本社に戻るか?2017/08/24

 支局2年目の年度末。
 鹿児島市の本社であった支局長会議の後、編集局長に呼び止められた。

 会議室に二人残り、怪訝な顔を浮かべる私に局長が聞いた。
「どうだ、支局は」

「ええ、だんだん慣れてきました」
 厭なことばかりあって塞いでいる、とは口が裂けても言いたくない。

 局長はうんうんと頷くと本題に入った。
「市長とはうまくいってるのか」

 今急冷ヒロシ。
 馬面の大男で、一見ぬぼーっとした印象だが、眼鏡の奥の目は冷たい。人を食ったところがある。
 東京で業界紙の編集長(実際は編成局長)をしていたというので、同業かと親しみを持っていたが、会ってすぐに取っつきにくさを感じた。

「うまくいってるも何も、是々非々ですよ。ただ、空港問題でがたがたですね。市議会では明けても暮れてもそればかりです。市長はいいかげん廃止で着地したいんでしょうが」

 局長は腕組みをしてじっと机の表面を見つめてから口を開いた。
「市長がうちの社長に申し入れてきたそうだ」
「何をですか」
「市長は鹿児島大学で社長の一つか二つ上の先輩でね、サークルも一緒だったらしい」
「それで」

「支局長を代えてくれと」
 目の前が暗くなるとはこのことか。
 またしても意味の分からない悪意によって、絶望に突き落とされた。

「どうする。本社に戻るか、支局長を続けるか。君次第だ」
 何なのだ、これは。局長は選ばせてやると親切に言っているつもりか。

「どういうことですか」
 いつもは淡々としている局長が困った顔をした。
「私もよく分からないんだ……。社長はそう伝えてくれというだけで」

 市長が新聞社の人事に口を出す?
 市長も憎いが、拾田社長はもっと憎い。
 自分の社の人間を守ることなく、はいはいと市長の言い分を聞いたということではないか。勝手な市長の言い草など撥ねつけてほしかった。

 頭が混乱する。
 これはおかしい。しかし、声を上げたら、自分は〈市長に嫌われた支局長〉の烙印を押される。恥と義憤を天秤にかける。

「市長に嫌われて支局生活を続けるのはつらいだろう」
 市長とは気が合うタイプではないが、そこまで嫌われているとは想像していなかった。反市長派の愚痴を聞いていたから? 選挙情勢に注視するのは支局の最重要な仕事の一つだ。

 答えは二択。
 退くか、残るか。どっちだ。
「少し考えさせてほしい」という選択肢はない。きっと社長と市長は手ぐすね引いて答えを待っている。

 焦った。人生の大事な選択なのに一刻の猶予もない。

 今急冷の顔はもう見たくない。
 しかし、しっぽを巻いて逃げ帰るのは屈辱だ。
 かと言って本社に戻って、社長の顔を見るのも苦痛だ。

 退くも地獄、残るも地獄。

 結論は出た。

「支局に残してください」

 局長は頷いた。
「それがいい。あと一年頑張れ。社長にはそう伝えておく」

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