、むしろ奇貨として憲法改正論議に持ち込むのだ。

これは盛り上がる。

野党は大騒ぎするだろうが、世間の関心は集まる。

内閣府の世論調査で、自衛隊に「良い印象」を持つ人は、最新の調査で92・2%に達している。

現行の9条一項と二項を残して自衛隊の存在を明記する安倍総裁案には国民の抵抗もない(一部の護憲狂信者を除いて)。

あとは総理大臣の指揮を明記するだけだ。
自衛隊法には書いてあるとはいえ、やはり憲法で明記してほしい。
陸自、海自がそれぞれに勝手なことをしないように指揮権ははっきりさせなければならない。
それが敗戦の反省点だ。

侵略されたら、負けるわけにはいかない。
やるからには勝つ。
二度と、負ける戦争をしてはならない。