研究発表しました2024/04/28

終わって2か月もたってから、こんなポストを見つけた(笑)。
私も発表者の一人です。

靫の擬人化2024/03/06

装飾古墳の絵の中で、靫(ゆぎ)への執着がすごい。
靫とは矢を入れる道具。
もちろん戦場では重要だろうが、弓や大刀より熱心に描く理由がよく分からない。
たとえば王塚古墳は靫の絵で埋め尽くされている。


靫は石人にもなる。
たとえばチブサン古墳の石人がそうだ。
靫が擬人化されているのだ。


X(旧ツイッター)の古墳王子の投稿で、見事な靫の埴輪を見た。
本庄早稲田の杜ミュージアムにあるらしい。
古墳王子が「靫形埴輪4姉妹」と名づけているように、これも靫の擬人化だ。



またまた見学OKの装飾古墳へ2024/02/03

自由に見られる装飾古墳、ということで久留米市草野町の前畑古墳に行ってきた。

草野歴史資料館に車を停めて道を尋ねると、職員の男性が親切にも古墳近くまで案内してくれた

のだが…またポカをやってしまった。
どうも装飾古墳とは相性が悪いみたいな…

それにしても「自由に見られる」と言っても、古墳はもろに民家の軒先だった。
挨拶もしないのは気が引けたね。

装飾古墳に潜る!2024/01/28

Xで古墳好きをフォローしていると、小さな開口部から腹ばいで石室に潜らないと本物じゃないような気になってくる。

お隣の筑前町に、砥山(とやま)観音塚古墳という、石室に自由に入って見られる稀有な装飾古墳があるとXの投稿で知った。
近くにいながら今まで知らなかった。
おそらく石室へのイタズラを恐れて積極的には広報されていないのだろう。

大好きな装飾古墳なら行かねばなるまい。しかも古墳探訪に適した、虫の出ない今だ。
猿や猪が出る恐れはあるが、傘があれば何とか戦えるだろう。
砥山岳への山道を片道30分ほどかかるらしいが、まあ何とか歩けるだろう。

行ったのは1月4日。報告がだいぶ遅くなってしまった。

砥山神社に車を停めて、山道の入り口まで来たところで傘を忘れたのに気づいた。
うーーん、猿・猪と戦えないが、戻るのは面倒くさい。
そのまま進むと麓の分岐点に山登り用の杖が置いてあった。
助かる‼

それから30分余り、思ったよりきつかったが、ひーこら言いながら何とかたどり着いた。


さて、入り口は?と…


思ったより小さい!
180センチ、76キロの体が入るかな。
しかし、ここまで来たんだ。行かねばなるまい。
頭から果敢にダイブ❕❕


案内板を拡大してもらえば分かるが、この古墳は前室・中室・後室の三室構造。
上の写真は中室から後室をのぞんだところだ。
右の袖石にも装飾がある!
でも、後室奥壁が早く見たい!


おお、素晴らしい!
ドア越し、ガラス越しには何度も装飾古墳を見たことがあるが、さえぎるものもなく自らの力で前に立つのは初めてだ!

しかし「上ノ」という大馬鹿が落書きしてる…

それを目に入れないようにして観察し、写真を撮る。
船の絵が多い。
これは船団を組んで朝鮮半島に行ったということではないか?

気が済むまで見て、名残惜しくも石室を後にする。


再び30分かけて山を下りる。

念願のナマ装飾古墳は楽しかったが、この代償は大きかった。
往復1時間以上の山登り(沢登り)と石室への潜り込み。
変なところに力が入ったのか、翌朝、パンを食べているときに何か大きな硬いものを噛んだと思ったら奥歯が傾いて倒れた!
その日は博物館の展示解説ボランティアだったのでそのまま行ったが、香港からの大学生10人余りに解説している最中に、奥歯が取れて口の中に転がった。
幸いマスクをしていたので口に奥歯を含んだまま解説を続け、次に移動するときにそっと口から手に取ってポケットに入れた。

取れたのは奥歯そのものではなく、奥歯のかぶせものだった。
それから歯医者に3回通い、かぶせ直したのだった。

さらにもう一つ。
お気に入りのシチズンの電波腕時計が動かなくなった。
太陽電池なので日に当てないと止まるのだが、いくら日なたに置いていても針がピクリともしない。
古墳で湿気や変な菌が時計に入ったに違いない。
石室に潜る代償がこんなに大きいとは。

やはりお墓に入らせてもらうのだから、今度から何か〝おはらい〟的なことをしてから行うこととしよう。

砥上神社の案内板に興味深いことが書いてあった。
「伝承によれば、神功皇后が新羅出兵の兵士をここに集め、『中やど也』と語り、また、兵器を研がせたのでこの地を『砥上』と言うようになったという」
「(旧)町名の『やす』は、神功皇后がまつろわぬ在地の豪族・羽白熊鷲を滅ぼして『わが心すなわち安し』(日本書紀)と語ったことに由来する」

確かに砥山岳の森(杉が主体)は、羽白熊鷲が出てきそうな森であった。

筥崎宮の「敵国降伏」とは2024/01/08

古墳で初日の出2024/01/01

うちの近くの横隈山古墳の上から初日の出を拝んだ。
360度見渡せるので、20人余りが集まった。
20分かかって雲のすき間から顔を出してくれた。
今年も墳活はするが、今年は古代だけでなくもっと広く日本史をやらなければならないと思っている。

そのあとは隼鷹神社へ。
ここは仲哀天皇が熊襲征伐に来られたときに、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)が鷹となって現われ、大きな松の木にとまったことから隼鷹天神として祀ったといわれる由緒ある神社だ。
財布の小銭が空っぽで、お賽銭なしでお参りしたが、紙コップの御神酒とするめ、昆布、みかんをもらってしまった。
今度お賽銭を持って来よう。

玉にどうやって穴を開けたのか2023/12/15

九州歴史資料館で展示中の福岡市の西新町遺跡(4世紀)のギャラリートークでは、同遺跡から朝鮮へは「玉」を輸出し、朝鮮からは鉄の原料を輸入していたという興味深いことを聞いた。

だが、私のアノ質問にはまたしても回答が得られなかった。