また記者がしたい…かも2026/04/23

大学の民俗学のレポートを書くために近くの神社に行った。
本殿の右奥に、小さな末社が5つ並んでいて、その真ん中が捜していたものと分かり、ためつすがめつ調べていた。

すると、関係者と見られるおじいさんが話しかけてきた。

きっと不審者だと思われたのだろう。
しばらく私の方から目的の末社についていろいろ尋ねたのだが、その後で、問わず語りに賽銭箱が盗まれた話をし出したからだ。

それは末社の中では少し立派な、と言っても小さな覆屋だが、その中に御祭神と、金属製の賽銭箱が据え付けてある。
その重そうな賽銭箱ごと盗まれ、打ち捨ててあるのが見つかったのだと言う。

そのご老人は神社総代会長(84歳)だった。
私も質問が止まらなくなり、そうだ、記者の時は毎日こういうことをしていたんだと思った。

記者を辞めて18年。
なんかまたやりたくなった。

一番いいのは古巣の新聞社の福岡支社(長年一人記者がいたのに数年前から経費節減でゼロに)でキャリアスタッフとして働くことなんだが…
やっぱり福岡に記者ゼロはまずいよ。

「地方紙記者 死屍累々日記」全体構成(案)2026/01/12

「地方紙記者 死屍累々日記」の一部を読んでいただいたが、全体の構成は次のように考えている。

まえがき 編集局長のトイレ・ハラスメント
第1章 支局勤務、本社からのハラスメント
地元の祭り 局次長が支局を出し抜く
市長が社長に申し出 支局長を代えてくれ
北次長の正体 窃盗と暴行の犯罪者
でっち上げ 昔からいた反日記者
社会部デスク スクープにも皮肉
シンポウの支局長 連日、私の記事を丸写し
塞ぎの虫 死への誘惑
とある支局長の自死 目を覚ませてくれた
第2章 市長選対立候補の不可解な死
墜落したセスナ 行方を消した乗客
密室の操縦桿 パイロットの証言
遺体発見 自殺か転落死か。憤死だ
第3章 社屋移転へ、金をドブに捨て続ける悪循環
新社屋の用地 パチンコ屋から破格で購入
引き返せない移転計画 喜劇的な経費増大
社員持ち株会社 役員会の暴走は止められない
ついに社屋完成 1年目から危機管理破綻
第4章 内々示の約束反古、もう退職しかない
同期の死 パワハラで縊死
父の死 組み換えられた紙面
一記者を希望 内々示を得る
下見の日 妻と再出発を誓う
内示の日 局長から声かからず、潰された希望
痛恨の夕刊廃止 移転総額200億円
166日の年休残 最後の最後まで嫌がらせ
サイレント降格 退職金もらってびっくり
あとがき 誰がシナリオを描いたのか

作家デビュー20周年⁉2025/04/13

山下達郎のサンデー・ソングブックを聴いていたら、シュガーベイブを結成したのは1973年だが、レコードデビューは1975年。
日本では基本的にレコードデビューがデビューという決まりになっているので、今年がデビュー50周年ということらしい。

それでふと、自分の1冊目の奥付を見たら、2005年だった。
作家デビュー20周年なのだ!

でも20年で4冊しか出していなくて作家なんておこがましいので、ブックデビュー20周年ってとこかな。

今日のひとこと(「ぬ」が思い出せない)2025/02/08

今まで一番ハイペースでやったのは、1日で200ページです。キーボードを打つのも私は相当速いんですよ。
だけどこの間、たまたまペンで書く必要に迫られたんですが、全然スピードが出せないし、漢字が書けないので愕然としました。おまけに、ひらがなの「ぬ」が思い出せないんですよ。これはショックでしたね。
~森永卓郎さん(67)、産経新聞7日付「話の肖像画」⑦~


今、産経新聞で、亡くなった森永卓郎さんのインタビューを連載している。その中の一節。

森永さんは私と全く同い年だ。

だから、ひらがなの「ぬ」が思い出せないというのも他人事ではない。

私は今春から通信制大学に編入して歴史を学ぶ予定だ。
併せて学芸員資格課程も取るつもりなので、4年計画で行こうと考えている。

頭の衰えと、卒業するのと、追いかけっこだ。

「日本ドラフト文学賞」今村翔吾さんの発想に万歳!2024/11/23

作家の今村翔吾さんが20日に発表した「日本ドラフト文学賞」。
いろいろ共鳴する点があった。

私は前身の「九州さが大衆文学賞」に応募したことがある(一次は通過)。
同賞はそれから間もなく終わってしまった。

今村翔吾さんは同賞の受賞者で、日ごろ佐賀への恩返しを公言しており、佐賀駅に「佐賀之書店」を開業したばかりだが、さらに同賞の流れをくむ文学賞を復活するというのだ。
まずこの「恩返し」という人柄が律儀でいいではないか。

そしてこの文学賞、従来にない素晴らしい特長2つを持っている。

まず「複数の出版社によるドラフト制度」。
つまり、選考委員ではなく、いきなり出版社が気に入った作品をドラフトするのだ。

世の中には悪辣な出版エージェントがある。
私も7年ほど前、Aエージェンシーに原稿を送ったことがある。
300枚の原稿を見てもらうのに5万円(税別)、50枚増すごとに1万円(税別)加算という手数料。有望なら出版社に紹介するという。

ちょっと高すぎると思ったが、社長が同郷ということもあり信用して原稿を送った。
返ってくるまで数か月かかった(途中、催促した)挙げ句、ごく簡単な講評と「出版社は紹介できません」とのことだった。
講評に具体性は一切なく、読んでいないんじゃないかと思った。
これで5万5000円‼

ホームページを見ると、こんな悪どい商売をまだ続けているようだ。皆さん、ご注意を!

これが日本ドラフト文学賞に応募すれば、同等のことを無料でやってもらえるのだ! 素晴らしいでしょう?

もう一つ素晴らしいのは、多くの文学賞が禁止している【過去に賞に応募した原稿】も受け付けるという点だ。

私はこれについてはまさに、本ブログの2017/9/21付で「応募作の使い回しは非難すべきことなのか」を書いている。
バックナンバーから読んでいただきたいところだが、そんな面倒なことをする人はいないだろうから、ちょっと長くなるが全文をコピペする。

(はじまり)
第21回「日本ミステリー文学大賞新人賞」の候補作4つが決まったそうだ。
予選委員7氏=円堂都司昭、香山二三郎、新保博久、千街晶之、細谷正充、山前譲、吉田伸子+光文社文芸局が10点満点で採点、討議のうえ選定したという。

予選委員の名前が出ているのも初めて見たが、
【予選委員からの候補作選考コメント】として、応募者の姿勢へのかなり強い批判が書かれていて驚いた。異例ではないか。

香山二三郎氏は「しつこいようだけど、次の二点にはくれぐれも気を付けて。応募作品は新作で。既応募作品での再応募は本賞では控えましょう。原稿の印字は字間を詰めて。読みにくいと端から印象が悪くなります」。
これくらいはいい。気をつけよう、という気になる。

新保博久氏は、ある作品(原文では明記)に「次にどう展開するのだろうとワクワク感を覚えた」が、「二年前の他賞の落選作という凶状が判明して支持を撤回した。再応募作が絶対に不可というわけではないが、以前の応募状況を問い合わせてもダンマリだったのは、作者も後ろめたいのだろう。その作品での落選歴を秘匿していても、予選委員はたいてい複数の賞を兼任しているから十中八九、露顕すると覚悟しておいてもらいたい」。最後に「恥じ入れ」とまで付け加えた。

確かに今回、予選の読み手は相当にいらいらした様子だ。

細谷正充氏は「他の新人賞に投稿して落ちた作品を、そのまま送ってくる“使い回し原稿”問題も、クローズアップされた。二重投稿ではないので応募規約に違反しているわけではないが、今回、同じ内容で四度目の投稿という作品があり、さすがに問題視せざるを得なかった。自分の作品が可愛いのは分かるが、プロの作家になりたいのだったら、見切る勇気も必要だろう」。

吉田伸子氏も「二重投稿はないものの、いわゆる“使い回し”(過去に別の賞に応募した作品)が目立ちました。過去に応募した時のタイトルと変えられていることから、故意だと推察しますが、これは止めていただきたい。過去の作品に拘る気持ちも分からなくはないですが、フェアではないと思います。それよりも、新しい作品へ気持ちを向けたほうがいい。新人賞が求めているのは「新しい芽」である、ということを心に留めておいて欲しいです」という。

ただ、応募者の立場から言わせてもらうと、自分では結構自信のあった原稿が一次予選も通過しない場合、「これ、ほんとに読んでもらったんだろうか」と疑ってしまうのは自然な心理だ。
悪気があってやっているのではない。自分の作品が可愛いのだ。
だから、別の賞に応募して、もう一度読んでもらおうとする。

書いた人ならわかるが、長編小説を書くのは本当に大変だ。
日々、部屋に引き籠るという孤独と、いくら時間を費やしても報われない巨大な徒労感と才能のなさに長時間耐えなければならない。

こうして出来上がった作品が可愛いのは当たり前だ。
ちゃんと読んでもらっているのか、読まれたとしても本当に正しい評価なのか、疑ってしかるべきだ。

業界人の評価があてにならない例は枚挙にいとまがない。
最も有名なものでは、ハリーポッターが十数社の出版社に断られたという例がある。

「恥じ入れ」とまで非難すべきことなのだろうか。
読むほうはせいぜい数時間だろうが、書くほうはどれだけの時間を費やしていることか。
これでは、書かずに読者でいるほうがずっと楽でいい、と思ってしまう。
(おわり)

どうでしょう。
今村翔吾さんの考えとほぼ同じだと思います。

私は日本ドラフト文学賞に応募し続けるつもりです。
(もちろん第1回でうまくいけばいいのですが)

取材メモの考え方が青山さんとは真逆2024/08/10

青山繁晴さんが来月はじめに『反回想――わたしの接したもうひとりの安倍総理』という本を出す。

予告によると、帯にこんな文章が書かれるという。

「記者を18年と9か月、務めたときの原則があります。相手の眼を見て心を通わせ、メモ帳に根を落とさないことです。その代わり、相手の言葉を正確に記憶する、終わるとすぐにメモに起こす。電話も起こす。したがって本書の安倍さんの言葉についても、正確に言葉の通りです。」

私も新聞記者を26年やった(取材記者13年、内勤13年)が、青山さんのやり方は信じられない。
私は取材した相手のすべての言葉を一言一句もらさず全て、ノートにメモした。

そうしないと正確な原稿を書く自信がなかったからだ。
もちろん記事を書くときに全てを読み返すわけではない。
すばやくメモを取りながら、記事に使いそうな言葉にはさっと下線を引いているから、そこを中心に記事を書いていく。

おかげで、記事内容に相手から「言ったことと違う」とクレームがついたことは一度もない。

はっきり言って、青山さんが「相手の言葉を正確に記憶」したということには眉に唾を付けている。

私は神経質すぎたかもしれない。
私のようにすべてをメモする記者もいないだろうし、青山さんのように全くメモをしない記者もいないだろう。

国会図書館恐るべし2023/06/07

国立国会図書館オンラインの所蔵資料検索で、試しに「宮田俊行」と入れてみると、私がこれまで書いた単行本や文章8件が過不足なく出てきた。