「黒糖地獄」が嘘の証拠2020/06/29

尚古集成館館長の松尾千歳さんのfacebook6月27日の投稿。·

いま、薩摩藩領の人口の増加を調べています。そこで気になったのが人口増加率。
寛文年間(1661-73)と嘉永5年(1852)のデータを比較すると、藩全体で約50万人から84万にと、約1.7倍に増えています。中でも大きく増えているのが奄美地区。約3万人から8万5千人へと2.7倍も増えているのです。ちなみに薩摩国は2.2倍。大隅国は1.36倍。日向国は1.2倍。琉球国(奄美地区除く)が1.2倍です。
奄美地区は砂糖地獄と言われるほど、藩から黒糖の収益を収奪されていました。そんな状況なのに領内で一番人口が増えているのはちょっと意外でした。
そういえば、砂糖地獄といわれる割には、一揆も江戸時代を通じて1回だけ。大勢の武士が駐屯していたわけでもないので、力づくで押さえ続けていたとも思えないし。
ちょっと奄美の状況が気になりました。

これに対する私のコメント。

以前から「黒糖地獄」を疑っているので、非常に心強いデータです。
黒糖地獄が怪しいのは、①サトウキビは粗放農業なので、米のような集約型農業と違い、厳しくしようにもそもそも厳しくできない。②芸能の豊かさ(島唄の大半は恋愛の唄)――等々です。
奄美が戦後、米軍統治になったときに一生懸命本土復帰運動(しかも恨みがあるはずの鹿児島県への復帰)をやったことはご存じだと思います。その後、沖縄の左翼思想(反ヤマト、反サツマ)に影響されて、黒糖地獄や薩摩藩の圧政史観が形成されたと思われます。

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