左翼旋風の時代 ― 2026/05/17
東大の五月祭で参政党の神谷代表が講演するのを妨害するため、共産党関係者が爆破予告し、中止が決まると快哉を叫んだという。
およそ百年前に共産主義者が跳梁跋扈していた時代とよく似ているではないか。共産党が戦争反対を叫べば叫ぶほど戦争は近づいてくるようだ。連中は本音では戦争を、血を、暴力を欲しているのだ。要注意だ。
慢性的な不況で、労働運動や社会主義運動が激しくなる一方、権利を求める一環として、選挙に制限を設けない普通選挙を求める運動も盛り上がった。
大正14年(1925)に衆議院議員選挙法が成立し、満25歳以上の男子に選挙権が与えられることになった。ただ、社会主義運動を警戒する政府は、同時に治安維持法も成立させた。
昭和3年(1928)2月に日本で初めての普通選挙が行われることとなり、27年テーゼを遵奉する日本共産党は党勢拡大に乗り出した。革命を目指す日本共産党にとって議会当選は目的ではなかったが、宣伝・煽動の場として使ったのである。無産政党の労農党から出た候補者11人を立て、公然と党名や主張を記載したビラを配りまくった。
内務省は同年3月15日未明を期して、一斉に共産党関係の大検挙を敢行した(三・一五事件)。
起訴・収容された者530人に上った。取り調べを受けたのは5千数百人に及び、その中には帝大をはじめ大学、高専の学生が2千数百人もいた。
一般国民は、天皇を倒して共産党の天下にしようという企てを持った者が、日本に何百人も何千人もいたことを知って目を回すほど驚いた(三田村武夫『戦争と共産主義』)。
学内にマルクス主義がはびこり、学生が大量赤化したその後の有り様は、1970年安保闘争の全共闘世代(団塊の世代)に驚くほどそっくりだ。
すなわち、大正の末から昭和の初めにマルクス主義の洗礼を受け実社会に出た若者たちは、戦争中には政府官庁の中堅層を占め、民間諸機関の第一線で活躍することになる。「現状打破、革新、資本主義打倒、進歩的政策などのスローガンに呼応して大きな流れをなし、左翼革命謀略の同伴者的役割を果たすことも当然だったのである」(前掲書)。
政官財、マスコミ、司法の世界がリベラルの名のもとに反日左翼に汚染されている平成・令和時代の現状がそのまま、昭和の十五年戦争中にもあったと考えると分かりやすい。令和では打破したいものだ。
およそ百年前に共産主義者が跳梁跋扈していた時代とよく似ているではないか。共産党が戦争反対を叫べば叫ぶほど戦争は近づいてくるようだ。連中は本音では戦争を、血を、暴力を欲しているのだ。要注意だ。
慢性的な不況で、労働運動や社会主義運動が激しくなる一方、権利を求める一環として、選挙に制限を設けない普通選挙を求める運動も盛り上がった。
大正14年(1925)に衆議院議員選挙法が成立し、満25歳以上の男子に選挙権が与えられることになった。ただ、社会主義運動を警戒する政府は、同時に治安維持法も成立させた。
昭和3年(1928)2月に日本で初めての普通選挙が行われることとなり、27年テーゼを遵奉する日本共産党は党勢拡大に乗り出した。革命を目指す日本共産党にとって議会当選は目的ではなかったが、宣伝・煽動の場として使ったのである。無産政党の労農党から出た候補者11人を立て、公然と党名や主張を記載したビラを配りまくった。
内務省は同年3月15日未明を期して、一斉に共産党関係の大検挙を敢行した(三・一五事件)。
起訴・収容された者530人に上った。取り調べを受けたのは5千数百人に及び、その中には帝大をはじめ大学、高専の学生が2千数百人もいた。
一般国民は、天皇を倒して共産党の天下にしようという企てを持った者が、日本に何百人も何千人もいたことを知って目を回すほど驚いた(三田村武夫『戦争と共産主義』)。
学内にマルクス主義がはびこり、学生が大量赤化したその後の有り様は、1970年安保闘争の全共闘世代(団塊の世代)に驚くほどそっくりだ。
すなわち、大正の末から昭和の初めにマルクス主義の洗礼を受け実社会に出た若者たちは、戦争中には政府官庁の中堅層を占め、民間諸機関の第一線で活躍することになる。「現状打破、革新、資本主義打倒、進歩的政策などのスローガンに呼応して大きな流れをなし、左翼革命謀略の同伴者的役割を果たすことも当然だったのである」(前掲書)。
政官財、マスコミ、司法の世界がリベラルの名のもとに反日左翼に汚染されている平成・令和時代の現状がそのまま、昭和の十五年戦争中にもあったと考えると分かりやすい。令和では打破したいものだ。
無我利道場‼️ ― 2026/05/15
修学旅行で辺野古の抗議船に乗った女子高生が転覆事故で死亡した事件で、運航していたヘリ基地反対協議会の浦島悦子代表がなんと、あの無我利道場の一員だったとは!
しかも、なんと昨日取り上げた1991年8月8日付南日本新聞の同じ面に無我利道場が掲載されているのだ!偶然とは思えない!
奄美大島の宇検村久志で共同生活をしていたグループ(大人5人、子供10人)が地元の追放運動によって、ついに16年もの共同生活を解消したというニュースだ。
この共同生活は、1975年に枝手久島石油基地計画に反対するために始まった。今、辺野古に県外住民が住み着いて基地反対運動をしているのとよく似ている。集団のヒッピー的な共同生活が風紀上許されないとして根強い追放運動が続いて、1989年にはグループは「無我利道場」の名称を捨てた。
記事に登場するグループ代表の山田ナオミ(39)は、35年経って74歳。浦島悦子と同じくらい?と思ったが、ウィキペディアによると浦島悦子は1948年生まれで、なんと鹿児島県川内市の出身!
Xの文中にある、無我利道場のコアメンバーの1人がその後「琉球民族独立総合研究学会」に所属したというのが山田かどうか…
浦島悦子が一時期飯の種にしていた無我利道場は奄美での石油備蓄基地建設反対運動にかこつけて作られた組織だった。だが落ち目になってくると浦島悦子は沖縄に生活の場を移した。…
— 茶請け (@ttensan2nd) May 15, 2026
しかも、なんと昨日取り上げた1991年8月8日付南日本新聞の同じ面に無我利道場が掲載されているのだ!偶然とは思えない!
奄美大島の宇検村久志で共同生活をしていたグループ(大人5人、子供10人)が地元の追放運動によって、ついに16年もの共同生活を解消したというニュースだ。
この共同生活は、1975年に枝手久島石油基地計画に反対するために始まった。今、辺野古に県外住民が住み着いて基地反対運動をしているのとよく似ている。集団のヒッピー的な共同生活が風紀上許されないとして根強い追放運動が続いて、1989年にはグループは「無我利道場」の名称を捨てた。
記事に登場するグループ代表の山田ナオミ(39)は、35年経って74歳。浦島悦子と同じくらい?と思ったが、ウィキペディアによると浦島悦子は1948年生まれで、なんと鹿児島県川内市の出身!
Xの文中にある、無我利道場のコアメンバーの1人がその後「琉球民族独立総合研究学会」に所属したというのが山田かどうか…
左翼の暴力性 ― 2026/05/14
磐越道で部活の高校生たちが乗ったマイクロバスがガードレールに衝突して男子生徒1人が死亡した事故の報道が、修学旅行で辺野古の活動家の船に乗せられた女子高生1人が転覆で死亡した事故よりも詳細に報道されていると問題視されている。全くその通りだと思うが、マイクロバス事故で思い出すことがある。
新聞社の枕崎支局にいたときのことだ。
支局というのは職住一体で365日24時間拘束されているので、初めての息抜きに一家3人で宮崎のシーガイアに泊まることにした。不在の間の事件事故が一番懸念されることなので、社会部と、支社支局を管轄する地域報道部には2日間休みを取ることを連絡しておいた。
朝、支局を出発して枕崎を出るか出ないかというところで、社会部から連絡があった。高校生の乗ったマイクロバスの事故があったというのだ。「休みだそうですからこちらでカバーします」という言葉はない。仕方がないので取って返し、取材を開始した。当然家族旅行はおじゃんでホテルもキャンセルだ。
30年前のことなので事故の詳細はよく覚えていないが、やはりスポーツの大会に向かうかなにかの高校生が7、8人乗ったマイクロだったと思う。死亡事故ではないし、怪我もあったのかどうか。これくらい社会部でカバーしてくれよと腹立たしい記憶があるので大した事故ではなかったと思う。
自分としては休みの連絡もしていたし落ち度はなかったのだが、支局長会議の際、社会部長に皆の前で叱責された。支局がまず一番にキャッチすべきなのに社会部からの連絡で事故を知るなどけしからんということだったと思う。当日は休みを取ると社会部に連絡していたことを部長は知らないようだった。それを言うべきだったのだろうが、火に油を注ぐと思って皆の前で恥を掻かされるまま黙っていた。
この部長Kはいわゆる瞬間湯沸かし器の短気者で、散々迷惑を蒙った。
初めての迷惑はKがまだ政経部員の時。私が常に参照するために机の前に立てていた大事な本を勝手に持ち出し、「借りたからな」と言ったっ切り返さなかったことだ。つまり盗みである。人がいない時に机を物色していたということも恐ろしい。
その後は幸いKとは仕事で関わりがなかったのだが、支局と社会部との関係になってから嫌がらせが始まった。
支局管内の祭りにこっそりやって来て、当事者の支局長には一言の断りもなく部長の職権で?写真を一面にカラーで勝手に載せた等々…。
今、しばき隊や辺野古の活動家の暴力性が問題になっているが、新聞社にいた左翼も暴力的だった。Kもその一人だ。
鹿児島でも朝鮮人の強制連行があったという、とんでもない嘘をでっち上げたのだ。是非その紙面とともに見て下さい(紙面はクリックで拡大して読めます)。↓
https://restart.asablo.jp/blog/2017/08/17/8649193
私の左翼嫌いの原点だ。
新聞社の枕崎支局にいたときのことだ。
支局というのは職住一体で365日24時間拘束されているので、初めての息抜きに一家3人で宮崎のシーガイアに泊まることにした。不在の間の事件事故が一番懸念されることなので、社会部と、支社支局を管轄する地域報道部には2日間休みを取ることを連絡しておいた。
朝、支局を出発して枕崎を出るか出ないかというところで、社会部から連絡があった。高校生の乗ったマイクロバスの事故があったというのだ。「休みだそうですからこちらでカバーします」という言葉はない。仕方がないので取って返し、取材を開始した。当然家族旅行はおじゃんでホテルもキャンセルだ。
30年前のことなので事故の詳細はよく覚えていないが、やはりスポーツの大会に向かうかなにかの高校生が7、8人乗ったマイクロだったと思う。死亡事故ではないし、怪我もあったのかどうか。これくらい社会部でカバーしてくれよと腹立たしい記憶があるので大した事故ではなかったと思う。
自分としては休みの連絡もしていたし落ち度はなかったのだが、支局長会議の際、社会部長に皆の前で叱責された。支局がまず一番にキャッチすべきなのに社会部からの連絡で事故を知るなどけしからんということだったと思う。当日は休みを取ると社会部に連絡していたことを部長は知らないようだった。それを言うべきだったのだろうが、火に油を注ぐと思って皆の前で恥を掻かされるまま黙っていた。
この部長Kはいわゆる瞬間湯沸かし器の短気者で、散々迷惑を蒙った。
初めての迷惑はKがまだ政経部員の時。私が常に参照するために机の前に立てていた大事な本を勝手に持ち出し、「借りたからな」と言ったっ切り返さなかったことだ。つまり盗みである。人がいない時に机を物色していたということも恐ろしい。
その後は幸いKとは仕事で関わりがなかったのだが、支局と社会部との関係になってから嫌がらせが始まった。
支局管内の祭りにこっそりやって来て、当事者の支局長には一言の断りもなく部長の職権で?写真を一面にカラーで勝手に載せた等々…。
今、しばき隊や辺野古の活動家の暴力性が問題になっているが、新聞社にいた左翼も暴力的だった。Kもその一人だ。
鹿児島でも朝鮮人の強制連行があったという、とんでもない嘘をでっち上げたのだ。是非その紙面とともに見て下さい(紙面はクリックで拡大して読めます)。↓
https://restart.asablo.jp/blog/2017/08/17/8649193
私の左翼嫌いの原点だ。
日本人に働いてもらおうよ ― 2026/05/13
恥を忍んで書くと、私も選択定年で会社を早く辞めてから、また働こうと思ったときに大変苦労した。
履歴書を40枚は書いた。
履歴書って、保存してあるデータをプリントアウトってわけにはいかない。手書きしないといけないので大変時間がかかる。
もちろん会社に応じて中身もアレンジしないといけない。
面接に行って驚いたのは、私のような50〜60代よりも、30〜40代の求職者が多かったことだ。
私は幸い、そのうち2か所で働くことができたが、あの求職活動の苦しさはもう味わいたくない。
言いたくはないが、早期退職の報いというか、つけ、屈辱を存分に味わわされた。
若い人たちの絶望はもっともっと大きいことだろう。
今、日本人を断って、外国人を働かせようという連中がいる。
怒りを禁じ得ない。
履歴書を40枚は書いた。
履歴書って、保存してあるデータをプリントアウトってわけにはいかない。手書きしないといけないので大変時間がかかる。
もちろん会社に応じて中身もアレンジしないといけない。
面接に行って驚いたのは、私のような50〜60代よりも、30〜40代の求職者が多かったことだ。
私は幸い、そのうち2か所で働くことができたが、あの求職活動の苦しさはもう味わいたくない。
言いたくはないが、早期退職の報いというか、つけ、屈辱を存分に味わわされた。
若い人たちの絶望はもっともっと大きいことだろう。
今、日本人を断って、外国人を働かせようという連中がいる。
怒りを禁じ得ない。
先日、知人から聞いた話です。
— 安川 さちよ (@sachiyoehime118) May 12, 2026
引きこもりだった若者が、勇気を振り絞って就職面接へ行った。
しかし返ってきたのは
「働いた経歴がないから難しい」という言葉。
人手不足と言いながら、
経験がない日本人には厳しく、
安易に外国人労働力に頼る流れで本当にいいのでしょうか。
必要なのは、…
高市さんはなぜ石破総理誕生を許したか ― 2026/04/28
昨年10月、石破首相が辞任。
日本は救われたかに思えた。だが、やはり遅かった。
今、日本は外国人の不法移民・違法行為・迷惑行為・犯罪に悩まされながら何ら手立てが打てず、石破政権の時よりむしろ悪化し、とどまるところを知らない恐ろしさだ。
それで私は高市支持をやめたが、これは高市さんの責任ももちろんあろうが、石破の在任386日での悪政が今、取り返しのつかない惨状を生んでいるのだと思う。
今、石破が元気を取り戻し、堂々と左翼やキリスト教関係者との付き合いを活発にしているのを見るとつくづくそう思う。
高市さんは2024年9月の総裁選で勝利して、石破総裁誕生を阻止するべきであった。
1回目の投票で9人の候補者中1位になったものの、票がばらけて過半数に達せず、石破との決選投票になった。
そして、ここでなんと逆転を許してしまうのである。
私はその原因を決選投票前のスピーチの失敗だとした。
https://restart.asablo.jp/blog/2024/09/28/9720054
どうしてあんな下手なスピーチをしたのか謎だったが、今年2月に片山さつき財務大臣が明かしたところによると、睡眠不足でふらふらしていたというのだ。
https://restart.asablo.jp/blog/2026/02/03/9834463
あのスピーチで議員票10票は失ったと片山さんは言うが、実際にはもっと大量の票を失ったと思う。
高市総理は今も相変わらず睡眠不足を訴えているが、いい加減にしろと言いたい。
一国の総理が家事で睡眠不足だなどと半ば良妻を気取って、政治を誤ってはならない。家政婦を何十人でも雇えばいいのだ。それが国民のためだ。
日本は救われたかに思えた。だが、やはり遅かった。
今、日本は外国人の不法移民・違法行為・迷惑行為・犯罪に悩まされながら何ら手立てが打てず、石破政権の時よりむしろ悪化し、とどまるところを知らない恐ろしさだ。
それで私は高市支持をやめたが、これは高市さんの責任ももちろんあろうが、石破の在任386日での悪政が今、取り返しのつかない惨状を生んでいるのだと思う。
今、石破が元気を取り戻し、堂々と左翼やキリスト教関係者との付き合いを活発にしているのを見るとつくづくそう思う。
高市さんは2024年9月の総裁選で勝利して、石破総裁誕生を阻止するべきであった。
1回目の投票で9人の候補者中1位になったものの、票がばらけて過半数に達せず、石破との決選投票になった。
そして、ここでなんと逆転を許してしまうのである。
私はその原因を決選投票前のスピーチの失敗だとした。
https://restart.asablo.jp/blog/2024/09/28/9720054
どうしてあんな下手なスピーチをしたのか謎だったが、今年2月に片山さつき財務大臣が明かしたところによると、睡眠不足でふらふらしていたというのだ。
https://restart.asablo.jp/blog/2026/02/03/9834463
あのスピーチで議員票10票は失ったと片山さんは言うが、実際にはもっと大量の票を失ったと思う。
高市総理は今も相変わらず睡眠不足を訴えているが、いい加減にしろと言いたい。
一国の総理が家事で睡眠不足だなどと半ば良妻を気取って、政治を誤ってはならない。家政婦を何十人でも雇えばいいのだ。それが国民のためだ。
また記者がしたい…かも ― 2026/04/23
大学の民俗学のレポートを書くために近くの神社に行った。
本殿の右奥に、小さな末社が5つ並んでいて、その真ん中が捜していたものと分かり、ためつすがめつ調べていた。
すると、関係者と見られるおじいさんが話しかけてきた。
きっと不審者だと思われたのだろう。
しばらく私の方から目的の末社についていろいろ尋ねたのだが、その後で、問わず語りに賽銭箱が盗まれた話をし出したからだ。
それは末社の中では少し立派な、と言っても小さな覆屋だが、その中に御祭神と、金属製の賽銭箱が据え付けてある。
その重そうな賽銭箱ごと盗まれ、打ち捨ててあるのが見つかったのだと言う。
そのご老人は神社総代会長(84歳)だった。
私も質問が止まらなくなり、そうだ、記者の時は毎日こういうことをしていたんだと思った。
記者を辞めて18年。
なんかまたやりたくなった。
一番いいのは古巣の新聞社の福岡支社(長年一人記者がいたのに数年前から経費節減でゼロに)でキャリアスタッフとして働くことなんだが…
やっぱり福岡に記者ゼロはまずいよ。
本殿の右奥に、小さな末社が5つ並んでいて、その真ん中が捜していたものと分かり、ためつすがめつ調べていた。
すると、関係者と見られるおじいさんが話しかけてきた。
きっと不審者だと思われたのだろう。
しばらく私の方から目的の末社についていろいろ尋ねたのだが、その後で、問わず語りに賽銭箱が盗まれた話をし出したからだ。
それは末社の中では少し立派な、と言っても小さな覆屋だが、その中に御祭神と、金属製の賽銭箱が据え付けてある。
その重そうな賽銭箱ごと盗まれ、打ち捨ててあるのが見つかったのだと言う。
そのご老人は神社総代会長(84歳)だった。
私も質問が止まらなくなり、そうだ、記者の時は毎日こういうことをしていたんだと思った。
記者を辞めて18年。
なんかまたやりたくなった。
一番いいのは古巣の新聞社の福岡支社(長年一人記者がいたのに数年前から経費節減でゼロに)でキャリアスタッフとして働くことなんだが…
やっぱり福岡に記者ゼロはまずいよ。

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