梅原猛で一番好きな本2019/01/14

梅原猛氏が亡くなった。ご冥福を祈りたい。

産経新聞は今朝、市原悦子さん死去を一面で二段に扱っているが、だったら梅原猛はどうするのだろう?
これだから死亡記事の判断は難しい。
私も新聞社の整理部(編集部)で何度か失敗した。
人の死だから大きく扱えばいいというものではないのだ。
バランスがある。
また、人によって思い入れが違うから、やっかいだ。
私が忘れられないのは、美空ひばりが亡くなったとき、一面トップ、しかも横カットだった。
これは天皇陛下並みである。今でも疑問に思っている。

さて、それはともかく…。
梅原猛は昔から好きで、けっこう読んできた。

ところが残念ながら、日本の著名な文章家には悪弊がある。

ものすごく魅力的なテーマを設定するのでわくわくしながら読むのだが、必ず脱線する。そして、脱線のほうが長い。

すぐ思い出すところでは司馬遼太郎や佐野真一…。
梅原猛も本ブログ昨年9/28で取り上げたように(バックナンバーから読んでほしい)、「海人と天皇――日本とは何か」で、失敗を認め、「最初立てた原案は狂ってしまった」という。
理由は「(藤原不比等の娘で、文武天皇の后となった)藤原宮子=海人の娘」説に、「あまりに多くの頁数を割いた」せいだ。

もっとも梅原の場合、自ら失敗を認めるところが可愛げがある。
それに比べて、司馬や佐野には何度失望させられたことか…。

「天皇家の〝ふるさと〟日向をゆく」は梅原にしては珍しく(?)最初から最後まで日向神話に面と向かっている。

今は新潮文庫になっているが、2000年刊行当時はハードカバーで2200円もする立派な本だった。
面白かったので人に手持ちの本をあげ、自分でまた二冊目を買った。それが今も本棚にある。

「米中貿易戦争」を読む2018/10/27



「正論」11月号で西尾幹二氏が絶賛していたので購入したが、さほど格調高い本ではない。情報の羅列、寄せ集めである(特に第6章は雑)。

しかし、中には面白い情報もところどころあるので紹介しよう。
(太字が引用部分)

現在、在日外国人は256万人に膨らんだが、三人にひとりは中国人であり(在日中国人は85万人)、日本人と結婚した人は10万人のうえ、毎年3000人の中国人が日本に帰化し、そのなかでも単純労働者やコンビニ、居酒屋店員ばかりではなく、エリートは日本企業に就職している。この日本就職組はすでに2万人を超えている。

「五億人が老人」という凄まじい暗鬱な社会が、まもなく中国に訪れる。
1979年以来の「一人っ子政策」が中国に悲劇的な少子化をもたらした。

「安倍政権も親中派議員や学者、メディアの対中協調主義に引きずられがちだ」(産経新聞の田村秀男編集委員)
まさに今回の訪中がこれではなかったかと危惧する。せっかくトランプ政権が中国を追い詰めているのに、日本がまた手を差し伸べるとは! もちろん安倍さんなりの計算があるとは信じたいが、世界に誤ったメッセージを与えたことには変わりない。

孔孟を筆頭に荘子、老子、墨子らを輩出した古代中国は、それから2000年間、偉大な思想家・哲学者を生まなかった。
中国のソフトパワーと言えば、世界中どこにでもある中華料理だけである。
「孔子学院」で中国が誇示しようとした儒教はソフトパワーとしての魅力がない。
福沢諭吉も中江兆民も津田左右吉も、儒教を批判し、嫌っている。

霧島が噴火する度に2018/04/20

新燃岳が噴火し、硫黄山が噴火し…

あのあたりは新聞社で言えば、都城支局が管轄だ。

私は2008年、編集部デスクをしていたが、人の原稿処理ばかりしているのは性に合わないので、再び取材に出たいと思った。

デスククラスで取材に行けるのは編集委員か支局長くらい、限られる。

編集委員は以前、希望して通らなかったので、都城支局に絞った。
支社支局は枕崎と奄美大島に行っていたので、今度は県外に出たかった。2008年春に空くのは都城しかなかった。

1月19日に都城を見学して決意が固まった。
翌20日に編集部長に都城希望を伝えた。
しばらくして部長から、局長の了解を得たとのうれしい回答を得た。
夫婦で喜び合い、あとは内示を待つばかりだった。

2月下旬、局長の声掛けが始まった。
次々と情報が伝わってくる。
しかし、なかなか局長は私の元にやってこない。

あろうことか、都城支局は写真部のS君になったとの情報が伝わった。
局長は約束を反故にしたのだ!

私は目の前が真っ暗になり、どうして、どうして!
裏切られた思いばかりで、どうすればいいか分からなかった。

今になれば抗議すべきだったと思うが、そのときは
文句を言ってもしょうがないという気持ちの方が強かった。
決然と、いや、悄然と辞表を提出した。
「辞表を叩きつけた」なんてカッコいいものではない。

泣き寝入りしたのである。
だからいまだに誰が私の異動を握りつぶしたのか、腹畑局長か五里社長か、真相を知らない。

霧島が噴火する度に、嫌な思い出がよみがえる。
ちょうど10年前の話だ。が、恨みは消えない。

※27日の今日になって思い出したことがある。
私が退職した2008年、ちょうどこの異動内示の前頃だったと思う、五里社長との意見交換会があった。
私はその席で、社長に直接、新社屋建設事業には一体いくら掛かったのか問い質した。
答えは土地代を含めて総額200億円。
金をどうやって調達したかについては、社宅など優良資産を全て売却したほかに110億円を借金した。この時点で残る借金は74億円ということだった。
五里社長は「報復人事」で有名な男だった。
この私との質疑応答が気に食わず、私の都城異動をひっくり返した可能性は大いにある。