卑弥呼の墓はどこか2023/11/02

10月29日、福岡県糸島市の伊都文化会館であったシンポジウム「卑弥呼のクニを探る」に電車で行ってきた。

副題が「検証 邪馬台国畿内説と伊都国」で糸島市と奈良県桜井市・田原本町の三市町共催の取り組みで、先日奈良の飛鳥に行ったこともあり、これは行かねばと腰を上げたのだった。

基調報告を聞いていると、邪馬台国の候補地を考えるにあたって、桜井市の纏向遺跡は具体的な遺構や遺物で論議ができるが、九州説の場合、それがない(少ない)という指摘があり、確かにそうだと思った。
九州説、危うし!

シンポジウムで桜井市立埋文センター所長の橋本輝彦氏は、ずばり面白いことを言った。
「纏向遺跡の担当者は誰も箸墓古墳が卑弥呼の墓だとは思っていない。どうも箸墓の年代は260年以降である。年代的には(同じ纏向遺跡の)勝山古墳が卑弥呼の墓に合う」

さらに台与の墓についても言及があったが、残念ながら「ヒラ何とか」としか聞こえず、地図で見ると「ひ」で始まるのは東田大塚古墳か。
2つの古墳は前方部が長いという共通した特徴があることから、卑弥呼と台与の2人の墓だとみているらしい、



纏向遺跡から出た木製仮面の話が最後の最後に出たので、おまけ。