「新潮45」は読むべし! ― 2018/09/25
話題(問題)になっている「新潮45」10月号を地元の図書館で読んできた。
この雑誌だけが棚になく、「カウンターに申し出て下さい」と〝特別扱い〟になっていた。
評論家の小川栄太郎氏はfacebookで毎日拝見し、常々「言葉の一つ一つに命を懸けている」ようなことをおっしゃる割には、失礼ながらあまり文章がうまくない人だなと思っていた。
しかし、これは世評と違い、格調高くいい文章だ。
ただ、「そんなにLGBTを言うなら、SMAGも擁護しろ」という部分は、「内面の問題であるべき性的嗜好を表に出していけば、変態も守れということになるぞ」ということを諧謔を交えて言ったのだろうが、あまり面白くなく、嵌まっていなかった。
SMAGとは氏の造語で、「サド、マゾ、お尻愛好者、痴漢」のこと。
「サド、マゾ」はいいが、その後が詰まらん。
どうせなら、死体愛好とか小児性愛だとか真の変質者を出してほしかった。
これは冗談ではなく、深刻な問題で、幼児性犯罪者は再犯率が高いのは分かっているのに、日本では情報が保護されている。
アメリカでは地区で情報を共有しているというのに!
しかも再犯の揚げ句、死に至らしめる例をわれわれは嫌というほど見てきているじゃないか!
実に緊急の課題だ。
もう一つ、注目したのは、騒動の元になった杉田水脈論文では、LGBTをLGBとTに分けていた(私と同意見)。
しかし小川氏はT(トランスジェンダー)も「障害」と呼んではいるが、いつ内面は変化するか分からないから、分ける必要はないという。
これは今後、研究の必要あり、だ。
また、LGBT当事者の松浦大悟氏の論文は冷静、論理的な分析で、好感の持てるものだ。
現在、LGBT差別撤廃法案を自民党、野党ともに用意しているらしいが、自民党案はともかく、野党案は恐るべきものだという。
それは性別による差別をすべてなくそうというもので、当然、表現の自由も規制され、例えば「サザエさん」なども放送できなくなる可能性があるという。
これは目からウロコなのだが、実はLGBTの当事者は「性別」をなくそうなどとは考えていないどころか、「性別」がないと成り立ち得ない人たちなのだ。
つまり、男が男を愛し、女が女を愛し、あるいは両方を愛し、あるいは自分の性がおかしいと感じて別の性に転換する。
つまり、性別が前提なのだ。「性」の枠組みの中で行動しているので、最も性別を意識している人たちだと言っていい。
これだから、差別を糾弾する人間たちは始末に負えない。
昔からそうだ。
昔は同和や在日の吊るし上げが凄かった。
私は鹿児島県枕崎市に仕事で三年間いたことがあるが、ある市長がそれまでアンタッチャブルだった同和予算を削ったところ、切断した牛の頭を机に置かれていたという。
そんなこんなで同和や在日について語ることすら、長い間タブーだったことは誰でも知っているだろう。
それが口にできるようになったのは、桜井誠という傑出した人間が現れ、正面突破してからだ。
ようやく同和や在日について語れる時代が来たと思ったら、近年また新たなるタブーが強調されている。
東京裁判史観に反すること。
南京大虐殺、慰安婦、強制連行の三点セット。
少なくなったとはいえ、いまだに国旗・国歌、自衛隊をタブーにしようとする人間すらいる。
そして、LGBT。
「差別」を言いたがる奴らは、言論弾圧や表現規制は平気だ。
どんどん、窮屈な世の中にしていく。
じゃあ、色弱者が嫌な思いをするから、世の中のものに色をつけるな、と言ってみるか?
この雑誌だけが棚になく、「カウンターに申し出て下さい」と〝特別扱い〟になっていた。
評論家の小川栄太郎氏はfacebookで毎日拝見し、常々「言葉の一つ一つに命を懸けている」ようなことをおっしゃる割には、失礼ながらあまり文章がうまくない人だなと思っていた。
しかし、これは世評と違い、格調高くいい文章だ。
ただ、「そんなにLGBTを言うなら、SMAGも擁護しろ」という部分は、「内面の問題であるべき性的嗜好を表に出していけば、変態も守れということになるぞ」ということを諧謔を交えて言ったのだろうが、あまり面白くなく、嵌まっていなかった。
SMAGとは氏の造語で、「サド、マゾ、お尻愛好者、痴漢」のこと。
「サド、マゾ」はいいが、その後が詰まらん。
どうせなら、死体愛好とか小児性愛だとか真の変質者を出してほしかった。
これは冗談ではなく、深刻な問題で、幼児性犯罪者は再犯率が高いのは分かっているのに、日本では情報が保護されている。
アメリカでは地区で情報を共有しているというのに!
しかも再犯の揚げ句、死に至らしめる例をわれわれは嫌というほど見てきているじゃないか!
実に緊急の課題だ。
もう一つ、注目したのは、騒動の元になった杉田水脈論文では、LGBTをLGBとTに分けていた(私と同意見)。
しかし小川氏はT(トランスジェンダー)も「障害」と呼んではいるが、いつ内面は変化するか分からないから、分ける必要はないという。
これは今後、研究の必要あり、だ。
また、LGBT当事者の松浦大悟氏の論文は冷静、論理的な分析で、好感の持てるものだ。
現在、LGBT差別撤廃法案を自民党、野党ともに用意しているらしいが、自民党案はともかく、野党案は恐るべきものだという。
それは性別による差別をすべてなくそうというもので、当然、表現の自由も規制され、例えば「サザエさん」なども放送できなくなる可能性があるという。
これは目からウロコなのだが、実はLGBTの当事者は「性別」をなくそうなどとは考えていないどころか、「性別」がないと成り立ち得ない人たちなのだ。
つまり、男が男を愛し、女が女を愛し、あるいは両方を愛し、あるいは自分の性がおかしいと感じて別の性に転換する。
つまり、性別が前提なのだ。「性」の枠組みの中で行動しているので、最も性別を意識している人たちだと言っていい。
これだから、差別を糾弾する人間たちは始末に負えない。
昔からそうだ。
昔は同和や在日の吊るし上げが凄かった。
私は鹿児島県枕崎市に仕事で三年間いたことがあるが、ある市長がそれまでアンタッチャブルだった同和予算を削ったところ、切断した牛の頭を机に置かれていたという。
そんなこんなで同和や在日について語ることすら、長い間タブーだったことは誰でも知っているだろう。
それが口にできるようになったのは、桜井誠という傑出した人間が現れ、正面突破してからだ。
ようやく同和や在日について語れる時代が来たと思ったら、近年また新たなるタブーが強調されている。
東京裁判史観に反すること。
南京大虐殺、慰安婦、強制連行の三点セット。
少なくなったとはいえ、いまだに国旗・国歌、自衛隊をタブーにしようとする人間すらいる。
そして、LGBT。
「差別」を言いたがる奴らは、言論弾圧や表現規制は平気だ。
どんどん、窮屈な世の中にしていく。
じゃあ、色弱者が嫌な思いをするから、世の中のものに色をつけるな、と言ってみるか?
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