鹿児島の活動家たちに注意!2026/03/05

鹿児島市の出版社社長から毎年恒例の「新年の挨拶」が来た。

どうしてこの時期に「新年」かと言うと、反日媚中だから旧暦・旧正月での挨拶なのだ。

彼は4年前にロシアがウクライナに突如攻め込んだ夜、夢を見たと言う。
その夢ではゼレンスキー大統領が国民にこう演説した。
「私は大統領として自国民を一人も死なすわけにはいかない。首都をロシア軍に明け渡す」
これは彼の願望にもとづく夢だった、と抜け抜けと語る。
侵略者に抵抗しないのが彼の夢‼️

続けて、日本の中国に対する姿勢を挑発行為だと非難する。

「2011年の尖閣諸島国有化をきっかけに、日中関係は険悪になっています。日本は、挑発を反省するどころか、中国を仮想敵国とあからさまに定め、軍拡を推し進めています。南西シフトというものです」
「戦争と原発事故。これは、平穏な暮らしを台無しにする二大人災です。遠くに追いやらなければ枕を高くできませんし、おちおち本も作れません。『平和を守るための軍拡』は『国を守るための戦争』に連続します。騙されないようにしたいものです」

彼はこの30年来、反原発運動を続けてきた、筋金入りの極左活動家だ。

こんなキチガイのたわごとは、すぐにくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放っておいたのだが、いま拾い出して中身を紹介することにした。

なぜか。Xで、鹿児島市の公民館でイスラムの祈りをさせているという地元テレビのニュースを見たからだ。

鹿児島にはこういう、まるで自分たちは良いことをしてるかのように酔っている活動家たちが一定数いる。
そして鹿児島の人たちはそれに騙されやすいので警告しておきたいと思った次第だ。

若嶋津の死去で思い出したこと2026/03/19

元大関の若嶋津が15日、亡くなった。

成績を見ると、昭和59年(1984)に2度優勝している。
若嶋津はこのとき27歳。
私は同年生まれだが、学年はひとつ下で、26歳。
鹿児島の新聞社で社会部の記者だった。

優勝が決まったその晩、デスクが「部屋に電話してコメントを取れ」と私に言う。
正直、「え、俺が?」と思った。
スポーツ担当ではなかったし、相撲部屋の取材は難しいと聞いていたからだ。
デスクはただ、若い私に言いやすかったのだろう。
私はデスクの命令には逆らわない方なので、腹を決めて電話した。

電話に出た若いもんが子機を渡してくれたのだろう、いきなり若嶋津が電話に出た。
祝宴の最中なのか、周りはわいわいがやがやとしている。
よく覚えていないが、まずはお祝いを言ってから、「お取り込み中すみません」とかナントカひたすら恐縮して尋ねたんだと思う。
そしたら案外、愛想よくコメントしてくれた。
ほっとした記憶がある。

それにしてもこの年、3月場所は14勝1敗で初優勝。5月場所は9勝6敗だったものの、7月場所では15戦全勝。
これで横綱昇進できないという、今では考えられない不運だ。

ところで、この頃は人名漢字にも厳しい制限があって、常用漢字しか使えなかった。
ところがなぜか長嶋茂雄だけは例外で、長「島」とはしなかった。
そして若嶋津も、地元出身であることから特別に「嶋」を許容したのである。

クレクレモンスター2026/03/25


新聞社の奄美大島支社から鹿児島市の本社へ戻る時、後任の男から家電三つ(洗濯機、掃除機、冷蔵庫)を譲ってほしいと言われて、お人好しの私はまだ2年しか使用していない家電を無料で譲った。

さすがになんかお礼があると思った。
お菓子でも焼酎でも、何でもいいのよ、気持ちだから。
自分だったら無料は気が引ける。

ところが、その男はタダでもらいっぱなし。

あまりに礼儀に欠けるので、翌年だったかな、家の掃除機が調子悪くなったんで、掃除機を返してくれと言ってやった。

送られてきた掃除機を見て、あきれたね。
梱包材に包みもせず、掃除機のホースをガムテープでとめただけの剥き出しの掃除機が島から送られてきた。
当然、壊れてた。
あれ、宅急便屋もよく引き受けたよね。
そいつには連絡もしなかった。
「壊れてたぞ」って文句言っても虚しいじゃん。

その調子のいい奴はその後、役員にまでなったよ。三つ安どころか、三つ只!!

【追記】ちょうど私と同じ頃、大島新聞の女性記者が名瀬から沖永良部に転勤になって、不用品を同僚に売って処分していた。
学生でも持たないような、白黒の小さなブラウン管テレビを1000円とかね。けっこう高い値を付けて。
がめついな〜と思ったが、売れるんだから需要はあったのだろう。 私にはできないが、ああすべきだったのかもしれない。
タダで人にやるのは良くない。タダでもらうような奴は感謝しない。
小学生の時にも「クレクレモンスター」がいた。
私が大事にしていたクマのぬいぐるみが2つあったのだが、意地悪で嘘つきの死ン角という最悪のガキがいて、ある時突然、「ちょーだい、ちょーだい」としつこく言い出した。
私がどんなに大事にしているか知っていたので、本当に欲しいのではなく意地悪で奪おうとしたのだ。
こいつのしつこさは天下一品。
私はとうとう根負けして、ぬいぐるみをやった。
母に「死ン角君があんまりしつこく言うからぬいぐるみ上げた」と告げると、母は「え、あげたの?」と驚いた。私がどんなに大事にしていたか知っていたからだ。
私は逆に母のそんな様子を見て、自分がトンデモナイことをしてしまったんだとハッと気づいて、近所の死ン角のうちに走った。
すると死ン角は自分のうちの犬(エルという名だ、忘れもしない)にぬいぐるみを与えて噛ませ、ゲラゲラ笑っていた。
青ざめた私を見ると、さすがの死ン角も黙ってぬいぐるみを差し出した。謝りはしなかったが。
私は家に帰るとズタズタになった2頭のクマに土下座して謝った。
そんな「クレクレモンスター」にまつわる嫌な嫌な思い出。