『浮雲』の舞台はなぜダラットか2023/12/22


こんなXの投稿があった。

寺内正毅、寺内寿一の親子はともに元帥、陸相となった栄光の軍人である。
しかも、ともに光頭。

寺内寿一元帥の南方総軍司令部はサイゴン→シンガポール→マニラ→サイゴンと、戦局の転換に伴って移動を余儀なくされた。
総司令官の移動は極秘であるから、「天下征討」という隠語で呼ばれたという。
「天下征討実施せらる」との飛電が隷下の各軍に伝えられた。

寺内は開戦以来、一度も日本へは帰れなかった。

マニラはわずか半年、レイテ戦の最中の昭和19年11月17日、南方軍総司令部はサイゴンへ移った。

だが、70歳の老将軍は中風に侵されて身動きもままならなかった。
気候の良い避暑地ダラットの高原で療養し、そこで日本の降伏を知った。

ダラットといえば、林芙美子の代表作『浮雲』の前半部分の舞台である。
主人公の男女が戦時中、不倫の恋をするのが仏印のダラットなのだが、なぜダラットなのかは研究者には謎で、林芙美子の描写は見ていないと書けないものないものであり蘭印に行く途中で立ち寄ったのだろうとか、いや想像で書いたのだろうとか些末な論争に明け暮れていた。

いや、違う。
ダラットは敗戦時に南方軍総司令官がいた、南方戦線終了の象徴的な場所だったのだ。

拙著『林芙美子が見た大東亜戦争』p.204-207「ダラットは南方軍の終焉を象徴する場所」を読んでいただきたい。

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