吹上浜拉致から40年2018/01/07

産経新聞で楽しみな連載が今日から始まった。

いや、「楽しみ」と言ったら語弊がある。

38年前の今日、1980年1月7日、初めて「アベック3組ナゾの蒸発 外国情報機関が関与?」と報じた産経新聞の記者による「40年目の検証 私の拉致取材」だ。

彼はのちに「北朝鮮による日本人拉致事件疑惑 17年を隔てた2件のスクープ」で新聞協会賞を受賞するが、なぜ国民が拉致は事実であるという共通の認識を持つまでにこんなに時間がかかったのか、自戒を込めて明らかにしていくという。
元新聞記者として興味があるので、「楽しみ」と書いてしまった。

昭和53(1978)年8月12日、市川修一さんと増元るみ子さんは「夕日を見に行く」と言って吹上浜海岸に出かけたまま行方不明になった。
私は当時大学生だったが、2、3歳上、ほぼ同世代だ。

拉致が明らかになってからも、地元の南日本新聞は「拉致被害者を取り戻せ」というキャンペーンを張ったことはない。

少なくとも私のいた10年前までなかった。
そのときまでなければ、この10年もなかっただろう。

内閣府の拉致対策本部が自治体の協力を得て上演している「めぐみへの誓い―奪還」という拉致問題啓発舞台劇がある。
年に6回ほど各地で上演され、九州ではこれまで福岡市、佐賀県伊万里市であった。

私も福岡市で見たが、日本人なら必見の舞台だ。
中学1年生だった横田めぐみさんが新潟の海岸で拉致されるシーンや、めぐみさんや田口八重子さんたち拉致被害者の北朝鮮での生活も描かれ、生身の人間が演じるだけに非常に生々しい。

同劇の企画者である上島嘉郎さん(元月刊『正論』編集長)によると、内閣府の担当者から鹿児島県の窓口(保健福祉部社会福祉課 直通099-286-2828)にも打診しているが、どうも熱意がないという。

まずは問題を知ること、忘れないことが第一歩。なぜ公演の一つもできないのか、理解できない。

各自治体の担当課が自発的に手を挙げることはなく、首長の鶴の一声や、県民の強い要望が、開催に向けて大きな力となる。
組織だっての働きかけでなくても、電話一本、鹿児島県での開催を要望する県民の声を担当窓口に寄せていただければ幸いです――と上島さんは言う。

県庁所在地でなくともいい。
熱意をもって手を挙げてくれる自治体を待っている。

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