「易居町カムバック」は可能か ― 2026/08/31
日テレとフジの思想差は本社ビルひとつとっても顕著。
— モノリス・キャピタル (@monorisujp) August 30, 2026
オフィスとしての機能汎用性を重視した日テレに対して、テレビ局としての意匠性を重視したフジ。… https://t.co/9BUTGZABEB pic.twitter.com/M242pkISCy
私は南日本新聞社にはいつの日か創業の地・易居町に戻ってもらいたいと思っている。
そのためには現有地・社屋をなるべく良い値段で売却しなくてはならない。
上記の日テレとフジの本社ビル比較が興味深い。
オフィスとしての機能汎用性を重視した日テレは、一般オフィス転用が可能なため、売り払って「麹町カムバック」ができる。
これに対してテレビ局としての意匠性を重視したフジは、一般オフィス転用も他テナント転用もできないため河田町には帰れず、お台場とともに時代に取り残される形になったという。
南日本新聞社の場合、どちらかといえばフジに近い。
「易居町カムバック」は今のままでは難しそうだ。
200億円の事業を比較(続き) ― 2026/08/24
ありきたりの社屋なんて50億もあれば十分じゃない?
【速報】サッカースタジアム候補地に「鴨池庭球場敷地」 鹿児島市が市議会に説明 「複合型」は断念、総整備費は215億円見込む https://t.co/GOnZiZ6nop #南日本新聞 #鹿児島
— 南日本新聞【公式】 (@373news_twit) August 24, 2026
200億円の事業を比較 ― 2026/07/31
【全国初】
— FBS福岡放送ニュース【公式】 (@FBS_NEWS5) November 5, 2025
「ワンヘルスセンター」起工式
総事業費200億円
2027年12月以降に利用開始へ #FBSニュース #福岡
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今まさに問題となっている福岡のワンヘルスセンター。
総事業費200億円。
県民の反応は、こんなものに200億も!!という驚きと怒りだろうが、私はちょっと違う。
こんな立派な施設が200億円で出来るんだ!である。
鹿児島の新聞社の移転事業に一体、総額いくらかかったのか。
これは2017年8月26日にも書いているが、会社からクレームは来ていない。
真実だからクレームはつけられないのだ。
私が退職した2008年に社長との意見交換会で直接聞いたところ、土地代を含めて総額200億円との答えだった。
奇しくも福岡のワンヘルスセンターと同額である。
そうでなければこの話題はもう書きたくなかった。
当時から200億円というのは、建設日時が近く金額が公表されている公共施設と比べて突出して高かった。
社長によると、200億円の調達は、県外支社の社宅など優良資産を全て売却したほか110億円を借金したという。そして2008年時点で、残る借金は74億円ということだった。
会社を潰しかねない無理な社屋移転事業だったが、それでも百歩譲って、200億円に見合った社屋になっていれば目をつぶろう。
もう一度、福岡のワンヘルスセンターの完成予想図を見てもらいたい。
広大な敷地にいくつもの建物が建っている。
ところが、同じ200億円をかけて鹿児島市与次郎に建設された新聞社は、狭い敷地に12階建ての細長いビルが1棟建っているだけである。
おまけに安普請で、新築後、最初に来た台風で雨漏りした。
立地が悪く、沿岸なので常に台風や高波に脅かされている。
土地を選定する時の危機管理能力がゼロだったと言わざるを得ない。
2001年に発刊された公式社史『南日本新聞の百二十年』によると、社屋移転は当初計画では総投資額130億円で、のちに140億円に修正したという。
2008年の社長の発言とは60億円の開きがあるが、その説明はなされていないし、誰も責任を取っていない。
ワンヘルスセンターに負けず劣らず不明朗、不透明なのである。
大スキャンダル⑦ ― 2026/07/10
【悲報】
— 秋野つゆみ@マンガ・動画発信中 (@nihonnomanga) July 9, 2026
6月末に再選したばかりの #岸本聡子 杉並区長。
19歳の次男ケアのため、いきなり23日間の長期休暇へ。https://t.co/rILVJVduIx
またまた嫌なことを思い出した。
例によって暇な方は読んで下さい。
文化部デスクの時、部長が父親が入院して容態が悪いらしく、1か月以上も職場に出てこなかった。
その間、仕事を任せきりにしている私に様子を心配する電話の1本もなかった。
1人息子で付きっきりでいなければならないわけでもなかった。
新聞社には兄もいた。交代で看て、職場に数時間でも出てくればいいのだ。
ところが1か月以上、顔も見せなかった。
そしてお父さんは亡くなったが、葬式に出た私に「迷惑かけたね」の一言もなかった。
大体このOh.NO!部長、最初の打ち合わせで、部長ってこんなにやることがあるんだよと我々デスク2人に前任の部長からの引き継ぎ事項を見せるので、内心「あそう、頑張れよ」と思ったら、そんな紙を見せたのは実は我々に仕事を回したいという企みがあったのだ。
毎年春と秋に短歌と俳句それぞれ、本社主催の大会があって、文化部長が挨拶しなければならない。つまり年4回だ。
それを私に代わってくれというので、きっとやむを得ない用事があるんだろうと引き受けた。
ところがそれが毎回なのでおかしいと思ったら、大会は日曜日なのでゴルフをしているのだった。
デスクというのは毎日出稿作業で忙しいのに、貴重な休みまで部長の代理をしろとは。しかも自分の遊びのために。
自分の親が危篤だからと長く休みを取ったのは、他に1人しか知らない。
同期が同じ編集部デスクをしている時に、危篤だと言っては急に休むというのが2か月くらい続いた。
夜勤のローテーションだったので、非番・公休のデスクに部長から出てくれんかと電話があって出ていくことになる。出ていく方は休みが潰れて連勤になるので当然きつい。
1、2度ならともかく何度も続くと負担は大きい。
ちなみに私は父親が危篤を繰り返していた時、やはり編集部デスクだったが、とにかくギリギリまでは人に代打を頼むまいと思っていたら、とうとう仕事中に父は亡くなってしまい、死に目に会えなかった。
正直者が馬鹿を見る世の中である。
大スキャンダル⑥ ― 2026/07/07
#福岡県議会#福岡県警がんばれ
— ふっちゃん@戦争反対 (@ashitawawatashi) July 7, 2026
吉松議員の会見を見て胸が震えた…
記者に「なぜ告発を決意したのか」と問われ
「理由は二つある
一つは私も『かつあげ』されて来たが、黙ってこの『文化』を認めてきたことがとうとう県民(高額な海外視察というかつあげ)にまで及んでしまった… pic.twitter.com/La4C5VqaGF
私が枕崎支局で苦しんでいる間、本社は社屋移転に向けて、とんでもないことを次々に決めていた。
これもスキャンダルの匂いプンプンだ。
これについては本ブログを読んでいただいてもいいが、『現代鹿児島小説大系2』(ジャプラン、2014年)に「取材ノートのマンモス」というエンタメ小説にしているのでぜひ読んでいただきたい!!
エンタメですが、かなり事実をえぐってます。
鹿児島の方だったら図書館にあります。
※ところで、Xで吉松もとあき議員と相互フォローになっているのだが、きっかけは覚えていない^^;
大スキャンダル⑤ ― 2026/06/27
3期12年務めた名物市長が引退を表明し、枕崎市の有力者たちは後継者選びに入ったが地元候補では一本化できず、東京でサンケイリビング新聞の編成局長をしていた今急冷に白羽の矢が立った。長く故郷を離れ落下傘候補に近かったが、中央とのパイプを期待されたのだ。今急冷は無投票当選した。
そのときN氏は市の総務課長だった。総務課長といえば行政の要である。新市長の人事では助役に抜擢されるとみられていた。ところが助役と収入役には従順でおとなしそうな年老いた2人が選ばれた。やり手のN氏は敬遠され、近隣の一市三町でつくる広域消防組合の消防長となった。左遷である。
N氏は恨みつらみを周りに隠そうとはせず、誰かれ構わず今急冷の悪口をまくし立てた。支局にもよくやってきたが、私は根気よく人の話を聞くので、ますます通ってくるのだった。
今思えば、私は自分が市長と社長から支局長を交代させられようとしている話をすれば、N氏も大いに憤慨してくれただろうが、当時は構図がよく分からなかったこともあり、私はもっぱらN氏の愚痴の聞き役だった。
そうして私は支局から本社に戻り、N氏ともご無沙汰していたので、事故には驚いた。報道ははじめ匿名だったので、自分が誰かの連絡でN氏だと知ったのかどうか、記憶にない。
乗客の男性が行方不明なので、県警ヘリが鹿児島市の谷山ヘリポートから鹿児島中央署員20人を乗せて硫黄島へ出発し、地元の消防団員と協力して捜索した。
事故の翌々日(11月8日)朝、N氏は硫黄島の湾内から遺体で発見された。
滑走路の一方の端は、防風林が20メートルほど続いたあと切り立った崖となっており、ここから海に転落していた。
死因は頭がい骨粉砕骨折による脳挫傷。
死後約48時間経過していたことから、飛行機墜落後まもなく転落したらしい。
当時は自殺なのか、足を踏み外した事故なのかはっきりしなかったが、最終的には自殺と断定されたようだ。
N氏は、航行中の航空機を墜落させたとして、「航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律」違反の疑いで、被疑者死亡のまま書類送検された。
今急冷は翌年1月、再び無投票当選した。
大スキャンダル④ ― 2026/06/25
そこでAIに聞いてみると、正確にうまくまとめてくれた。
平成9年(1997年)11月6日に薩摩硫黄島飛行場で発生した、東和航空所属のセスナ172P(登録記号:JA4053)の墜落事故について、運輸安全委員会(当時の航空事故調査委員会)の報告書などの資料をもとに詳細をまとめました。
この事故は、一般的な機体の不具合や気象条件によるものではなく、「乗客の意図的な妨害行動(自殺)」という、航空事故の中でも極めて異例かつ衝撃的な原因によって引き起こされたものです。
事故の概要
発生日時 平成9年(1997年)11月6日 12時02分ごろ
発生場所 鹿児島県三島村 薩摩硫黄島飛行場 滑走路18側オーバーラン脇
運航会社 東和航空株式会社(不定期航空運送事業のチャーター便)
使用機材 セスナ式172P型(登録記号:JA4053)
搭乗者 機長1名、乗客1名(計2名)
被害状況 機体は大破(火災はなし)。機長・乗客ともに墜落による死傷はなし(※後述)。
事故当日の経過と墜落の瞬間
1. 硫黄島への到着
事故機は当日午前、枕崎飛行場(のちの枕崎空港)で遊覧飛行を3回行った後、チャーター飛行のため機長のみが搭乗して11時30分に枕崎を離陸、11時50分に薩摩硫黄島飛行場に着陸しました。
2. 離陸と異変
島から枕崎へ戻るため、右操縦席(セスナ機は副操縦席側にも操縦桿やペダルが連動して設置されています)に乗客を乗せ、12時01分ごろに滑走路36から離陸を開始しました。機体は滑走路中央の手前付近で正常に浮揚し、順調に上昇を始めました。
3. 操縦桿の押し下げ
滑走路中央付近で高度約25〜30メートルに達したその時、右席の乗客が突然身を乗り出し、両手で操縦桿を握り、身体全体の体重をかけて前方に激しく押し下げてきました。機首は急激に下を向き、滑走路面が目の前に迫る状態になりました。機長は慌てて操縦桿を引き戻し、機体を立て直そうと必死に抵抗しましたが、乗客が強い力で操縦桿を押し下げ続けたため、機体は完全に操縦不能(コントロールを喪失した状態)に陥りました。
4. 墜落
制御を失った機体は西側に流されながら、滑走路18側のオーバーラン(滑走路末端の先にある敷地)脇の緑地帯に墜落、大破しました。幸いにも燃料への引火による火災は発生せず、衝撃の割に機長・乗客ともにこの時点での大きな怪我はありませんでした。
事故の真相と背後関係
墜落直後、機体は大破したものの命に別条のなかった乗客は、混乱する現場からそのまま行方をくらましました。その後、警察や関係者による捜索が行われましたが、後日、飛行場近くの海中からこの乗客の遺体が発見されました。その後の捜査により、この乗客は「セスナ機を道連れにした航空機自殺」を図ったものと断定されました。
運輸安全委員会の報告書(原因)
「本事故は、同機が離陸直後、右操縦席に搭乗した乗客の操縦桿を押し下げる異常な行動により、機体が操縦不能に陥ったため、墜落したことによるものと推定される。」
分類:SECURITY RELATED(セキュリティ関連事案)
小型のセスナ機は構造上、右側の座席(本来は副操縦席)にも完全に連動した操縦装置があるため、乗客がひとたび強い力で操縦桿を操作してしまうと、左席の機長一人の力だけでそれを力ずくで抑え込み、リカバリーすることは物理的に非常に困難です。チャーター便という密室、かつ離陸直後の低高度という一瞬の隙を突いた悲劇的な事件でした。
(以上)
AIに作成させたが、公表資料を基にまとめたものなので、これが公的な結論だと考えて間違いない。
「極めて異例かつ衝撃的な原因」による航空事故。それは「セスナ機を道連れにした航空機自殺」だった。
死亡したのは私もよく知るN氏だった。市長選出馬の意向は知っていたが、なんと決起集会を2日後に控えていたという。「自殺」の動機は謎に包まれている。
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