侍は議論を重んじた2018/08/17

昨日、肥前さが幕末維新博覧会のうち、「リアル弘道館」と「葉隠みらい館」の二つをのぞいた。

後者はあまりにちゃちで論外だったが、前者では気づくことがあった。

佐賀の武士は、子供のときはまず「素読」で、中国の古典をとにかく意味を知るより前に音読することから始まる。

それが長じて内容を理解するようになると、最終的には「会読」といって仲間との討論をやる。選ばれた優秀な者は、藩主とさえ討論できたという。

こうして議論に鍛えられたことが、のちの明治の世で、他藩出身者や外国との交渉に大いに役立ったというのだ。

これは全く薩摩の郷中教育と同じだ。

司馬遼太郎だったか、薩摩では「議を言うな」といって議論を禁じたという嘘を流布して、かなり世に広まったことがある。

実際には郷中教育も佐賀藩と同じで、素読に始まり、最終的には徹底的に討論させた。

しかも抽象論ではなく、「日本はアメリカ、イギリスに勝てるか」といった時事的なテーマで討論させるのだ。

これが倒幕や維新の原動力になったと言っていい。

つまり、日本を強くする教育だ。

今の日本の教育に最も欠けているところだ。

では、どうして日本人が議論下手、と長年言われながら教育に取り入れられないのか。

それはGHQと、その後の中国共産党の要求によって、日本を弱くする教育がずっと一貫して行われているからだ。

だから、改善されるわけがない。

教室ではひたすら押し黙って、教師の話を聞くだけだった。
これを16年間。忍耐強い人間にはなったかもしれない。
隣国からどんなに罵られようと不思議なほど大人しい日本人が多い。

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