鯨と潜水艦2023/01/22

鯨が湾内に逃げ込んできたり浜に打ち上がったりするのは、中国の潜水艦が動き回っているせいだという小説を書いたことがある。
長いので一節だけ。


 沖縄沖。
 中国海軍の潜水艦が、静かに米空母に近づいている。
「残り十キロであります」
 艦長は「まだ気づかんのか。馬鹿な奴らだ。もう少し、このまま進もう」と指示した。
「残り九キロ」
「まだだ」
「もうすぐ八キロであります」
「よし、浮上」
 中国潜水艦は米空母の鼻の先に浮上した。
 米軍は驚愕した。その位置は潜水艦による魚雷の射程圏内をとっくに越えていたのである。「攻撃しようと思えば、できましたよ」という挑戦的なメッセージである。空母側は今ごろになって、近づきすぎだ、すぐに離れろという警告を送ったものの、軍人として非常に恥ずかしい思いをした。中国潜水艦は悠々と去っていった。米空母の艦長はこの深刻な出来事を即座に太平洋艦隊司令部と国防総省に打電した。
 中国は東シナ海での潜水艦活動を強化していた。ロシアから購入したスクリュー音の小さい、静粛性に優れた潜水艦である。もちろん米海軍はその対策に着手しており、強力な低周波ソナーシステムを世界中の海に配備しているところだった。これは相手潜水艦の行動音を拾う従来の方式に代えて、自ら二一五―二四〇デシベルの大音響の低周波を発して相手の位置を探るシステムだ。その音量は戦闘機の離陸やロケットの打ち上げ時にその真横に立っているのと同じレベルだという。
 米海軍はさっそく、今回の中国海軍の挑発かつ侮辱行為に対して、低周波ソナーシステムを搭載した艦船を出動させ、潜水艦に対する哨戒活動を大々的に開始した。
 海の中は轟音に包まれた。
 ソナーが出す低周波はクジラやイルカなどがコミュニケーションに用いる周波数に近い。
 ちょうど哨戒艦の近くにマッコウクジラの大きな群れがいた。クジラたちは大音響にのたうち回った。内耳を痛めたのである。クジラは音から逃れようと必死に泳ぎ始めた。しかし聴覚器官を損傷して方向感覚を失い、群れはばらばらになった。そのうちの十四頭が九州南部の方角に狂ったように逃げていった――。

「取材ノートのマンモス」(『現代鹿児島小説大系2』所収、2014年)