頭の中が古代、古代…2022/10/31

頭の中が「古代、古代…」となっている。

幸い、来年4月から「大宰府アカデミー」が40年ぶりに開講。
2年間、毎月1回受講し、さらに1年間の養成講座をへて史跡の解説員を認定するという長~いものだ。
修了時には68歳になっているが、まあよい、いずれ最後の仕事だ。

また、九州歴史資料館(わが家から歩いて5分)が、これまで蓄積してきた調査研究の成果を生かして、新たな古代史研究事業に取り組むという。
11月23日のフォーラム「古墳が語る日本創成の風景」が皮切りになるようだ。これも大いに期待している。

みやこ町の橘塚古墳2022/10/31

昨日30日、九州歴史資料館のバスツアー「みやこ古墳日和」に参加。
同じ福岡県内でもなかなか行く機会のない周防灘側の京都(みやこ)平野にある古墳を見てきた。

橘塚古墳は認定こども園と小学校に挟まれた区画にあって、今は横穴式の石室が露出しているが、元は39m×37mのかなり大きな方墳である。

前方後円墳が終焉した6世紀末のものと考えられ、大型方墳は蘇我氏系の墳丘の形(石舞台古墳など)であることから、畿内勢力の影響がみられるという。

さて、横穴式石室へ。

巨石に驚いたが、実際の地面(床面)はさらに70cm下とのことだった。
迫力に大満足であった。

馬の骨はどこへいった?2022/10/31

「みやこ古墳日和」で訪ねた、稲童古墳群(行橋市稲童)。

その中で最大の石並古墳(全長68m)は、帆立貝式の前方後円墳。
写真手前が前方部(長さ10m)だ。

後円部の高さは6mで、上に登ると海がよく見える。

右奥に見える小さな円墳が、稲童21号墳だ。
ここは未盗掘で、武器や馬具などが出土している(写真クリックで拡大)。

歴代、宋に遣使した倭の五王の時代(5世紀)の首長が石並古墳の被葬者で、21号墳はそれに仕えた武人(軍人)とみられるという。

馬具が出たというので馬の骨も出たかと九歴の人に尋ねると、馬の歯は出たが…というような答え。
実は気になっていたのが、馬具はよく見るのだが、肝心の馬はどこに消えたのだろうということ。

九歴のある小郡市では馬の骨がかなり出ているそうですねと言うと、「よくご存じですね」と言う。
「九歴ではあまり展示されませんね」と畳み掛けると、「そのテーマに絞ってやりましょうかね」との答え。
これは、乞うご期待❕❕

みやこ町の綾塚古墳2022/10/31

前述の橘塚古墳から歩いて15分くらいの距離の綾塚古墳。

こちらも横穴式石室で、その長さ19mは国内屈指。
九州では宮地嶽古墳の22mに次ぐ。

そしてここには家形石棺(長さ2.5m)が残されているのだ。

しかし、江戸時代に細川忠興が小倉に持っていこうとして、家臣が石棺を割って運ぼうとしたところ、さまざまな災難が起きたのであきらめたという。
だから石棺は大きく割れている。

また、ここは現在、女帝神社となっているが、以前は「女体宮、女体権現」と呼ばれていたそうだ。
写真を見てもらえば、石室入り口を見て昔の人が女体を連想したのはもっともだと分かる。
しかし近代になって「女体」はやめようと、女帝にしたのだろう。