薩摩藩廃仏毀釈の実際2018/05/22



こんな反薩摩の出版社から出ている、反薩摩の元新聞記者の本を信じて読んでいる人がいる。

古本屋なら、もっと、一次史料に当たりなさい。

薩摩藩の廃仏毀釈について「現在でも最高レベルの概説書」(黎明館研究員)といわれる、鹿児島県史第三巻第六章「廃仏毀釈と神道宣布」には何と書いてあるか。

「藩内の寺院は全部廃止せられ、僧侶は還俗したのであるが、寺院の建物・敷地・財産は還俗した住職の所有となり、元士族出の者は士族に、農は農に、商は商に還し、又壮年の者は兵士としたが、総出家の三分の一に近い数が兵士になったといふ。なほ極老・病身・孤独等にて生計困難なる者には養育料を給与する事となり、未だ給与を受けざる者を取調べ申出づべき旨、明治三年十一月知政所より発令した。即ち廃仏毀釈によって困窮した人はなく、多くは他の方面で活動し、又本寺本山等に訴へて之を阻止しようとした者もなかったから、万事円満に遂行され、なほ藩は相当多額の旧寺領を収め、梵鐘・仏具・仏像等を鋳潰して、兵器或は通貨等を多数に得たので、経済上に於いても利益があったが、一面歴史上貴重なる史料や美術上得難き実物にして散逸した物も多かったのである。

功罪をきちんと冷静に見極めることが大事である。

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