昭和35年11月の家族写真2023/04/04

昭和35年11月、桜島・古里温泉の林芙美子文学碑前で。

母と姉と。

私は2歳11カ月だ。

忘れられた?蛇行状鉄器の線刻壁画2023/04/06

大阪府柏原市の高井田横穴群には、実にユニークで興味深い線刻壁画が数多く残されている。

http://www.city.kashiwara.osaka.jp/docs/2016091100053/?doc_id=5364

中でも注目したのが、馬の尻部に旗を立てるための蛇行状(だこうじょう)鉄器がはっきり表現されていることだ。

2/11付「蛇行(状)鉄器比較」に掲載した写真をクリックして見てほしい。
カメリアステージ歴史資料館(福津市)の説明にある、「▲…蛇行鉄器の描かれた壁画古墳」は朝鮮の高句麗古墳群がマークされているだけで、なんと高井田横穴群が抜けている。

先日、九州国立博物館で開かれた加耶展でも、蛇行状鉄器の展示において高井田横穴群への言及はなかった。

学芸員の目配りには限界があるにしても、不可思議で仕方がない。


史跡高井田横穴公園では、毎年5月と10月の第3土曜日に横穴の特別公開をおこなっており、横穴内部や線刻壁画をじっくり観察できるというので、ぜひ行ってみたいものだ。

資本金1億円以下の会社のメリット2023/04/06

かつて在籍した新聞社が昨年1月、資本金を4億円も減資して、8330万円にした。

つまり、資本金1億円以下の「中小企業」になったのである。

中小企業になると、税制上のメリットを得られる。

繰越欠損金を全額控除扱いできる、所得に軽減税率が適用される、年800万円以下の交際費を損金算入できる、法人事業税の外形標準課税が対象外になるなどの優遇措置だ。

企業の社会的責任として税金は払いたい。
しかし、背に腹は代えられないということだろう。

そもそも同社は「社員持ち株制度」で、増資も社員に株を割り当てて買わせることでまかなってきた。会社は懐を痛めていない。

しかし、減資に当たっては、会社が社員の株を買い戻さなければならない。

資本金のうちから4億円を使って、社員の持つ株を額面500円で買い取った。社員400人として1人平均100万円。
社員から集めた金を利子なしで返したのと同じだから、ここでも会社の懐は痛めていない。

取得した4億円分の株は「消却」し、減資手続きは完了した。

今の新聞業界の厳しさを考えれば、縮小経営を選択したのは理解できる。

ただ、この先はどうなるのか。

かつて、5万部くらいの鹿児島新報という新聞があった。
そこまで落ちるのは早いかもしれない。

すべては30年前の社長のある奇妙な決断に始まる。
https://restart.asablo.jp/blog/2017/08/24/8654958

直弧文は日本にしかない2023/04/15

写真左は九州国立博物館で開かれた「加耶展」の展示物である。

コンパス円文施文埴輪(太宰府市の成屋形古墳、5世紀)で、説明には「渡来人がつくった埴輪」と断定している。

果たしてそうだろうか。

写真右は同じ5世紀につくられた、福岡県広川町の石人山古墳の有名な家形石棺である。
後円部の現地に保存してあり、見ることができる。
写真では分からないだろうが、実物は大変な迫力だった。

屋根の両側に5つの円文と直弧文(直線と弧からなる複雑な文様、日本でしか見られない)が描かれている。

円文というのは普遍的な図形のように思えるが、実は縄文・弥生時代には渦巻文が盛んで、円文はほとんど使われていない。

装飾古墳の模写で唯一無二と言っていい、日下八光氏は著書『装飾古墳』(1967年)で、円文についてこう書いている。

「この簡単で美しい文様が、古墳時代になって盛んに用いられていること、およびコンパスもこの時代になってはじめて用いられていることなどから、あるいはコンパスという新しい道具が考え出され、それを使用して描く直弧文や円文、同心円文は、当時の新しい図案として盛んに流行したのではないだろうか」

コンパス円文施文埴輪が「渡来人がつくった埴輪」であるかどうかは、もう少し慎重な検討が必要ではないだろうか。

五郎山古墳の船2023/04/23

わが家の近くに、全国的にも有名な装飾古墳の五郎山古墳がある。
車で5分。

壁画には合わせて6隻もの船が描かれている。

そのうち最も大きな船には棺らしき四角い箱が乗せられていることから、死者の魂をあの世へ送る様子が描かれていると説明されている。

いわゆる「天鳥船(あまのとりふね)」思想と言って、鳥の案内によって死者の魂は船に乗り、天国に導かれるという考え方がある。

実際、うきは市の珍敷塚(めずらしづか)古墳や鳥船塚古墳の壁画では、船の舳先に鳥がとまっている。
五郎山古墳でも一羽の大きな鳥が飛んでいるような線がある。

ただ、当時の河川交通の重要性を考えれば、普通に交通・輸送手段としての船が描かれていると考えていいのではないかと思っていた。

日下八光著『装飾古墳の秘密 壁画文様の謎を解く』(1978年)を読んだ。

どうしてこんな古い本を読んだかというと、日下氏は画家で、文化庁の委嘱で装飾古墳壁画の模写を一手に任されて、24年間で残した成果は今も装飾古墳研究に欠かせない、唯一無二のものと言っていいからだ。
古墳にこもり壁画と対峙することで、学者にはつかめない、肝心かなめの処(本質)をつかんでいるに違いない。

案の定、「はじめに」では「理解しがたい事柄のすべてを『呪術的』の一語で説明してしまおうという傾向には賛成できない」という姿勢を明らかにしており、期待はいやがうえにも高まった。

さて、船の話に戻る。

日下氏は五郎山古墳について「博多方面に比較的近いという立地条件をもっていることなどから、被葬者は、あるいは多くの輸送船を持ち、海上でも活躍した豪族で、これらの船の図は実用の船を再現したものではないかと考えたこともあった」という。私と同じだ。

ところが、その考えを変えたのが鳥栖市の田代太田古墳だった(3/26参照)。
日下氏は昭和35年冬、田代太田古墳の模写を終えていたが、同44年夏にたまたま機会があって再訪したところ、前は気づかなかった船の図があって驚いた。冬の乾燥期には全く見えなくなるのだ。
さらに後の昭和51年、流れ込んだ土砂が除去された田代太田古墳に立ち寄ると、船の図が見つかった場所には追葬のための死床の石組みが掘り出されていた。
「ようやく、私はこの船の図はまさに【傍点】死床の奥壁【傍点】に該当することに気がついたのである」

横穴式石室は家族墓である。
後室奥壁の赤い立派な船は一族の主人のためのものであるとしても、中室右側壁に見つかった船の図は、そこに葬られた追葬者の霊の乗用に充てられたものであると日下氏はみなしたのである。

したがって、「五郎山古墳の多くの船の図についてもまた、複数の追葬者のために描かれたものと解釈する方がより妥当ではないかと思う」。
これなら私も納得できる。

また、熊本の弁慶ケ穴古墳には「馬を乗せた船の図」があるが、これも馬を輸入していた様子を表わすものというより、主人の死に際しての愛馬の殉死か、主人の死の旅立ちを見送る愛馬と解した方が妥当だろうという。

「このような例を順次みてくると、冒頭に記したような実用の船は少なく、ほとんどの古墳に描かれた船の図は、被葬者の霊が祖霊の国に渡るための乗用、もしくは葬送に関連のあるものであり、複数の船の図が存在することも、複数の被葬者のある横穴式石室においてはなにも不思議ではないことが解る」

コンパス=渡来人とは言えない2023/04/24

4/15に「コンパス円文施文埴輪が『渡来人がつくった埴輪』であるかどうかは、もう少し慎重な検討が必要ではないだろうか」と書いたが、やはりコンパス=渡来人とするのは短絡的なようだ。

コンパスで体に丸い模様を描いた人物埴輪があるという。
甲塚古墳って、どこの甲塚古墳かな?

五郎山古墳の被葬者2023/04/30

五郎山古墳の被葬者が分かった。

これまだ誰も発表してないよね?

どうしよう笑