吹上浜拉致から40年(続) ― 2018/01/19
産経新聞の大型連載「40年目の検証 私の拉致取材」が12回目にしてついに鹿児島県の拉致現場に辿り着いた。
阿部雅美記者は1979年当時、警視庁の公安担当の社会部記者。31歳だった。
夜回りのとき、公安関係者がふと、つぶやいた。
「日本海の方で変なことが起きている」
こんなとき、「変なことって何ですか」と聞き返しても教えてくれるものではない。
あまりに漠然とした話だが、阿部記者は図書館で日本海側にある地方紙の綴じ込みをめくり続ける。
そうして、ひとつだけ「変なこと」を見つける。
一年以上も前、1978年8月16日付北日本新聞社会面。
「高岡の海岸 4人組が若い男女襲う 手錠かけ寝袋覆う」。
記者は富山に向かう。
もちろん当時、北朝鮮のことなど頭の片隅にもない。
地元紙も全国紙の支局も、もう追っていない事件だ。
それを丹念に取材し直し、とうとう北朝鮮への疑念を抱く。
新聞記者をやった者として頭が下がる。
記者の仕事は手抜きして「何もありませんでした」と言えば、それでも通る。
おまけに調べれば調べるほど不気味なことだらけで、怖さもあったと思う。
阿部記者は福井にも鹿児島にも飛ぶ。
昭和53(1978)年8月12日、市川修一さんと増元るみ子さんは「夕日を見に行く」と言って吹上浜海岸に出かけたまま行方不明になっていた。
こうして38年前、1980年1月7日、阿部記者は初めて「アベック3組ナゾの蒸発 外国情報機関が関与?」と報じるのだが……。
連載第一回で、彼は暗示していた。
のちに1997年、『北朝鮮による日本人拉致事件疑惑 17年を隔てた2件のスクープ 「アベック連続蒸発」「横田めぐみさん」』で新聞協会賞を受賞するが、なぜ国民が拉致は事実であるという共通の認識を持つまでにこんなに時間がかかったのか、自戒を込めて明らかにしていくという。
目が離せない連載だ。
折しも今朝の産経一面によると、北朝鮮の金正恩委員長を日本人拉致の「人道への罪」で国際刑事裁判所に告発するという。
増元るみ子さんの弟、照明さんも同行するというが、地元の南日本新聞がどこまで報道するか気になる。
記憶にある限り、南日本新聞は「拉致被害者を取り戻せ」というキャンペーンを張ったことはない。
なぜやらなかったのか、と他人事のように非難するのはたやすい。
私だって南日本新聞の記者だった。事件記者じゃなかったからなんて言い訳にならない。
「自戒」を込めて読まなければならないのは、こちらだ。
阿部雅美記者は1979年当時、警視庁の公安担当の社会部記者。31歳だった。
夜回りのとき、公安関係者がふと、つぶやいた。
「日本海の方で変なことが起きている」
こんなとき、「変なことって何ですか」と聞き返しても教えてくれるものではない。
あまりに漠然とした話だが、阿部記者は図書館で日本海側にある地方紙の綴じ込みをめくり続ける。
そうして、ひとつだけ「変なこと」を見つける。
一年以上も前、1978年8月16日付北日本新聞社会面。
「高岡の海岸 4人組が若い男女襲う 手錠かけ寝袋覆う」。
記者は富山に向かう。
もちろん当時、北朝鮮のことなど頭の片隅にもない。
地元紙も全国紙の支局も、もう追っていない事件だ。
それを丹念に取材し直し、とうとう北朝鮮への疑念を抱く。
新聞記者をやった者として頭が下がる。
記者の仕事は手抜きして「何もありませんでした」と言えば、それでも通る。
おまけに調べれば調べるほど不気味なことだらけで、怖さもあったと思う。
阿部記者は福井にも鹿児島にも飛ぶ。
昭和53(1978)年8月12日、市川修一さんと増元るみ子さんは「夕日を見に行く」と言って吹上浜海岸に出かけたまま行方不明になっていた。
こうして38年前、1980年1月7日、阿部記者は初めて「アベック3組ナゾの蒸発 外国情報機関が関与?」と報じるのだが……。
連載第一回で、彼は暗示していた。
のちに1997年、『北朝鮮による日本人拉致事件疑惑 17年を隔てた2件のスクープ 「アベック連続蒸発」「横田めぐみさん」』で新聞協会賞を受賞するが、なぜ国民が拉致は事実であるという共通の認識を持つまでにこんなに時間がかかったのか、自戒を込めて明らかにしていくという。
目が離せない連載だ。
折しも今朝の産経一面によると、北朝鮮の金正恩委員長を日本人拉致の「人道への罪」で国際刑事裁判所に告発するという。
増元るみ子さんの弟、照明さんも同行するというが、地元の南日本新聞がどこまで報道するか気になる。
記憶にある限り、南日本新聞は「拉致被害者を取り戻せ」というキャンペーンを張ったことはない。
なぜやらなかったのか、と他人事のように非難するのはたやすい。
私だって南日本新聞の記者だった。事件記者じゃなかったからなんて言い訳にならない。
「自戒」を込めて読まなければならないのは、こちらだ。
エッセーに書かれた、とんでもない拉致未遂 ― 2018/01/20
南日本新聞の夕刊の一面左肩に、「思うこと」というエッセーのコーナーがあった(夕刊は2009年2月末で廃止)。
曜日ごとの日替わりメンバーが10回ずつ担当し、10週経ったら次の執筆陣と交代する。
毎日なのだから累計すると膨大な量だが、二つだけ忘れられない「思うこと」がある。
一つは、自宅から逃げ出した文鳥の話。
言葉を教えるなどして可愛がっていた文鳥をある日、うっかり籠から逃がしてしまい、すっかりしょげていた。
鹿児島市では、甲突川河畔の広場で春と秋に「木市(きいち)」という植木市が開かれる。植物がほとんどだが、中には小鳥を売っている店などもある。
会場を歩いていると、自分の名前を呼ばれた。
見ると、自分が可愛がっていた文鳥が籠の中にいたという話。
もう一つが問題だ。
ある日、浜辺にいて(たぶん吹上浜だったと思う)沖を眺めていると、黒い点が急速に大きくなっていって、船だと分かった。
ものすごいスピードで浜に乗り付けると、数人の男が船から降りて、こちらに向かって走ってくる。
その尋常ではない様子に必死に逃げ、なんとか逃げのびることができた。
あれは北朝鮮の船ではなかったか、という話。
驚いた。エッセーで済ませるような内容ではない。
しかし、話を基にあらためて取材し直そうという動きは社内になかった。
読者からも「突き止めるべきだ」みたいな反響は聞いた記憶はない。
何年何月何日に掲載されたか調べる術はないが、すでに北朝鮮による日本人拉致は明らかになっていたのは確かだ。
それでも、そんなに新聞社内でも関心は低かったのだ。
曜日ごとの日替わりメンバーが10回ずつ担当し、10週経ったら次の執筆陣と交代する。
毎日なのだから累計すると膨大な量だが、二つだけ忘れられない「思うこと」がある。
一つは、自宅から逃げ出した文鳥の話。
言葉を教えるなどして可愛がっていた文鳥をある日、うっかり籠から逃がしてしまい、すっかりしょげていた。
鹿児島市では、甲突川河畔の広場で春と秋に「木市(きいち)」という植木市が開かれる。植物がほとんどだが、中には小鳥を売っている店などもある。
会場を歩いていると、自分の名前を呼ばれた。
見ると、自分が可愛がっていた文鳥が籠の中にいたという話。
もう一つが問題だ。
ある日、浜辺にいて(たぶん吹上浜だったと思う)沖を眺めていると、黒い点が急速に大きくなっていって、船だと分かった。
ものすごいスピードで浜に乗り付けると、数人の男が船から降りて、こちらに向かって走ってくる。
その尋常ではない様子に必死に逃げ、なんとか逃げのびることができた。
あれは北朝鮮の船ではなかったか、という話。
驚いた。エッセーで済ませるような内容ではない。
しかし、話を基にあらためて取材し直そうという動きは社内になかった。
読者からも「突き止めるべきだ」みたいな反響は聞いた記憶はない。
何年何月何日に掲載されたか調べる術はないが、すでに北朝鮮による日本人拉致は明らかになっていたのは確かだ。
それでも、そんなに新聞社内でも関心は低かったのだ。
「西郷隆盛はどう語られてきたか」購入 ― 2018/01/23
ちょうど知りたいことに触れられていたので、原口泉「西郷隆盛はどう語られてきたか」(新潮文庫)を買った。
第7章「右派・左派思想家に、どう語られてきたか 頭山満・北一輝らの崇拝と左派知識人からの敬遠」に目を通すと、だいたい過不足なく言及されていた。
さすが原口さんの目配りは侮れない。
先日、お父さんの原口虎雄著「幕末の薩摩―悲劇の改革者・調所笑左衛門」(中公新書)を手にする機会があった。
まえがきが面白かった。
「私は島津斉彬の水車館跡に誕生し、武村の西郷邸にも近く、順聖院様も西郷どんもごく身近な神様として感じていた。しかしその後県立一中に入り、調所派の重役吉利仲やお由羅の兄岡田半七の孫と親友になった」
お父さんのこうした蓄積が、原口泉さんにつながっているのだなあと思った。
ちなみに最近知ったのだが、原口氏の兄、原口邦紘さんは長年、外交史料館に勤めていたという(すでに定年退官)。その奥様は海音寺潮五郎の子孫らしい。
自衛隊検定、惜しくも2級 ― 2018/01/23
防衛省が編集協力している雑誌「MAMOR」1月号恒例の「自衛隊検定試験」に応募していました。
雑誌についているハガキの回答欄にマークして応募するだけですが、問題はかなり難しく、最新版「防衛白書」を見ないととても解けません。
それでも、1~2問どうしても分からなかったが、3月号で結果を見ると、やはり満点ではなかった。
惜しくも2級。
安倍首相は西郷隆盛になれるのか ― 2018/01/24
明治維新で徳川幕府が倒れ、新政府になったとき、日本はこれまで対馬藩を通じて行なってきた朝鮮との交際が途絶えたので、新たな外交関係を結ぶよう要請した。
これを朝鮮側が頑なに拒否したため、非礼を討てとなったのが、征韓論である。
しかし、西郷隆盛は明治6年、たった1人、丸腰で乗り込んで交渉したいと申し出る。
閣議ではいったん西郷派遣を決定するが、大久保利通や岩倉具視の陰謀で葬られ、西郷は下野する。
現在の韓国の非礼、無礼は明治6年のとき以上だ。
世界中で反日宣伝・活動し、慰安婦像を建て、竹島の実効支配を強めている。
もう国交断絶せよ、という人も増えているなか、安倍総理は反対を押し切って平昌オリンピックの開会式に出席するという。
慰安婦問題をめぐる日韓合意について見直し(新方針)を拒否するというのだ。
電話などではなく、実際に会って考え方を明確に伝える必要があるという。
反日政権の渦中に飛び込むというのだ。何が起こるか分からない。
西郷隆盛は明治6年、自分が行って殺されたら、そのとき初めて戦争をすればいいと言った。
安倍首相にはそれに近い覚悟を感じる。
2002年、小泉純一郎首相が単身北朝鮮に乗り込み、金正日総書記に日本人拉致を認めさせ、5人を取り戻したときは、現代の西郷隆盛だと感激したものだが、安倍総理は韓国の侮辱的な姿勢を変えることができるのか。
大いに期待したいし、不慮の事態が起きないよう祈る。
これを朝鮮側が頑なに拒否したため、非礼を討てとなったのが、征韓論である。
しかし、西郷隆盛は明治6年、たった1人、丸腰で乗り込んで交渉したいと申し出る。
閣議ではいったん西郷派遣を決定するが、大久保利通や岩倉具視の陰謀で葬られ、西郷は下野する。
現在の韓国の非礼、無礼は明治6年のとき以上だ。
世界中で反日宣伝・活動し、慰安婦像を建て、竹島の実効支配を強めている。
もう国交断絶せよ、という人も増えているなか、安倍総理は反対を押し切って平昌オリンピックの開会式に出席するという。
慰安婦問題をめぐる日韓合意について見直し(新方針)を拒否するというのだ。
電話などではなく、実際に会って考え方を明確に伝える必要があるという。
反日政権の渦中に飛び込むというのだ。何が起こるか分からない。
西郷隆盛は明治6年、自分が行って殺されたら、そのとき初めて戦争をすればいいと言った。
安倍首相にはそれに近い覚悟を感じる。
2002年、小泉純一郎首相が単身北朝鮮に乗り込み、金正日総書記に日本人拉致を認めさせ、5人を取り戻したときは、現代の西郷隆盛だと感激したものだが、安倍総理は韓国の侮辱的な姿勢を変えることができるのか。
大いに期待したいし、不慮の事態が起きないよう祈る。
宝塚「桜華に舞え」再演をお願いします! ― 2018/01/24
保守の仲間が欲しい ― 2018/01/27
facebookで旅行や食べ物のことを書いていれば、だいたい「いいね」30~40。
保守的な立場から政治的なことを書くと、「反応なし」か、たまに反論が来る。
確認したことはないが、きっとフォローが減ったり、友達を取り消されたりもしているだろう。
しかし、嫌われても嫌われても、時事的なことを書くのは、やめない。
日本の防衛上、憲法に自衛隊を明記するのは当然だし、反日の日本人をなくしたい(例えば朝日やNHK)という勝手な使命感を持っている。
「日本なんかどうなってもいい」という悪意の人たちがいることを、一人でも多く分かってもらいたい。
美しい日本を無傷で次の世代に渡すこと、それが一番大事ではなかろうか。
残りの人生でやりたいのはそれだけだ。
保守的な立場から政治的なことを書くと、「反応なし」か、たまに反論が来る。
確認したことはないが、きっとフォローが減ったり、友達を取り消されたりもしているだろう。
しかし、嫌われても嫌われても、時事的なことを書くのは、やめない。
日本の防衛上、憲法に自衛隊を明記するのは当然だし、反日の日本人をなくしたい(例えば朝日やNHK)という勝手な使命感を持っている。
「日本なんかどうなってもいい」という悪意の人たちがいることを、一人でも多く分かってもらいたい。
美しい日本を無傷で次の世代に渡すこと、それが一番大事ではなかろうか。
残りの人生でやりたいのはそれだけだ。
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