労働組合は必要か2018/04/21

35年前、新聞社に入社した時、組合に興味などなかったが、全員加入のユニオンショップ制だった。

私は7月入社の中途採用だったが、4月入社の同期たちに見事、はめられた。

記者で採用された者は全員、校閲部に配属される。
校閲作業をしながら記事の書き方を学ぶためだ。

その年は採用が多く、記者の同期が私を含めて6人いた。

ただし私は7月入社だったので、組合の研修も受けておらず、組合の何たるかを全く知らなかった。

他の同期が、組合の班長(校閲、地方、庶務の三職場で構成)になってくれと懇願する。
頼まれると断れない私は、さして考えもせず承諾した。

全く知らなかったが、班長は定期的に班会を開いて、組合員の意見を集約しなければならない。

組合の定期大会は夏8月にあるので、班長になって早速、議案書について班会を開いた。

私はさっさと済ませばいいと思い、「いいですね、いいですね」とどんどん進行した。

校閲部には新人以外に、人事の吹き溜まりのように年配者がいる。
その一人が「いいですね、とはなんだ!」と怒り出した。
最初、意味が分からなかったが、もっとじっくり討議するものらしい。
そんなことは誰も教えてくれなかった。

それも不快だったが、さらに翌年、とんでもないことが起こった。

翌春の異動で、他の同期は取材部へ晴れやかに飛び立っていった。
私だけが校閲部に残留した。

班長や執行委員は夏の定期大会で交代するので、春には動かせないのだ。
見事に同期たちに謀られたのである。

お人好しはこんな目に遭う。

本日一面の「JR東労組2・9万人脱退」の記事を読んで思い出した。

当時の南日本新聞労組は共産党員が主導していた。
重ねて言うが、私は組合活動に全く興味がなかった。

30代の時は執行委員をやった。
ユニオンショップで、誰でも一度はやらないといけないというのでやっただけだ。

編集分会長という、編集局の組合員全体をまとめる立場だった。
組合員から上がった意見は伝えないといけないと思い、団体交渉の場で発言した。別に私の意見ではない。

だが、拾田という労担に憎まれた。
彼は組合の書記長(専従)までやった人だから、こちらの立場はじゅうぶん分かっているくせに、組合員の要求を伝えると、「君はねえ…」と怒気を含む。

組合では印刷や発送などの現場が強い。
そうしたところからの要求には、へいこらしているくせに、編集には何を言うかという態度なのだ。

このときの組合の委員長は編集職場の人で、私は毎晩、飲みに付き合ってやったが、全然、私を擁護してくれない。

そのくせ、毎晩、天文館に強引に私一人を付き合わせる。先輩なのに完全割り勘。1年で200回は行ったのに一度たりとも奢ってくれなかった。
お人好しは利用されるだけだ。

のちに労担は社長となり、私に大変な嫌がらせをするが、ここでは書かない。ブログの中にあるので、興味のある人は探してほしい。

とにかく、組合活動でよかったことはない。

一番肝心な時。
昨日書いた、人の運命を左右する人事異動の問題などには組合は何の力にもならない。
いったい何のためにあるのか。
結局は共産党(全労連)に利用されているだけではないか。

毎年、判で押したように春闘をやって。
新聞社の組合が平気で赤旗を振っていた。
来客もいるのに、「闘争指令、闘争指令」なんて館内放送して。

闘争のおかげで賃金が上がり、労働条件が改善されていたのだろうか。単に景気が良かっただけじゃないのか。
ましてや今、賃金も上がらないのに、反社会的なストだけやろうとしても組合員が大量に脱退するのは当然だ。

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