没後70年・林芙美子の鹿児島を歩こう2021/03/02

【没後70年・林芙美子の鹿児島を歩こう】
2月25日の「プレまち歩き」が無事終了しましたので、3月25日(木)は参加者を募って実施します。

鹿児島中央駅前「若き薩摩の群像」午前9時集合
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大久保利通誕生地(維新ふるさと館隣)
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山下小学校
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城山(展望台、ホテル内文学碑、ドン広場)
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岩崎谷荘跡
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西郷隆盛銅像前
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中央公園(島津重豪の造士館・演武館跡)
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紅屋の林小太郎商店(①中町四番地イ号②柴田内科病院)
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鹿児島市中央公民館前、午後1時解散予定

まるで鹿児島市内の代表的な観光地を巡るコースのようですが、すべて林芙美子ファミリー・ヒストリーに関係しています。
林芙美子は山口県下関市生まれですが、本籍地は鹿児島県の東桜島村古里(現在の鹿児島市古里町)です。家は代々、鹿児島市中町で林小太郎商店という紅屋(化粧品・薬の紅を扱う店)をやっていましたが、明治10年の西南戦争で焼かれて古里温泉に移ったのです。
また、芙美子は大正3年、10歳のとき、鹿児島市加治屋町の祖母の家から山下小学校に通っていました。城山は母と離れた寂しさをまぎらす場所でした。

10~11km、4時間かかります。人によっては「きつい、長い」と感じるコースです。城山展望台での「おやつ」は必需品です(もちろん水分も)。
城山から岩崎谷に下る時の200mくらいの急な坂だけ、少し危ないかもしれません。これは歩道のない車道を歩くという、より大きな危険を避けるためです。
没後70年の今年は、できるだけ毎月1回このまち歩きをやる予定ですが、今回は桜の花に風の吹く季節、テーマに最もふさわしいかもしれません。
お申し込みはコメントか、左ツールバーのメールでよろしくお願いします。マスクして声の届く範囲ですので10人程度になります。参加は無料です。雨天の場合は翌26日に延期します(再延期はありません)。

ポンティー上村の思い出2021/03/17

ドラマーの村上ポンタ秀一さんが亡くなった。

1979年、大学生の時、情報誌の『ぴあ』でバイトしていた。
ライブ情報にしょっちゅう、村上ポンタの名前が出ていた。
今70歳で亡くなったということは、当時まだ28歳。
バリバリにライブをやりまくっていたわけだ。

名前が「村上ポンタ」だったり、「ポンティー上村」だったりした。
音楽に詳しい奴が「それ、同じ人なんだよ」と教えてくれた。
森田がタモリになったように、名前もひっくり返していたわけだ。

村上と上村、両方合わせれば、ライブ数はさらに驚異的。
あんまり自分ばっかり出てるのも照れくさいから、名前を二つ使ったのかもしれない。それほど多かった。
さらにバリエーションをつけて、「村上ポンタ」も「ポンタ村上」も、「ポンティ」も「ポンティ―」もあった気がする。

バイト仲間に同じ名字の可愛い女の子がいて、みんなから「ポンタ」と呼ばれるようになった。
そして、その子が僕の初めての彼女になった。
甘い、しかし、胸のつまるような思い出。

第2回林芙美子まち歩き2021/03/29

3月25日、第2回林芙美子まち歩きが無事終了しました!
参加12人。3時間50分、約8km歩きました👏

ここは、誰が撮っても、文学碑と桜島が綺麗に写る場所です。

それなのに、『花に風』では良い写真が載せられなかった。
大きな反省点です。
増刷されたら、差し替えたい‼