60から「もうひと花」咲かせるには2018/02/02

60代になって、「人生もうひと花咲かせたい」という気持ちと、「そろそろ人生の終わり方を考えなくては」という思いとがせめぎ合っている。

安倍晋三首相が63歳。
皇太子殿下は今月23日で58歳。来年5月1日に即位されるときは59歳だ。

国のトップリーダーたちは同世代とはいえ、凡人には腕を振るうべき仕事もない。

50歳で早期退職して10年。
「もうひと花」咲かせるべく、それなりにチャレンジしてきた。
①大学に編入して卒業した。
②2度就職して働いた(一度は東京で1年間暮らした)。
③本を出版した。
④資格取得(戦史検定、校正技能検定、知的財産管理技能士)
⑤小池百合子政治塾「希望の塾」卒塾(ご存じのとおりの大茶番。文字通り高い授業料を支払った)

しかし、どれも「もうひと花」とまではいかなかった。
60歳になり、元の会社にいても結局、定年を迎えていたわけだ。

だから、「もうひと花」という気持ちより、「そろそろ人生の終わり方を考えなくてはならないのではないか」という思いが勝ってくる。

その指針として、弘兼憲史「黄昏流星群ベストオブベスト」全3巻を読んだ。
現在56巻まで刊行されているようだが、さすがに読み切れないので自選傑作集にした。

黄昏の空に光る流星のような最後の輝き――。
中高年のさまざまな人間模様を描いた短編集だが、弘兼憲史だから性的な要素も重視される。
「もうひと花」とは、「死ぬまでにもう一度、燃えるような恋をしてみたい」ということでもあるのだ。

「老後の性」といえば、忘れられない記事がある。
昨年12月15日付産経新聞の坂爪真吾氏「性的貧困の無艶社会とどう向き合う」だ。

高齢期の性を充実させるために必要なのは「性に関する自分なりのパートナーや居場所を作ること」だといえる。
たとえ他人や世間から見て眉をひそめられるような状態、滑稽な状態に見えたとしても、誰を(何を)パートナーや居場所として選ぶかを決めるのは、あくまで自分自身。

「黄昏流星群」にも通底する考え方だが、さて、あなたはどう考える。

フェミニストは地方をも侵食2018/02/02

地元の広報誌を見ていたら、頭に血が上った。

まず、人権センター公開講座・県民講座として、香山リカの講演会。

市議会では公明党の女性議員が、LGBTへの取り組みについて質問。

いわく、LGBTに対する支援体制は小学校から必要。
また、LBGTQ(自身の性自認や性的思考が定まっていない人)の児童生徒への対応について。

対する教育長の答弁。

教職員の理解促進のための研修や、LGBTの授業について研修を行っている。
LGBTQの児童生徒への理解については、日常のジェンダーフリーの取り組みも大事にしながら、理解促進のための取り組みを進めていく。

ああ…恐るべき、フェミニストたちの浸透ぶり。

ラディカルフェミニズムほど人間を貶める愚劣なイデオロギーはない。ところがこれが絡むと社会が金縛りにあったように発言できなくなる。 ――小川榮太郎

島津斉彬の描き方は新しい2018/02/06

大河ドラマ「西郷どん」は史実をでたらめに描いていると非難する声がある。

そうでもない。

むしろ、よく勉強していると感心することも多い。

戦国時代のように史料が少なく、作家や脚本家が想像で自由に描ける余地のある時代と違って、幕末維新は史実はほぼ明らかになっているといえよう(ただし歴史だから、解釈はいろいろ。西郷像も人によって違う)。

ともあれ、自分が知っている史実と違う!と文句をつける人が多い時代だ。

しかし、テレビドラマは、史実再現ドラマではない。
エンターテインメントだ。

あまりにひどく史実を捻じ曲げるのは問題だが、史実の隙間を縫って、面白くする必要がある。

たとえば、島津斉彬。
完全無欠の英明な藩主というイメージだが、今回はずるいところもある野心家に描いた。

父の斉興とロシアンルーレットをやったり、西郷隆盛と相撲を取って投げられたり。いいじゃないか。

実は、斉彬=善、英明。久光=悪、暗愚。
という分け方は非常におかしいと私も思っていた。

久光は今のところ気のいい男に描かれているが、これが大化けして薩摩を率いる立派な藩主へと変わる成長譚になるに違いない。楽しみだ。

日本書紀に見る日韓のありよう2018/02/07

「日本書紀」を改めて通読した。

朝鮮半島との交流は、どの天皇の治世も途切れなく記述される。
いかに関係が深かったかは予想以上だ。

意外なのは、百済、新羅、高麗の3国はずっと、日本国の天皇を尊敬し、日本に朝貢する立場であるということだ。

今日、文化・文物はほとんどすべて朝鮮半島から伝えられたと学者は言い、それを信じている人も多いが、全く逆で、日本は一貫して指導的立場にあった。

やはり人の学説ではなく、一次史料に当たる大切さがここにもある。

3国は基本的には日本に服属しているが、ときどき日本に無礼を働いて討たれる。
3国同士は仲が悪く、繰り返される戦乱の中、任那(日本の領土)や百済は滅ぼされる。

日本書紀に描かれる外交史はだいたいこれに尽き、中国(隋、唐)の影ははるかに薄い。

足立康史氏の言論を封じるな2018/02/07

3月7日(水)PM6:30から東京の烏山区民センターホールである、足立康史・衆議院議員と阿比留瑠比・産経新聞政治部論説委員の講演に行くことにしている。すでに先月、申し込んだ。

足立議員についてよく知っていたわけではない。
朝日新聞と戦っている二人の話を聞きたいと思っただけだ。

ただ、ここに来て俄然面白くなった。

足立議員は5日の衆院予算委員会で質問に立ち、立憲民主党の辻元清美国対委員長が森友学園問題に「関係している」と述べた。
また、自民党の石破茂元幹事長についても「加計学園問題の本丸」「自民党の顔をしているが、野党とグルかもしれない」と発言した。
さらにしばしば共産党を悪の代名詞として引き合いに出し、「自民党大阪府議団は共産党以下」などとこき下ろした。

私はテレビで見ていて実に痛快だった(なにしろ正論なのだ)が、日本維新の会は6日、足立氏の国会議員団幹事長代理などの役職を解き、当面は国会質問に立たせないことを決めた。

足立議員には自重などせず、講演会ではさらにバージョンアップした言いたい放題(しかし正論)を堂々とお願いしたいものだ。

記者ほど楽な商売はない2018/02/08

私は地方紙の記者として26年、自由に、かつ上司の指示には逆らいもせず、まじめに働いたと思う。

ところが、自分がデスク(副部長)になってみて初めて、働かない記者がいることを知った。

これは私に部下の管理能力がなかったことでもあるのだが・・・

あるとき、部長に尋ねられた。
「宮田くーん。○○君は毎月100時間以上、残業を(勤務表に)付けてくるんだけど、そんなに仕事してるの?」

えーっ!と、仰天。

「まさか、そんな…。残業どころか、週に一本も書かないですよ」
そう答えながら、あらためて自分がその男をほったらかしにしていたことに気づいた。

そういえば、毎日、どこに行っているのか、行方不明。
自分の持ち場を回っているのだろうと、性善説で解釈していた。

記者は書いてナンボ。
何にも書かないのに、残業は100時間超も要求しているという。

事件記者ならあり得る。
記事を書かなくても、一日中、警察署や県警本部に拘束されているのは誰もが知っているからだ。

ところが、当の男は文化部記者だ。
残業100時間なんてあり得ない。
第一、記事も全く書いていないのだ。

部長は総務から残業が突出していることを指摘されて、私に伝えたわけだ。
そんな金銭にせこい男だとは想像もしていなかった。

もう一人、ベテランの独身女性で、毎日きっちり10分遅刻してくる記者がいた。
一事が万事でこれも働かなかった。

私が何度連載を指示してもサボタージュして、結局一年間書かなかったのだから恐れ入る。

石牟礼道子の伝説「西南役伝説」2018/02/11

石牟礼道子さんが亡くなって思い出すのは、私の場合、「苦海浄土」ではなく、「西南役伝説」である。

九州各地の古老を訪ねて西南戦争について聞くという、他に類を見ない試みの本だ。

世に西南戦争に関する本は数多あるが、意識するまでもなく当然すべて士族の視点である。

私は2009年に洋泉社から復刊されたこの本(元は1980年刊行)を読んで、面白いとは思ったが、正直言って、一般民衆が西南の役をどうとらえたかなんて本にさしたる意義があるとは思えなかった。

なんというか奇書という言葉くらいしか浮かばないが、不思議な本だという読後感だった。

幕末維新の薩摩藩についてはかなりの時間を使って勉強してきた。
西郷隆盛について調べ、島津久光について調べ、西南戦争に従軍してのち鹿児島新聞を創立した野村忍助について調べ……。

そして、大河ドラマ「西郷どん」の開始。
頭の中が薩摩の歴史でぱんぱんに膨れ上がったとき、意識の転換が起こった。

なぜ薩摩士族史観の本をこんなに有り難がって読まなければならないのか、という疑問が抑えがたくなったのだ。

わが家の祖先は士族でもなく、大隅半島の百姓である。
「宮田」は神社の所有する田のことだろう。

すると、この「西南役伝説」が光り輝く。

ただし、民衆史観が素晴らしいなどとは言わない。
マルクス主義的発想は私の最も憎むところだ。
渡辺京二氏の行き届いた解説に深く共感する。

『西南役伝説』を貫くのは、底辺の民衆の眼を通じて戦争を無意味なものとする視点だと一応考えられなくもない。しかし、そのような民衆の視線による歴史の読みかえが本書のねらいだとする解釈は、決して『西南役伝説』の真価に関わるものではあるまい。なぜなら、西南戦争は民衆に迷惑ばかり及ぼす権力レベルの争いだといったありふれた理解は、民衆であろうとなかろうとわれわれが生きる世界について、稔りある認識をもたらすものではないからである。
本書には百姓の立場から侍を揶揄するような表現が多く見られる。しかしそこに読みとるべきなのは、自分たちの手に届かぬ権力の所為の一切をユーモア化する民衆の想像力であって、その民話的ユーモアに過大な反権力的意味を読みこむべきではあるまい。


非常に重要な視点だ。
石牟礼道子は反権力左翼に担がれそうなところがある。
しかしそうではなく、もっと豊饒なエネルギーを読み取るべきなのだ。
階級闘争なぞ糞食らえだ。

まずは水俣市深川の老人たちが登場する。

「わし共(どま)、西郷戦争ちゅうぞ」
「西郷戦争は、思えば世の中の展(ひら)くる始めになったなあ」

老人達は、西郷隆盛は城山では死ななかった、と信じていた。「知恵が天皇さんより一段上」であった西郷は、逃げのびて中国に渡る。日清・日露の役の大陸に参謀として出没し、日本軍の危難を救うのである。


「西郷どん」の今年こそ、再読したい本だ。