LGBTにみる西欧主義 ― 2018/09/30
昨夜8時からのAbemaTV「みのもんたのよるバズ」を見た。
テーマは【「新潮45」休刊!「常識を逸脱した偏見」の波紋】。
出演者は、評論家の小川榮太郎、元参院議員でLGBT当事者の松浦大悟、維新の会衆院議員の足立康史、元東京都議の塩村あやか、精神科医の木村好珠、モデルで慶大生のトラウデン直美。
まず、全体の印象を。
みのもんたは年取ったな~という感じ。
ややボケ気味で、もうこの手の司会は無理かもしれない。
ただ、議論がヒステリックにならなかったのは、みのの老練さか。
小川は懇懇と我慢強く持論を訴える姿勢に好感が持てた。
松浦は「新潮45」では結構バランスの取れたいい文章を書いていたのに、言葉ではうまく伝えられなかった。
足立は疲れているのか、いつもの鋭さや話術に欠けていた。
LGBT擁護だったのは意外で、彼の過激な保守主義に合わず、がっかりした。
やはり維新はダメだ。
トラウデン直美はすごい美人。言うこともまともだったが、まだあまりスタンスははっきりしていない様子。
木村もよくスタンスが分からなかったが、相手の意見にきちんと耳を傾ける姿勢は評価できた。
問題は塩原で、いかにもヒステリックそうな女性活動家のタイプで心配されたが、みののボケのおかげか、なんとか最後まで抑えられていた。
議論の中身では、小川の「LGBTという欧米の概念で、日本の家族や結婚の伝統を壊すことはない」という趣旨に共鳴した。
思い出すのは2日前に取り上げた梅原猛の「日本の思想は西欧主義から国家主義、国家主義から西欧主義、そしてまた西欧主義から国家主義へと、ほとんど無反省な変転の繰り返しであり、今後もこの繰り返しを続けるであろう」という一文だ。
ネット上の「知恵蔵」によると、LGBTとは「もともと欧米などで使われていた言葉で、米国で差別撤廃や法的権利獲得などを求めて別々に活動していたレズビアンやゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの人々が、1990年代のエイズ問題を機に連帯し、自分たちをLGBTと呼ぶようになった。
日本では、90年代から『プライド』と呼ばれるLGBTの人々などによるパレードや映画祭など、LGBTへの理解を深める活動が各地で行われるようになり、LGBTという言葉が広まっていった。広告会社である電通が2015年、20~59歳の男女約7万人を対象に行った調査によると、LGBTに該当する人の割合は7.6%だった」とある。
ここに明らかなように、欧米発祥の概念である。
もともと「おかまやホモ、レズ」といった同性愛に嫌悪感を持つ人はいても差別はなく、歴史上も偏見なく長く容認されてきた日本では、わざわざLGBT運動なんて起こす必要もなく、20年以上広まらなかった。
それが近年、急に市民権を得たのは、知恵蔵にもあるように電通によるものだ。今、名前は出てこないが、このブログにも以前書いたことがある気がするが、電通のある人が非常な左翼で、一生懸命にLGBTを日本に広めた結果である。
問題はそもそも日本にはなかったLGBT差別を欧米から導入して、社会を糾弾する材料にする必要があるのかということだ。
一電通人の思惑に国家が左右されることがあってはならないが、梅原が言うように、日本には「西欧主義」が染みついているのである。
自民党も野党も慌ててLGBT保護法案を提出しようとしているのが現状だ。
これに対抗する論理は、国家主義しかないのか。
いや、西欧主義でも国家主義でもない道を取るべきだと梅原は言う。
梅原はそれを「何主義」と命名できているわけではない。
やや漠然とした形で提案している。
「私はそういう可能性(注=国家主義が台頭してくる可能性)があるからこそ、日本の伝統をはっきり捉え、自己とは何であるのか、今後の世界の歴史の中で自己の文化的伝統がどう生かされるのかを真剣に問う必要があると思う。あの(注=昭和20年までの)国家主義の方向に歴史を持っていくことは決して賢い日本の道ではない。
世界の中で自己の文化的伝統を深く考え、その伝統をどう生かすか、深く思索しなくてはならない」
現代は「深い思索」とは真逆の時代だ。
「西欧主義」による、短絡的で拙速な対応の時代だ。
LGBT差別と言われたら、社会の総意もなく慌てて同性パートナーシップ認定証を発行する自治体が出てくる。
新潮社という日本有数の出版社がすぐに謝罪して、雑誌を廃刊する。
小川榮太郎が言うように、人類が何百年、何千年とかかって築いた男女の婚姻という叡智を、わずかな時間で拙速に変える必要はないのだ。
テーマは【「新潮45」休刊!「常識を逸脱した偏見」の波紋】。
出演者は、評論家の小川榮太郎、元参院議員でLGBT当事者の松浦大悟、維新の会衆院議員の足立康史、元東京都議の塩村あやか、精神科医の木村好珠、モデルで慶大生のトラウデン直美。
まず、全体の印象を。
みのもんたは年取ったな~という感じ。
ややボケ気味で、もうこの手の司会は無理かもしれない。
ただ、議論がヒステリックにならなかったのは、みのの老練さか。
小川は懇懇と我慢強く持論を訴える姿勢に好感が持てた。
松浦は「新潮45」では結構バランスの取れたいい文章を書いていたのに、言葉ではうまく伝えられなかった。
足立は疲れているのか、いつもの鋭さや話術に欠けていた。
LGBT擁護だったのは意外で、彼の過激な保守主義に合わず、がっかりした。
やはり維新はダメだ。
トラウデン直美はすごい美人。言うこともまともだったが、まだあまりスタンスははっきりしていない様子。
木村もよくスタンスが分からなかったが、相手の意見にきちんと耳を傾ける姿勢は評価できた。
問題は塩原で、いかにもヒステリックそうな女性活動家のタイプで心配されたが、みののボケのおかげか、なんとか最後まで抑えられていた。
議論の中身では、小川の「LGBTという欧米の概念で、日本の家族や結婚の伝統を壊すことはない」という趣旨に共鳴した。
思い出すのは2日前に取り上げた梅原猛の「日本の思想は西欧主義から国家主義、国家主義から西欧主義、そしてまた西欧主義から国家主義へと、ほとんど無反省な変転の繰り返しであり、今後もこの繰り返しを続けるであろう」という一文だ。
ネット上の「知恵蔵」によると、LGBTとは「もともと欧米などで使われていた言葉で、米国で差別撤廃や法的権利獲得などを求めて別々に活動していたレズビアンやゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの人々が、1990年代のエイズ問題を機に連帯し、自分たちをLGBTと呼ぶようになった。
日本では、90年代から『プライド』と呼ばれるLGBTの人々などによるパレードや映画祭など、LGBTへの理解を深める活動が各地で行われるようになり、LGBTという言葉が広まっていった。広告会社である電通が2015年、20~59歳の男女約7万人を対象に行った調査によると、LGBTに該当する人の割合は7.6%だった」とある。
ここに明らかなように、欧米発祥の概念である。
もともと「おかまやホモ、レズ」といった同性愛に嫌悪感を持つ人はいても差別はなく、歴史上も偏見なく長く容認されてきた日本では、わざわざLGBT運動なんて起こす必要もなく、20年以上広まらなかった。
それが近年、急に市民権を得たのは、知恵蔵にもあるように電通によるものだ。今、名前は出てこないが、このブログにも以前書いたことがある気がするが、電通のある人が非常な左翼で、一生懸命にLGBTを日本に広めた結果である。
問題はそもそも日本にはなかったLGBT差別を欧米から導入して、社会を糾弾する材料にする必要があるのかということだ。
一電通人の思惑に国家が左右されることがあってはならないが、梅原が言うように、日本には「西欧主義」が染みついているのである。
自民党も野党も慌ててLGBT保護法案を提出しようとしているのが現状だ。
これに対抗する論理は、国家主義しかないのか。
いや、西欧主義でも国家主義でもない道を取るべきだと梅原は言う。
梅原はそれを「何主義」と命名できているわけではない。
やや漠然とした形で提案している。
「私はそういう可能性(注=国家主義が台頭してくる可能性)があるからこそ、日本の伝統をはっきり捉え、自己とは何であるのか、今後の世界の歴史の中で自己の文化的伝統がどう生かされるのかを真剣に問う必要があると思う。あの(注=昭和20年までの)国家主義の方向に歴史を持っていくことは決して賢い日本の道ではない。
世界の中で自己の文化的伝統を深く考え、その伝統をどう生かすか、深く思索しなくてはならない」
現代は「深い思索」とは真逆の時代だ。
「西欧主義」による、短絡的で拙速な対応の時代だ。
LGBT差別と言われたら、社会の総意もなく慌てて同性パートナーシップ認定証を発行する自治体が出てくる。
新潮社という日本有数の出版社がすぐに謝罪して、雑誌を廃刊する。
小川榮太郎が言うように、人類が何百年、何千年とかかって築いた男女の婚姻という叡智を、わずかな時間で拙速に変える必要はないのだ。
天皇家はなぜ続いたのか② ― 2018/09/30
梅沢恵美子『天皇家はなぜ続いたのか』(ベスト新書)という、そのものずばりのタイトルの本がある。
在野の研究者のようだが、とりあえず「天皇家存続の謎」に関する入門書としてはいいだろう。
同書の序章には「天孫降臨の神話で、『天皇』は、神の血を引く者しかなれないとされて(略)たとえ力で『天皇』位を手に入れたとしても、天皇になれる血が流れていない限り、それはもう誰がみても、神=天皇という価値は見いだせない。(略)不比等が、藤原の繁栄を目論んでつくり上げた『天孫降臨』は、『天皇』を守り、この後も権力者の象徴として、『天皇』は、幾多の激動の時代を通して存在しつづけるのである」とある。
また、大山誠一『天孫降臨の夢――藤原不比等のプロジェクト』(日本放送出版協会)が上山春平氏の説を紹介している。
それによれば、「藤原氏の支配の論理をたくみに織り込んだものとして不比等が製作したのが『日本書紀』の神話で、なかんずく、天孫降臨神話こそ、藤原ダイナスティの成立を記念するモニュメントであるという」といい、「本稿での私の叙述も、基本的にこの上山説をふまえたものである」からには、本家本元の上山春平を読まねば!
ところが、上山氏の代表作『神々の体系』(中公新書)は絶版で、中古書店に注文。届くまでの間に、本棚にあった梅原猛『海人と天皇』を読んだ話は一昨日書いた通りだ。
さて、『神々の体系』だが、1972年刊と古いため、期待していた内容とはやや違った。
私としては、藤原不比等が天皇家の「万世一系」を創作した真相――つまり、日本の歴史の根幹に触れる部分――が解き明かされるものと期待していたのだ。
ところが、当時、「記紀を天皇家のための歴史と見る考えは、津田左右吉以来、ほぼ古代史研究の主流をなして」いたのであり、上山氏の「天皇家のためというよりはむしろ藤原家のためと見るべきではないか」という問題提起が革新的なものであり、まずはそれを説得するのが第一であったのは仕方がない。
しかも、全く上山氏が初めて独自に言い出した説というよりは、それまでのさまざまな研究を総合しての説なので、それの説明に紙幅を費やすのも仕方がない。
はっきり言って、上山氏オリジナルではないのだ。
中でも井上光貞氏の研究は、すでに上山氏の主張に先行している。 井上光貞といえば、タイトルは忘れたが、高校時代から私の本棚に一冊の本がずっと鎮座していた。
上山氏は、井上氏の「古代の皇太子」という論文を引用している。
「律令法の継承に伴って直系主義が輸入・実施されたちょうどその時期に、記紀が編纂されたという事実を考慮に入れるならば、記紀編纂当時の人々が皇位継承はかくあるべしと信じていたその思想が過去に投影されたものとみなしてよいであろう」
なんのことはない、上山氏はこの記紀編纂の責任者が藤原不比等であると言っているだけなのだ。
これだけの指摘でも、画期的だったのだろう。
しかし、私の疑問である、天皇家が世界最古の2000年も続いたナゾ(2位のデンマークは約1000年)の核心部分は解決されなかった。
梅沢恵美子氏の言葉を借りれば、「本当に知りたい『天皇の正体』、『天皇が存続しつづけられた理由』は、未だに明らかにされていない」「多くの学者が闘わす議論のなかに、本当に知りたいことは含まれていない」のである。
「作家のエージェント」を試してみたら… ― 2018/09/30
「作家のエージェント」というA社。
手持ちの原稿を送ると、「優れた企画・原稿と判断した場合には、詳細な条件などをご説明し、ご承諾を得た上で、弊社があなたのエージェントとして、出版に向け、あなたの企画・原稿にさらに磨きを加え、出版までお手伝いします」という。
O社長が同郷でもあり、ずっと関心を持っていた。
これまでの実績では、応募のあった企画・原稿の中で実際に出版にいたるのは全体の1割程度という。
「厳しい現実という印象を お持ちになるかもしれませんが、見方を変えれば、1割は確実に出版に結びついているのだとも考えられます」
確かにそうだ。
魅力的だが、原稿を見てもらうのに54,000円かかる(400字詰原稿用紙400枚まで。それ以上は、さらに加算)。
おいそれと出せる金額ではない。
合格なら安いが、ダメなら5万4000円はかなり痛い。
なかなか踏み出せなかった。
しかし、この夏、これなら1割のハードルを超えられるかもしれない、という原稿ができた。
得意の林芙美子と大東亜戦争がテーマのノンフィクション。
類書はない。
思い切ってA社に送ってみるか!
7月中旬に送り、一カ月ほどで返事するということだったが、遅れ、催促した揚げ句、8月下旬にようやく待ちに待った返事が来た。
結果は……却下。奈落の底へ突き落とされた。
曰く。大東亜戦争を新たな視点でとらえる本はニーズがある。
しかし、林芙美子がいけないという。
これまでの例から見ても、
弊社は「総合出版社」との取引が中心。「専門出版社」は初版部数や印税などが少なく、著者にも弊社にもメリットが少ない。
自分で直接、専門出版社へ持ち込んだらどうか、という。
つまり、「儲からないから、うちではやりたくない。自分で小さな出版社へ持って行け」というわけだ。
添削も何も返ってこないから、ほんとにちゃんと読んだのかも疑わしい。
インチキ商売とまでは言わないが、かなり「楽な」商売をしているなという印象は否めない。
すべてがすべてダメとは言わない。
ベストセラー狙いのビジネス書やハウツー本の企画を持っている人はいいだろう。
つまり、たくさん売って儲けたい人専用だ。
文芸・学芸・ノンフィクションの原稿を持つ人はやめたほうがいい。
雑誌「正論」にメジャーデビューして、初めて頂いた貴重な原稿料の多くが消えてしまった。痛恨。高い授業料だった。
どうか、参考にしていただきたい。
手持ちの原稿を送ると、「優れた企画・原稿と判断した場合には、詳細な条件などをご説明し、ご承諾を得た上で、弊社があなたのエージェントとして、出版に向け、あなたの企画・原稿にさらに磨きを加え、出版までお手伝いします」という。
O社長が同郷でもあり、ずっと関心を持っていた。
これまでの実績では、応募のあった企画・原稿の中で実際に出版にいたるのは全体の1割程度という。
「厳しい現実という印象を お持ちになるかもしれませんが、見方を変えれば、1割は確実に出版に結びついているのだとも考えられます」
確かにそうだ。
魅力的だが、原稿を見てもらうのに54,000円かかる(400字詰原稿用紙400枚まで。それ以上は、さらに加算)。
おいそれと出せる金額ではない。
合格なら安いが、ダメなら5万4000円はかなり痛い。
なかなか踏み出せなかった。
しかし、この夏、これなら1割のハードルを超えられるかもしれない、という原稿ができた。
得意の林芙美子と大東亜戦争がテーマのノンフィクション。
類書はない。
思い切ってA社に送ってみるか!
7月中旬に送り、一カ月ほどで返事するということだったが、遅れ、催促した揚げ句、8月下旬にようやく待ちに待った返事が来た。
結果は……却下。奈落の底へ突き落とされた。
曰く。大東亜戦争を新たな視点でとらえる本はニーズがある。
しかし、林芙美子がいけないという。
これまでの例から見ても、
女がテーマだと売れない。
ただし、筆力や取材力などは申し分ないので、「専門出版社」なら検討してくれるかもしれない。弊社は「総合出版社」との取引が中心。「専門出版社」は初版部数や印税などが少なく、著者にも弊社にもメリットが少ない。
自分で直接、専門出版社へ持ち込んだらどうか、という。
つまり、「儲からないから、うちではやりたくない。自分で小さな出版社へ持って行け」というわけだ。
これだけのメール一通で、5万4000円!
添削も何も返ってこないから、ほんとにちゃんと読んだのかも疑わしい。
インチキ商売とまでは言わないが、かなり「楽な」商売をしているなという印象は否めない。
すべてがすべてダメとは言わない。
ベストセラー狙いのビジネス書やハウツー本の企画を持っている人はいいだろう。
つまり、たくさん売って儲けたい人専用だ。
文芸・学芸・ノンフィクションの原稿を持つ人はやめたほうがいい。
雑誌「正論」にメジャーデビューして、初めて頂いた貴重な原稿料の多くが消えてしまった。痛恨。高い授業料だった。
どうか、参考にしていただきたい。
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