縄文土器のモチーフの意味2022/11/03

小林達雄『縄文土器の研究』から「人体モチーフのいろいろ」(鈴木保彦氏作成)。

縄文土器、特に縄文中期(5000年前)のものには、ナスカの地上絵を彷彿とさせる、いや、それ以上に面白い文様が描かれている。

先日、竹倉史人『土偶を読む』を読んだ。

彼は「土偶は食用植物と貝類をかたどっている」という仮説に基づいて、土偶を九つのカテゴリーに分けてモチーフを解読した。

例えば、遮光器土偶はサトイモの精霊像である、というのが彼の結論である。
なかなかに説得力があり、面白かった。

しかし、彼のモチーフ解読が縄文土器にも当てはまるかというと、これはとてもそうは言えないだろう。
ご覧の通り、全然、別世界である。

縄文土器の文様には一体どんな意味があるのか。

11/1付の装飾古墳の文様を見てほしい。
どこか縄文土器の文様に通じるものを感じないだろうか。

装飾古墳が6世紀(紀元500年代)のものだとすれば、5000年前から1500年前にかけて、およそ3500年もの間、われわれの祖先が同じようなモチーフを訴えかけている。
なんとか読み取れないものか。

縄魂弥才2022/11/03

「和魂洋才」ならぬ「縄魂弥才」と言ったのは、梅原猛である。

日本の土着的な縄文の魂と、中国の技術(水田稲作や金属器)のことだ。

この言葉は大きなヒントになる。

縄文時代の芸術性が弥生時代には廃れた。
しかし、日本人は縄文の魂を胸の奥に秘めていた。
それが古墳時代に表出したのが埴輪であり、石室の装飾文様である。

ところが、装飾古墳の素晴らしさも、高松塚古墳のような朝鮮的・中国的な壁画を機に消滅する。

思うに、縄文・古墳時代は「縄魂」で、弥生・飛鳥時代は「弥才」ではなかろうか。

もちろん前者がずっと素晴らしく、惹かれる。
後者にはどこか違和感がある。