沖縄戦の参謀長・長勇の墓2022/03/13

秦郁彦『昭和史の軍人たち』(文春文庫)で、長勇(ちょう・いさむ)の墓が福岡県粕屋町の江辻山という小山にあると知って、いつか行きたいと思っていた。

沖縄戦で、長勇参謀長の下で高級参謀をしていた八原博通の『沖縄決戦』を読んだのを機に、昨日行ってみた。

これが大変だった。

スマホのグーグルマップでは「江辻山」が出たのに、カーナビでは出ない。とりあえず江辻の中心部、町役場に行く。土曜日で閉庁しているので、向かいの町民センターのようなところを訪ねた。

ところが、町職員も長勇を知らない。
近くで聞いていたおじいさんが簡単な地図を描いて教えてくれた。
こういう時に口を出してくる人の情報が正確だったことがないのでちょっと嫌な予感はしたのだが、やはり地図が適当過ぎて迷った。

ぐるっと回って元に戻ろうとしたら、粕屋町の道路は曲がった小さな道ばかりで、どんどん離れていくばかり。
結局、スマホを運転席の前に立てて、ようやくたどり着いた(最初からこうすればよかった)。

江辻山は本当に小さな山だが、すごい竹林で、傾斜が急でものすごくきつい。

やっとの思いでたどり着いたのが写真の場所。
(ぜひクリックして拡大してください)
『昭和史の軍人たち』にあった、大川周明の碑文はかすんで読めなかった。誠に残念だが、昭和26年(1951)からもう70年以上たつのだから仕方がない。〝有難迷惑〟のおじいさんも「最近は行く人がいない」と言っていたし、町職員も知らず、忘れ去られた場所なのだ。

帰りは九州自動車道ではなく大嫌いな福岡都市高速に乗ってしまい、降り口が違ったらしく二度も乗って590円を二度取られてしまった…ちゃんちゃん。

ところで、『昭和史の軍人たち』には間違いが多い。
八原博通を含め、「両将軍(牛島満と長勇)の最期を確実に目撃した証人はいない」と書いているが、八原ははっきりと記している。

剣道五段の坂口大尉が「両将軍着座の瞬間、手練の早業でちゅうちょなく、首をはねたのだ」。
「坂口は私に『やりました!』と顔色蒼白ながら、会心の笑みを浮かべた。(坂口、八原、高級副官の)三人は黙ったまま、ぐったりとなって、白々と明けゆく空を眺めていた。立派な最期、無念の死、かくて激闘三か月、わが第三十二軍は完全に潰え去ったのである」

なまことかえるライブラリー訪問2022/03/13

話は前後するが、昨日は午前は福津市津屋崎のなまことかえるライブラリーを訪ねた。

ここは新刊・古書の販売に加えて貸本までやっているというので見てみたかったのだ。

店番の女性に詳しく取材できてよかった。感謝。

昨日は帰ってからこんな記事も見つけた。


レファレンス(調査・相談)までやってるのがいい!