われわれは沖縄戦について何を知っているのか2022/02/28

われわれは沖縄戦について、どれほどのことを知っているのか。

集団自決? 特攻?
悲惨なイメージしかあるまい。

ところが、なんと沖縄での日本軍の戦いは、太平洋戦争の中で米軍に最も高く評価されていたのである。

「彼ら(米軍)が真から例外的に高く評価していたのは自暴自棄のバンザイ突撃に最後まで反対し、冷徹な専守持久作戦で米軍に出血を強い続けた沖縄軍の八原高級参謀だけであったろう。
『虜人日記』にも出てくるが、米軍は一兵士に至るまで『沖縄の作戦はスマートだった』『あれを徹底的にやられたら参るところだった』と言って、出血回避という米軍の弱点を巧みに逆に捕え、緻密な計画通り一歩一歩撤退した見事さを評価していた(中略)結局日本には、世界的定義における『軍人』は存在しなかったのだな。例外をあげれば、疎外されている八原参謀だけだったのかも知れぬ」
(山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』)

ここまで書かれれば八原博通高級参謀について知らねばなるまい。本人自著の『沖縄決戦』(中公文庫)を手に取った。
「序」で早くもノックアウトされた。

昭和20年4月1日朝、米軍の上陸用舟艇千数百隻が嘉手納海岸に殺到する光景を、日本の第32軍首脳部が首里山上から静かに観望している場面から始まる。

首脳部は自信満々、余裕を持って見ている。
ところが、急に重大な不安が生じた。
友軍機が一機も姿を見せない。

「実に奇怪な沖縄戦開幕の序景ではある。(略)アメリカ軍は、ほとんど防備のない嘉手納海岸に莫大な鉄量を投入して上陸する。敵を洋上に撃滅するのだと豪語したわが空軍は、この重大な時機に出現しない」

言われてみれば確かにそうだ。
敵艦に当たるかどうか分からない特攻で多くの若者を死なせたのは何だったのか。戦果なく戦艦大和を沈めてしまったのは何だったのか。

今、嘉手納沖に蝟集する敵輸送船団を集中攻撃すれば、ずっと効率よく損害を与えることができただろう。

戦記を読むといつも、大本営の失敗に次ぐ失敗に頭に血が上るが、さて、ここからどうやって米軍に賞賛されるような戦いをしたのか気を落ち着けて読み進めるとしよう。

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