月読神社の御朱印2017/10/23

アサブロは一記事に複数の写真を載せるのが難しく、やむなく分割します。

私の朱印帳は「全国一の宮御朱印帳」で、基本的には一ノ宮でしかもらわないんですが、この月読神社は旅行社の資料に「日本神道発祥の地」と書いてあったので。
もちろん、本当かどうかは分かりません。
そういうのって、たいていあちこちにあって、神話の世界だから本当かどうかなんて野暮な話です。

ちなみに、壱岐にも対馬にも一ノ宮はあるんですが、今回のツアーは寄らなかったんです(涙)

壱岐の月読神社2017/10/23

全国に月読神社はあるけれど、487年、この壱岐から京都に分霊したという。
つまり、少なくともそのときには存在していたという古い神社。
当時、朝鮮半島との関係において壱岐や対馬は重要だったんですなあ~。

しかし、いつしか忘れ去られていたらしい。
地元のガイドによると、近年、パワースポットとして取り上げられてから多くの観光客が訪れ出した。
壱岐には150もの神社があって、それまではガイド自身もここは行ったことさえなかったが、よく来るようになったという(笑)。

国境の島・対馬2017/10/23

対馬の厳原港に到着
20日に対馬に行ってきた。

博多港からの高速船(ジェットフォイル)で2時間余り。
台風の影響で揺れが強く、途中の壱岐で積み込み配られた弁当も気持ち悪くて食べられず。

対馬での滞在は3時間ほどで、また宿泊地の壱岐にフェリーで2時間余りかかって取って返した。

翌日も時化。壱岐から博多に帰る船を一便早めた。
するとその便以降は台風で欠航となった。危ういところだった。

船酔いと疲労で報告が遅れたが、ぼちぼちと紹介していきたい。

対馬はまるで韓国のようになっていると聞いていたが、3時間の滞在ではそんな風には感じなかった。

年間30万人の韓国人が来るというが、万松院(対馬宗家の菩提寺、ここは素晴らしかった)で、韓国人らしき若い女性二人組を見かけた程度。台風接近のせいか。

対馬の「マツモト・キヨシ」は韓国人客の買い物で、日本一の売り上げだそうだ。

さて、総選挙は無事、自民が圧勝した。
いよいよ朝鮮有事に備える時だ。

ホテル暮らし2016/10/21

詩人のKさんはこの10年、ホテルに年間80~100泊してきたという。

私もそういう多忙な日々を送りたい。

旅から旅へ。

よし、決めた! 来年は100外泊する!!

太宰治の旧宅2012/02/14

太宰のサルスベリ
玉川上水から住宅地に入って、少し歩いたところに太宰治は住んでいた。

自殺(心中)現場と住居はすぐ近くだったのだ。

場所は特定されているが、今は新しい家が建ち、
私道の奥なので、近くに行って見ることはできない。

その代わりというわけでもないだろうが、
太宰の家にあったサルスベリの木が道路向かいの「井心亭」という施設に移植されて残っている。

サルスベリというのは、木に詳しくない人でもすぐわかる、あの皮のないつるつるした木だ。

どうみても異様な、かっこ悪い木だ。

道路端にあるので、誰でもこれをつるつるとなでることができる。

これが、太宰を偲ぶよすが、とは…。
ある意味、太宰らしいのかもしれないが…。

このあと、禅林寺のお墓に参り、
さらに足を伸ばして深大寺に行った。

深大寺といえば、そば。
たくさんの店があって目移りするが、バス停近くにある「天ざる大サービス中」と手書きで大書している怪しげな店に入った。

天ぷらそば(980円だったかな)は天ぷらが山盛りに入っていて、意外とおいしかった。

深大寺のおみくじは「大吉」だった。

太宰入水現場2012/02/13

玉川上水
順序が前後するが、禅林寺に行く前に、
どうしても玉川上水が見たかった。

本の中で、太宰治が心中して、林芙美子が駆けつける(これは事実)ところが出てくるが、現場の様子は資料と想像で書いた。

玉川上水は三鷹駅からずっと続いている。
ただし今は上水としては使われておらず、
淀まないように人工的に水を流している。

三鷹の駅前は今でも、太宰が黒いマント(本当はインヴァネスとか二重回しというもの)を着てふらふら歩いていそうな雰囲気がある。

そんな駅前にある「太宰治文学サロン」をまず訪ねた。

太宰が通った酒屋の跡地に立つ、瀟洒な建物だ。

小さな建物なのですぐ見終わったが、ここのボランティアガイドの男性が玉川上水の入水現場まで案内してくれた。

これがよかったのである。

確か現場にはモニュメントがあると何かで読んでいたので、1人でもすぐにわかる、大丈夫だと思っていた。ところが、道路を挟んだところに市が青森県金木町の石を置いているだけであった。

考えてみたら、無理もない。

文学者の心中現場、なんて案内を市が出すわけにもいかないだろう。
連れてきてもらってよかった。

ボランティアガイドの方によると、井伏鱒二ら文学仲間が主張する現場はもっと下流(駅とは離れた方)だそうだが、ここは地元で伝えられている現場だそうだ。警察はどことも断定していないらしい。

ガイドの方には自分がアンチ太宰の本を出したとはどうしても言えなかった。すみません。そして、ありがとうございました。