さらば羽白熊鷲2023/12/08

このブログでは、神功皇后に殺された羽白熊鷲について何度も書いてきた。


日本書紀には、羽白熊鷲は翼があって高く飛ぶことができたと書いてある。
そんなバカな、というなかれ。
千年後のメキシコにも「鷲の戦士」がいたのである。




九州国立博物館で開催中の古代メキシコ展でお目にかかれる。
名残惜しいが、あさって10日までだ。

私は、羽白熊鷲もこのような格好をしていたのだろうと考えている。
根拠のないことではない。


弥生中期、奈良県橿原市坪井遺跡出土の土器片である。
(森浩一編『日本の古代1 倭人の登場』巻頭カラーの一枚)

また、岡山県新庄尾上の弥生土器には「鳥の顔の人」が描かれている。


国立歴史民俗博物館編『銅鐸の絵を読み解く』より

さて、おととい書いたように、神功皇后は現在の筑前町夜須(安)で羽白熊鷲を討つと、次に山門県の土蜘蛛、田油津媛(たぶらつひめ)を滅ぼすため、津古から舟に乗って得川(宝満川)を下り、いったん上岩田(神磐戸)に上陸した。

津古の「津」は川の港、渡し場であったと考えられる。
宝満川と宝珠川の合流地点に行ってみた。


左から右へ流れている宝満川に、手前の宝珠川が流れ込んでいる。
なるほど、いずれも川幅も水量も申し分ない。古代には船の行き来が盛んだったことだろう。
宝珠川を遡ればちょうど五郎山古墳のあたりに辿り着く。
五郎山古墳の壁画には船が6艘も描かれている。むべなるかな。

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