講座開催「敗戦期の林芙美子作品の重要性を考える」2021/06/04

日時:8月15日(日)午後2時から4時まで
場所:かごしま近代文学館地下1階メルヘンホール
定員40人。テキスト代1000円(5作品のコピー)

林芙美子が亡くなって2か月余りして米サンフランシスコで講和会議が開かれ、対日講和条約と日米安保条約が調印されました。日本は敗戦から丸6年、ようやく独立を取り戻したのです(発効は翌年)。
敗戦・被占領期とは一体どんな時代だったのでしょうか。
作家の山田風太郎は「昭和の前期と後期の間、つまり敗戦とその後の数年こそ、前期後期にまさる巨大な時代であった」と戦争そのものより重視し、歴史家の平泉澄は「昭和二十年夏の終戦より、同二十七年四月の講和条約発効に至るまでの足掛八年間、更にせばめて云へばその前半、二十五年六月の朝鮮戦争に至るまでの足掛六年間、それは史上空前の暗黒時代でありました。失望、窮迫、転倒、混乱、物質的にも、恐るべき虚無空白の時代でありました」と述懐しています。
この暗黒の敗戦期には、日本国憲法公布、東京裁判、共産主義の台頭等々……今に至るあらゆる問題が発し、そのまま何ら変わっていないことに驚かされます。にもかかわらず、戦争について学ぶ機会がいろいろとあるのに比べて、敗戦期については忘れ去られがちではないでしょうか。
林芙美子の真骨頂はこの時代にあります。質・量ともに驚異的な仕事を残しました。川端康成も三島由紀夫もその作品を絶賛しています。広津和郎は「林さんの晩年に近い幾つかの作品は、随分すぐれたものであったし、且つあの矢継ぎ早に秀作力作を発表した創作力には、目を瞠らせるものがあった。終戦後の日本文学の大きな支柱の一つであった」と称賛しています。
芙美子は、シベリア抑留、引き揚げ、慰安婦、傷痍軍人、戦争未亡人、公職追放、パンパン等々、当時の日本人を襲ったあらゆる苦難を描き、余りの仕事量に47歳の若さで急死(今でいう過労死)しました。
林芙美子の5つの短編、「ボルネオダイヤ」「水仙」「下町」「鴉」「御室の桜樹」によって、一体、敗戦期とはどういう時代だったのか、終戦記念日に振り返りましょう。
林芙美子といえば『放浪記』という〝常識〟は覆ります!

講師:宮田俊行
1957年鹿児島県鹿屋市に生まれ、鹿児島市で育つ。元南日本新聞記者。林芙美子に関する著作・論考多数。最新刊は『花に風 林芙美子の生涯』(海鳥社)。福岡県小郡市と鹿児島市の二拠点で活動。

テキスト準備のため、申し込みが必要です。まずは「参加予定」か「興味あり」を押してください。はっきり参加が決まったら、このイベントページに投稿するかメッセンジャーでお知らせください。
https://www.facebook.com/events/503130764263048/

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