小郡市上岩田(神磐戸)の老松神社 ― 2023/12/06
小郡市には神功皇后・仲哀天皇ご夫妻ゆかりの地がいくつもある。
そのうち上岩田の老松神社をうっかりしていたので、昨日行ってみた。
由緒書きが非常に興味深い。
まず、上岩田の地名は元は「神磐戸」と称されていたこと。
神功皇后元年(321年)3月20日、神功皇后は現在の筑前町夜須(安)で羽白熊鷲を討つと、次に山門県の土蜘蛛、田油津媛(たぶらつひめ)を滅ぼすため、津古から舟に乗って得川(宝満川)を下り、いったんこの地に上陸した。
現在の地理ともばっちり符合する。
25日には田油津媛を討っているので、わずか数日のことであるが、皇后の行在所であったことから神磐戸と称されたのだろう。
天照大神(女神)に比される女帝(亡き仲哀天皇の摂政)であったのだ。
ここでは、武内宿禰に命じて剣を祀らせた。
おそらく羽白熊鷲を討った剣だったのではないか。
なお、ネット情報では老松神社には駐車場がないとのことで、離れたコンビニに停めて歩いていったが、上岩田公民館の横に停めれば大丈夫だ。
そのうち上岩田の老松神社をうっかりしていたので、昨日行ってみた。
由緒書きが非常に興味深い。
まず、上岩田の地名は元は「神磐戸」と称されていたこと。
神功皇后元年(321年)3月20日、神功皇后は現在の筑前町夜須(安)で羽白熊鷲を討つと、次に山門県の土蜘蛛、田油津媛(たぶらつひめ)を滅ぼすため、津古から舟に乗って得川(宝満川)を下り、いったんこの地に上陸した。
現在の地理ともばっちり符合する。
25日には田油津媛を討っているので、わずか数日のことであるが、皇后の行在所であったことから神磐戸と称されたのだろう。
天照大神(女神)に比される女帝(亡き仲哀天皇の摂政)であったのだ。
ここでは、武内宿禰に命じて剣を祀らせた。
おそらく羽白熊鷲を討った剣だったのではないか。
なお、ネット情報では老松神社には駐車場がないとのことで、離れたコンビニに停めて歩いていったが、上岩田公民館の横に停めれば大丈夫だ。
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