今日のひとこと2023/10/16

昨日、黒柳徹子さんがNHKのインタビューに答えていた中で、印象に残ったこと。

ご存じのように、テレビ草創期から関わっている人だが(NHKの専属女優第一号とか)、意外なことに初めの頃、あまりの忙しさに病気で倒れたのだという。

退院するとき先生に「死ぬまで病気したくないんですけど、どうすればいいですか」とうかがったら、「ひとつしかないけど、できないでしょうな」と。「やりますから」と言ったら、「好きなことだけやって生きていきなさい。自分からすすんでやる仕事をしていれば、疲れは肉体の疲れだけで、寝ればなおる。いやだと思って仕事をしてると、胸に残って積み重なって、それが原因で病気になっていく」とおっしゃったの。

以来、やりたい仕事だけをやってきた。それが健康の秘訣なのは間違いないという。

NHK労組を潰せ2023/07/22

降格人事2023/07/19

新聞社を辞めてもう15年。
当ブログでもいろいろ書いてきたし、もう書きたくはないのだが、世間の出来事を通してどうしても思い出すことがある。

中古車販売会社のビッグモーターで、異常な降格人事が常態化していたという。

私もやられたことがある。

退職するにあたり、最後の2カ月ほどだったか、体調不良のため診断書を提出して休職してから退職した。

私は編集局編集部副部長だったのだが、休職の間に編集局付となり階級も副部長待遇へワンランク降格になっていた。
しかも、その連絡は私に一切なかった。

それを知ったのは退職に関する説明会のときで、私と同時に辞めた同期の男と退職金を比べてみて分かった。

同期の男はずっとヒラで、私はその時まですでに7年以上副部長をやっていたから、退職金の額にはかなり差があるはずだった。
ところが百万円も違わなかったので、その男が驚いた。
私は驚くというより、こんな陰湿な嫌がらせをやるかと呆れた。

ビッグモーターの場合、就業規則で降格を決めるには①対象者に弁明の機会を与える②賞罰委員会に諮る――必要があるのだが、その手続きが取られていなかったという。

新聞社の就業規則は新入社員のときにもらったものなので、現在どのようになっているか分からない。
しかし何かと世の中を批判する立場の新聞社であるから、自社の降格人事についても少なくともビッグモーター並みの規定はあるはずだ。

正常な手続きをせず、退職社員に損害を与えたのは、ビッグモーター並みの「異常な降格人事」と言っていいだろう。
しかも本人に最後まで降格を告げない不誠実さと悪質さは、卑怯と言うしかない。

新聞社には26年余も勤めて、それなりの恩義も愛着も感じているから訴えなどを起こす気はない(パワハラについても)。
現役の社員や志望者たちに少しでも参考になればと書いている。

今日のひとこと(受容し達観して)2023/03/29

現在〝人生一休み〟の状況ですが、これを負けだとか屈辱だと捉えないでほしい。長い人生、誰しも乗り越えられないような局面があるのが当たり前。そこで初めて、人生の難しさにあえぎ、苦しみ、悲しむことになる。その状況を受容し達観してこそ、生きていることの「本当の味」を深くかみしめることができる。そしてそこからが、あなたの人生の第二ステージ。

~3月27日付産経新聞人生相談~

私も退職金減らされてたよ2022/04/07

青山繁晴議員秘書に82人応募8人通過2022/02/04

以下はすべて「青山繁晴の道すがらエッセイ」からの引用です。


初めての私設秘書がいずれ誕生しそうです

▼なんと82人もの応募がありました。
 十代から七十歳代近くまで、幅広い、応募をいただきました。
 すべてのみなさんに深く、感謝します。

▼その全員について、第一次の書類選考 ( 公設秘書3人による選考 ) 、第二次の書類選考 ( ぼくと公設第一秘書による選考 ) をおこない、8人ほどが通過しました。
 今後、面接を行っていきます。

▼まだ途中経過ですが、応募された82人ものかたがたはみな、「もう〆切は過ぎたはず。今どうなっているのか」とお思いでしょうから、最小限度の情報に絞って今、公表しました。
 なぜ最小限度か。
 応募者全員について、応募の秘密を絶対に守らねばならないからです。

▼それぞれが憂国の士であり、年齢や男女、経歴はまったく関係なくそうであることが、何よりうれしいです。
 すべてが決まってから後に、応募者全員にお礼として、ぼくから便りをお出しします。

▼なお、議員会館の青山繁晴事務所はこれまで、どんなに多忙でも、公設秘書の3人と参議院議員のぼくの4人だけで、公務を果たしてきました。
 公設秘書とは、国会法によって国費 ( すなわち日本国民の税金 ) で人件費が拠出されることが認められている、特別職の国家公務員です。
 公設第一秘書、公設第二秘書、公設政策担当秘書の3人だけです。
 これはたとえば、アメリカなどに比べるとたいへん少ないです。

 アメリカ議会の下院 ( 日本の衆議院 ) では、国費 ( すなわちアメリカ国民の税金 ) が負担する公設秘書は、議員一人あたり実に22 人です。
 正確には、常勤秘書 ( permanent employee ) が18人、その他の秘書 ( additional employee ) が4人です。

 これで、日米の格差に驚くのは、まだ早いのです。
 ぼくの居る参議院にあたる上院では、議員ひとりが国費 ( 税金 ) で雇用できる秘書は、なんと人数無制限です。
 最初に現役のアメリカ合州国上院議員から直に、これを聴いたときは、聞き間違いかと思いました。
 しかし事実です。
 無制限です。

 おとどしくらいの話では、上院議員 ( 日本の参議院議員 ) ひとりあたり、平均40人を超えているそうです。
 常勤秘書に限っても、平均35人前後いるそうです。
 2年ぐらい前に、ぼくが確認した情報です。その後に多少の見直しがあったかも知れません。武漢熱のためにアメリカ議会に行って直接、議論することができませんから。
 しかし「国費負担の公設秘書が減らされた」という話は聴きません。そんな発想すら、まったく聴きません。

 背景には、議員自身が立法する法案が、アメリカの基本であり、日本では、そうした議員立法は全会派一致が大原則なのでとても少ないということがあります。
 共産党をはじめ、世界観、国家観、歴史観がまったく違う政党と一致する法案は、なかなかに困難です。
 ただし、学者や評論家の「日本は議員立法が少ないから駄目だ」といった批判は、現場を知らないお話でもあります。
 なぜか。
 議員立法ではない法案は、閣法と言います。内閣・政府が国会に上程するからです。
 しかしそれは内閣・政府が勝手につくるという意味ではまったくありません。自由民主党が与党でいる限りは、すべての法案は、党の部会の審議を経て、部会で諒解されないと、国会に上程できません。
 ぼくが議員となってから、一生懸命にみなさんに紹介してきた部会ですね。
 閣法の審議、これが、部会の機能の最大のものです。
 政府の方針や政策についても、部会の諒解がないと通常、成立しませんが、法案については、もっと明確です。部会を通らない閣法は、国会に出せません。

 さらに大切な、知られざることがあります。
 自由民主党の議員にほんとうにやる気があれば、みずから法案を行政官 ( 官僚 ) に提案し、内閣と議論を重ねに重ねて、閣法として仕上げることができます。
 閣法ならば、野党が反対する法案であっても、国会に上程できる、つまり出せるから、非常に意義が大きいです。
 ぼくはこの5年半、それを積み重ねてきました。
 そして、このことこそが、議院内閣制の本分なのです。
 アメリカの大統領制とは根本的に違います。

▼「日本も議院内閣制をやめて大統領制にしろ」と仰る評論家、学者、コメンテーター、元政治家がいらっしゃいますが、そういうかたは、天皇陛下のご存在が無くてもよいという立場の人が多いです。
 ろくに考えずに、発言している人は論外ですが、信念をお持ちで「議院内閣制をやめろ」というかたは、基本、天皇陛下のいらっしゃらない日本を望んでいると、長い、直接の議論の体験から、ぼくは考えています。

 どうして日本は議院内閣制でいるべきだと、ぼくは考えるのか。
 国際社会で言う国家元首とは、日本では、天皇陛下しかいらっしゃいません。
 たとえばアメリカの大統領は、為政者と元首を兼ねます。
 ぼくらの日本では、元首は天皇陛下であり、そのもとに為政者の内閣総理大臣がいるのです。

 ほんとうは、日本の天皇陛下のご存在は、西欧の法体系で言う元首とは、違います。
 同時に、国際社会で「日本の元首はどなたですか」と尋ねられたとき、ぼくは必ず、「天皇陛下です。古代から一貫して、そうです。二千年を超える永い歴史を貫いて、そうです」と答えます。
 それを聴いた外国人は、ぼくの経験の範囲内ですが、おひとりの例外もなく、日本と日本人への見方を変えました。敬意のこもったまなざしに、一変することも珍しくありません。
 アメリカ人はもちろん、中国人であっても、そうなのですよ。
 天皇陛下をいただき、そのもとに内閣総理大臣がいらっしゃり、その総理大臣は議会から選び、議会の議員は国民が選ぶ。
 これが、ぼくらの祖国の議院内閣制です。
 それを長いあいだ変わらずに支えている日本人に、すくなからぬ外国人が敬意を抱いてくれます。ぼくは何度も、何度もそれを世界の現場で聴いてきました。
 戦場であってすら、そうなのです。 

▼話を元に戻すと、その天皇陛下のいらっしゃる議院内閣制のもと、閣法を内閣や行政官任せにせず、共につくることを、その他の膨大な交渉、水面下交渉と同時進行で、ぼくは続けてきました。
 ですから、たった3人の公設秘書で足りる訳はありませぬ。

 しかし政治献金をどなたからも、1円も受け取らず、政治資金集めパーティをやらず、パーティ券を1枚も売らず、すなわち法が保証した資金集めを一切しないのですから、私設秘書の人件費について困難山積です。
 そのために、奮闘してくれる公設秘書3人と共に、やせ我慢でやって来ました。
 それを見直すきっかけになったのは、みなさんの熱意です。

「自由民主党を中から叩き直す」というぼくの理念に共鳴して、驚くほかないぐらい沢山のみなさんが、自由民主党の党員になってくださいます。
 議員会館の青山繁晴事務所を通じて、なってくださいいます。
 自由民主党ではな「自民党」が大嫌いというひと、政治家が大嫌いというひと、政治に無関心だったというひと、選挙には行かなかったというひと、そういう日本人こそが、どんどん議員会館の青山繁晴事務所を通じて自由民主党員になってくださっています。

▼そのために、ついに公設秘書3人の仕事が爆発 !
 これを契機に、何とかやりくりをして、私設秘書を雇おうと、公設秘書3人と協議のうえ、ぼくが決しました。

▼さて、8人ほどの方には、やがて面接のお知らせが行きます。
 そうでないかたにも、ぼくからの、こころからの礼状が届きます。

▼今回は応募しなかったけど、次に機会があれば考えようというひとも、それは無いというひとも、どうぞ、下掲をご覧になって、ぼくと、公設秘書3人と、やがて決まる私設秘書と、一緒に戦うために、自由民主党の党員になってください。
 こんなに長い政権担当の歴史があり、だからこそ日本政治を直接、動かしていて、同時にやはりだからこそ既得権益にどっぷり浸かっていて、天皇陛下のご存在に基づく国造りを基本とする唯一の政党である、自由民主党を、外から変えることはできません。
 内部の深くに確たる存在として居て、それでいて既得権益とは全面的に対決し、清潔を貫くことにだけ、変えられる希望があります。
 ぼくと、一緒にやりましょう。あなたにこそ、魂から、申しあげています。

謝罪がないので忘れられない2021/12/07

時おり思い出しては、とてつもない不快さに全身が襲われる。
その不快感にまた襲われてしまった。

奴は今、新聞社の報道部デスクをしているM。
あろうことか、私と同姓だ。

当時、私は大島支社(名瀬市)の支社長だった。
支社長と言っても部下は一人で、自分も同じように取材に走り回っていた。

当時、徳之島の伊仙町では選挙がらみのいざこざがよくあった。
徳之島にも支局があるのだが、この人は地元の高校の先生上がりで、事件ものは取材しない決まりになっていた。
そこで私が手伝いに行ったのだが、そのあと社会部からもMが応援に来た。

するとMは伊仙の現場で、私に喧嘩を吹っかけてくる。
何に文句があるのか聞いても答えない。

現場の様子は大したことなく、M一人で十分対応できそうだったので、私は後を託して飛行場に向かった。

というのも、ちょうど強い台風が接近しており、その日に帰らないと足止めを食らいそうだったからだ。
何日も足止めされたら、支社を部下1人に任せることになる。何としても帰らなければならない。

飛行場への途中、Mから「大変なことになっている。すぐ戻ってください」と携帯電話があり、急きょ、引き返した。

ところが、戻ってみると何事もない。Mは「今、落ち着きました」という。

もう飛行機は逃したので、今度は船で帰ろうと港へ向かった。

するとまたMから「すぐ戻ってください」と電話が来て、戻る。
ところが、現場は何も起こっていない。
Mは平然としている。

結局、私は帰りの手段を失い、予報通り台風が襲来して空も海も欠航し、その後3日も奄美大島に戻れなかった。
仕事の予定はすべて狂い、私も支社の部員も大変な迷惑を蒙ったのである。
しかし、Mは私の宿に顔も見せず、一言も詫びなかった。

Mは社会部員だが、現場では私が上司(支社長は副部長)であり、「あとを頼む」という指示には従わなければならない。
明らかな業務命令違反である。
社会部長に報告すべきだったが、私はそういうやり方を好まないし、思いつかないほうだ。
Mが反省すると思っていた。

何年か後、Mとまた仕事をする羽目になった。
私が編集部デスク、Mが社会面担当の部員としてである。
その機会にMに嫌がらせをすることもできたが、私はそうせず、嫌悪感に鳥肌立ちながらも穏やかに接し、仕事を進めた。

Mは結局、一言も謝罪しなかった。

Mも今、デスクという立場になって、言うことを聞かない部員に手を焼くこともあるだろう。
そんなとき、徳之島で私にしたことを反省したりするだろうか。
いや、してないだろうな。

Mに真摯な反省と謝罪を求める。