南北九州の交流(塞ノ神式土器)2023/05/15

さて、東名遺跡の続きである。

東名縄文館で手に入れたパンフ(どれも非常によく出来ている)によると、東名遺跡から出土する土器のほとんどは塞ノ神(せのかん)B式土器と呼ばれる縄文時代早期の土器で、南九州に多く見られるという。

口が開いた平底のバケツのような形の土器である。
ハイガイなどで文様をつけているのが特徴。

有明海を介した南九州との交流が考えられるわけだが、一昨日(13日)に鹿児島市のふるさと考古歴史館を訪ねて、まさにその塞ノ神式土器に再会した。その話は次回。

木製仮面2023/05/12

一昨日、佐賀市金立町にある縄文時代早期、8000年前の東名(ひがしみょう)遺跡を訪ねた。

東名縄文館という瀟洒な建物の中で、人面状木製品なる不思議な出土品を見た。
縁に6か所の穴が開き、裏には棒をあてがうような削り込みがあることから、棒にくくり付けて掲げたのではないかとみられており、いわゆる仮面かどうかは分からない。
それから6000年も後の木製仮面によく似ているのが興味深い。

ムカデふたたび2023/02/04

森浩一さんの『日本の深層文化』(ちくま新書)を読んでいたら出てきたのが、写真右の人物鳥獣文鏡。

森さんはこれを擬人化したムカデとみる。

類例はないらしい。

「ムカデは、他の銅鏡にはまったくあらわれていないし、銅鐸の絵画にもない」という。
もちろん中国鏡には似た物さえない。

私は、縄文時代にあるよ!と教えたかった。
昨年9/30に書いた大好きな縄文土器である(写真左、九州国立博物館蔵)。

森さんはこう描写する。
「この大きな多足の虫は、丸い頭があって長大な体部につづくのだが、頭からつづく体部の半ばまでが、やや幅を広くして胴といった感じ、のこりの半ばは幅がせまく尻尾の感じである。頭につづく胴から、左右に二本の短い手(前肢)を突き出し、先端が三本指になっている」

縄文と古墳時代、3000年は隔たっているのに、両者の共通性はかなりのものである。

森さんは「大ムカデ退治は、四世紀の人びとが生活の場を切りひらくうえで、現代人がおもう以上の試練があったのではなかろうか」と言う。
その通りだろう。

私も南薩摩の枕崎に仕事で3年間暮らしたときにムカデには悩まされた。
熱湯をかけて殺処分していた。
私は幸い、刺されたことはなかったが、隣の加世田にいる同僚は寝ている間に顔を噛まれたというのでゾッとしたものだ。

竪穴式住居に住む古代人にとっては、ムカデの存在はかなり厄介なものだっただろう。

本当に竪穴式住居に住み続けたのか2023/02/01

写真は西暦700年頃に建てられた竪穴式住居を復元したものだ(指宿市の橋牟礼川遺跡)。
縄文時代ではない。
古墳時代の末である。

日本人は縄文、弥生、古墳と時代が変わっても、こんな掘っ立て小屋みたいな粗末な家に住み続けたことになっている。

本当だろうか。

古墳時代にはあんな立派な石室を造っている。

家形埴輪には立派な家が数多くみられる。

アイヌは先住民族ではない2023/01/26

北大の教員が「アイヌは先住民族ではないことは確か」とSNSに投稿して〝不適切〟とされ、投稿は削除されたという。

これで思い出したのが、一昨年、北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産に登録されたことである。

昨年11月には1周年記念のフォーラムが福岡県大野城市でもあった(写真はそのときの展示物)。

縄文時代は約1万5000年前に始まり約2400年前まで、1万2000年以上も続いた狩猟・採集文化の時代である。

しかし、4人の専門家の話の中にはアイヌのアの字も出なかった。

そのうちの同志社大学教授によると、縄文文化は見事に北から南まで日本の領土を覆い尽くしているという。

北方領土まで縄文文化があり、その先のウルップ島に行くとないのだという!

まさに縄文文化が日本文化の基層であり、縄文人が日本人のご先祖なのだ。

アイヌが先住民族だと強弁する人たちは、10年以上の厳しい審査を経て認められた世界遺産登録の意味をよ~く噛みしめるべきだろう。

縄文土器の文様解読②連続三角文2022/11/20

縄文土器の文様と、装飾古墳の文様とで共通するのが連続三角文だ。

縄文土器では粘土紐で描かれ、装飾古墳では彩色(顔料)で描かれたという違いはあるが、よく似ている。

内田論文によると、連続する三角は「峰の連なり」であり、人域と霊域をへだてる結界の形を表わしているという。

そういえば、装飾古墳の多い筑後地方は、平野をぐるりと連山が囲んでいる。
複雑な文様の縄文土器の多い、長野や山梨、関東もそうだろう。

台地と錦江湾と桜島という、私の育った鹿児島の景色とはかなり違う。

縄文土器の文様解読①2022/11/20

装飾古墳の文様解読に当たって、先行する研究はないか調べていたら、縄文土器の文様解読の論文を見つけた。

縄文土器、銅鐸、装飾古墳、この三つの文様に興味がある。

縄文時代、弥生時代、古墳時代という日本の「無文字時代」にあって、実はこれらの文様が文字の役割をしていたのではないかと考えるからだ。

書いたのは東京の清瀬市郷土博物館の学芸員、内田祐治さんだ。
論文のタイトルは「中期縄文土器の文様構造─清瀬市域出土土器の文様解読─」。

ネットでPDFが公開されている。
45ページの力作だ。

難解な所もあるが、これだけ正面から縄文土器の文様解読に挑んだものは読んだことがなかったので実に面白く読んだ。
何より34もの土器の文様を具体的かつ詳細に分析しているのが素晴らしい。

二つだけ挙げる。

普通、絵は写実に始まり、抽象に向かうと考えられるが、縄文土器はそうではない。
「野生の思考(注=縄文人の思考)のなかには、具象から抽象化が起こされているのではなく、いわば関心のおもむくままの断片を集めたような抽象描写から、それらの概念を求める葛藤をへて、はじめて全体をとらえる具象描写できる感覚が呼び起こされてくる」

もう一つ、縄文土器の文様は四つの区画に分かれ、起承転結になっているとの指摘には感心した。