岸田降ろしの動きに反対します2023/11/18


青山さん、総裁選出馬へ2023/10/19

青山繁晴ファンで独立講演会に出ている人なら既に知っていたことだが(独立講演会の内容は秘密厳守につき、これまで漏れなかった)、青山さんが新刊『戦』の末尾でついに来年9月の自民党総裁選への立候補を宣言した。



なぜか、「立候補を模索します」という慎重な表現にはなっているが。

私は青山さんを通じて自民党員となって2年目。
つまり投票権があるので楽しみだ。

ただ、私は岸田首相と青山繁晴さんの両方を応援しているという、おそらくあまりいないタイプ。
だから青山さんが岸田内閣に入るのがいいと思っている。

来年の総裁選に青山さんが出ても、勝つのは岸田さんだろう。
しかし、岸田さんは総裁選対抗馬の高市さん、河野さんを入閣させているように、青山さんを登用する可能性は大いにある。
そこが総裁選へ出馬する意義だ。青山さんは決してそんなことは言わないだろうが。

そして、まずは資源エネルギー庁長官になってほしい。
それからゆくゆくは防衛大臣だ。

初のXアカウントロック2023/09/30

ツイッター(X)に次の投稿をしたら、アカウントをロックされた。

玉城デニー沖縄県知事が18日、国連人権理事会で「日本政府が新基地建設を強行している」と演説した。 これについて産経新聞の阿比留論説委員は、外患(すなわち中国)の介入を招く恐れがあり、外患誘致罪(罰則は死刑)にもなりかねないと報じたのである。 (以上)

①玉城知事への批判がタブーなのか、②産経新聞の阿比留論説委員がマークされているのか、③「外患(すなわち中国)」という中国批判がタブーなのか、④「外患誘致罪(罰則は死刑)」が刺激的だったのか。

暴力的な発言を禁止するルールに違反(加害や暴力の脅迫、煽動、賛美や、願望を表明したりすることは禁止)ということなので、③か④なのだろう。

これまでも結構好き放題にツイートしてきたのでよく分からない。
アカウントのロックは初めて。これは十数時間(忘れた。12か16)で解除され、繰り返し違反すると、アカウントが凍結される可能性があるとのことだ。

近いうちに連立の枠組みが変わる2023/09/15

最近、岸田総理に辛辣な青山繁晴さんが、今朝の「帰ってきた虎ノ門ニュース」では、首相補佐官人事を評価している。

矢田稚子さん(57)は国民民主党の元参院議員で、前回落選して同党をも離れているらしいが、青山さんの友達だそうだ。その人柄を絶賛している。

矢田氏は国民民主を支援する連合傘下の民間産業別労働組合の一つ、電機連合の出身だ。

私は昨年1月21日付「新しい資本主義とは」で書いたように、岸田さんの言う新しい資本主義とは、労働組合潰しといって悪ければ、労働組合の取り込みだと考えている。

何しろ政府自らが経済団体に社員の賃上げを直接要請しているのだ。
労働組合のお株を奪うというか、これでは労働組合は不要である。
これの大きな味方が連合の芳野会長で、先日、国民民主党と自民党の連合政権に反対を表明したが、これはポーズであり、そのうち賛成・推進に回るだろう。

もちろん私はこの動きに大賛成だ。

青山さんも「近未来」に今の連立の枠組みが変わり、国民民主党が加わると見通しを示していた。矢田稚子首相補佐官はその布石なのだ。

私は昨年12月29日付で「こんな政治を待っていた」と、岸田さんを熱烈に支持したが、LGBT理解推進法で水をぶっかけられた。
だが、また面白くなってきた。

共同通信の配信記事によると、矢田氏の担当は「賃金・雇用」。松野博一官房長官は記者会見で、起用の理由について「岸田内閣の重要政策である労働市場改革や構造的な賃上げの推進に向け、職務を果たしてもらうことを期待している」と説明した。
よーく読んでほしい。非常に意味深だ。

NHK労組を潰せ2023/07/22

世に絶対的な自由などない2023/06/24

20日付の産経新聞に、日本維新の会と国民民主党と「有志の会」が19日、改憲に向けた条文案をまとめたとある。

その中で、「行き過ぎた人権制限を防ぐため、幸福追求権を定めた憲法13条に、憲法が保障する自由・権利を『絶対に侵してはならない』との条文を加える案なども示した」という!!

今の日本のどこに「行き過ぎた人権制限」があるというのか。

むしろ人権団体のやりたい放題ではないか?

先般、稀代の悪法、LGBT法案が成立し、社会の破壊や混乱が懸念されているときに、憲法の唯一の歯止めである「公共の福祉に反しない限り」を抹消し、活動家の自由を「絶対に侵してはならない」と保障するとは、何たる不見識か!!

少々長くなるが、日本人が無邪気に信じている、フランス革命に端を発する「自由」がいかに恐ろしいものかを書きたい。

東京帝国大学助教授、36歳の平泉澄は昭和5年(1930)3月24日、横浜港から香取丸に乗って旅立った。

インド洋、紅海を経て、マルセイユに上陸したのが5月4日。
5カ月にわたってドイツの5つの大学を回ったあと、10月にフランスに入った。フランス革命の本質を究明するためである。

「幕末より既に我国に影響を与へ、明治に入つては西園寺公望、中江兆民等、フランス革命危激の思想を伝へて之を鼓吹するや、その暗雲低迷して時に迅雷人を驚かし、そして大正六年ロシア革命以後に於いては、その勢力倍化し数十倍化して、青年学徒の間に蔓延して行つたのでありますから、明治・大正・昭和に関する限り、フランス革命及びロシア革命を除外して、国史を考へる事は出来ないのであります」(『悲劇縦走』)

しかも「大抵は革命の徒のいふがままに、革命は王侯貴族の奢侈横暴、苛酷なる政治に堪へ切れずして起されたもの、その目標とし理想とする所は、自由、平等、博愛の三つであり、それは一七八九年以来掲げられて、運動の前途を照らす目標となつて来たのである、と説かれてゐるのであります」

平泉はこの説に深い疑いを抱いた。
革命当時の遺品、文書、記録だけに徹して史料を探し回った。7つの図書館、博物館のほか、古本屋や骨董屋でも史料を買い求めた。

そうして次の断案(結論)を下した。

①1789年に革命の標語になったのは、リベルテ(自由)だけだった。
②1792年にエガリテ(平等)が加わった。
③フラテルニテ(博愛)は散見するものの、自由・平等・博愛と、三つが肩を並べるのは1848年である。

平泉は自分の断案を3人の教授にぶつけた。はじめの2人は、3つとも革命当初からのものだと言って否定した。
3人目の教授は平泉の説をあっさりと認めた上で、1848年の二月革命時にラマルティーヌ(詩人で政治家)が博愛を加えたのだと断言した。平泉は自分の結論に自信を得た。

これが何を意味するか。

もしフランス革命が当初から自由・平等・博愛を理想として掲げていれば、あの忌まわしい弑逆、戦慄すべき殺戮は行われずに済んだと平泉は言う。
しかし、彼らは国王ルイ十六世、王妃マリー・アントワネットを殺し、恐怖時代といわれる1793年から翌年にかけて一万を超える人々を殺したのである。
フランス革命の歴史には修飾や欺瞞があり、それがそのままわが国に輸入されて革命の宣伝や鼓吹に用いられていることがはっきりした。

平泉はさらに作家のポール・ブールジェに接触を図る。
高齢と避暑を理由に断られるものの、代わりに読むべき良書――バルザック、ルブレー、テーヌ――を指示された。

この結果、平泉は「無限の教訓」を得た。

フランスにあってさえ、心ある人々によって、革命が決して王侯貴族の不当な抑圧によってやむを得ず起こされたものでなく、抽象的な空理空論によってみだりに自由・平等を希求し、競争・憎悪の感情を激発して他を破壊し自らをも破壊したこと、これを救うものは伝統にほかならないという思想運動が展開されていることをを知ったのである。

平泉は日本に帰ったら、明治初年以来、西園寺公望や中江兆民らによって伝えられた革命論を打破しようと決意する。

昭和6年(1931)4月、パリからロンドンに移動してからもフランス革命の研究を続けた。

そして出会ったのが、エドモンド・バーク著『フランス革命の考察』(1790年発行)である。

バークはアイルランド生まれの政治家。フランス革命から1年数カ月後にはこの本を刊行した。
平泉言うところの「フランス革命を、フランスの為に悲しむのみならず、全人類の為に悲しむべき不祥事として、之を批判し、之を憎悪したもの」。当時次々と版を重ねていることを、大英博物館の蔵書で平泉は確認している。

一方、バークの本に反対して書かれた、トーマス・ペーン著『人権』(1791年)もまた負けじと売れて、英国の思想界はバークとペーンとで二分されたらしい。しかし結局、バークの主張がまさった。

「バークの功績は、ひとりフランス革命の影響を喰止め、英国を顛落より救つたばかりでなく、保守主義の根本義を明かにして、ほしいままなる思弁に出で、抽象的なる批判を逞くする時は、すべての宗教、道徳、制度は破壊せられて無政府主義に陥る外は無いと説いて、それが保守党を力づけた所に在ります」

こうして同書は保守主義の古典として、230年読み継がれる超ロングセラーとなっている。
今すぐに手に入る日本語訳でも三種類ある。
筆者の手元にあるのは『【新訳】フランス革命の省察 「保守主義の父」かく語りき』(2011年、PHP新書)だ。編訳者の佐藤健志が、フランス革命の急進主義についてプロローグに書いている。

「社会を急速かつ徹底的につくりかえようとする試みは、以後の『革命』の基本形となる。全体主義や社会主義はむろんのこと、明治維新をきっかけとしたわが国の近代化・欧米化や、敗戦後にわき起こった民主主義礼賛なども、急進主義の影響を抜きには考えられない」

最後の指摘は重要だ。「自由・平等・博愛」と同じく、今日、民主主義を疑う人はほとんどいない。与野党を問わず、政党名が自由民主党、立憲民主党、国民民主党と、ことごとく民主主義を標榜しているのがいい例だ。

ところが敗戦後、民主主義とはほとんど共産主義と同義だった。

昭和20年10月、朝日新聞の鈴木文四郎(主筆兼編集責任担当重役)は、社内の共産主義者による首脳陣の戦争責任の追及、退陣要求に屈し、退社を余儀なくされた。
のちに「民主主義と共産主義」という文章で訴えている(没後に編まれた『文史朗文集』所収=文史朗はペンネーム)。

「共産党がこの国で終戦後成功した大きな手品は、『共産主義』を『民主主義』にすり換えて、それを巧みに使つたことである。民主主義青年同盟、日本民主主義文化連盟、民主保育連盟、民主栄養協会という工合に、『共産主義ーー』と正面からいうべきところを『民主主義』に置き換えている。選挙の時、殊に地方における演説では『民主主義』を盛んに唱えた。生れて始めて民主主義というお題目を聞かされた一般大衆の中には、マックァーサー元帥のいう民主主義も、徳田[球一]共産党書記長のいう民主主義も大した変りはないだろうと思つたものが随分多かつたようだ。そこで、『共産党に一度やらせて見たらいいじやないか。税はウンと下げるし、物価は三分の一くらいに安くするというじやないか」といつて、共産党に投票した連中も少くなかつた」

自由民主党が時に保守派が首をひねる行動を取るのは、民主主義を標榜する限り、当然の帰結なのだ。日本に真の保守政党はないと言っていい。

2020年、米大統領選をめぐって、現職のトランプ支持者を襲い、各地で暴動を起こしたアンチファ(アンチファシスト)。反ファシズムを標榜しながら、アメリカを否定し、無政府主義に近いが、これもまた源流はフランス革命の急進主義にある。

平泉澄は昭和6年5月27日、ロンドンを発し、アメリカ経由で帰国の途に就く。
留学は2年間の予定で、まだ半年以上も余裕があった。しかし、世界情勢のただならぬ雲行きに対して、わが国が甚だしく無防備であるのに居ても立っても居られなくなったのである。

反対者は晒し者2023/06/14

今国会の真の焦点であるLGBT法案の衆院本会議での採決で、自民党の高鳥修一議院は「おなかが痛い」と言って退席した。

同じく同案に反対の杉田水脈議員は、本会議に欠席して採決に参加しなかった。

政治家でも、大勢に逆らうときにはこんな惨めなやり方をしなければならない。

私にも経験がある。

おそらく会社を辞める前年、2007年のことだったと思うが、会社の重要案件を審議する株主総会か臨時株主総会だったかが開かれた。

会社の無意味な、というか、大失敗の本社移転強行以来、頭に来ていた私は、こんどこそ反対の意思表示をしなければならないと思い詰めていた。

株主総会といっても、社員持ち株会社なので、出席者は全員社員だ。

4、500人が一つの部屋にぎゅうぎゅうに集まった。

株主総会は社長が司会をするが、そのときは総務部長クラスが議案を説明し、採決に入った。

まず、「議案に反対の方はご起立ください」という。

いいですか?
反対の人は起立ですよ。賛成の人は起立じゃないんですよ。

私は意を決して起立した。
数人が立った。

4、500人の中の数人ですよ。

見たら秒で数えられるのに、総務部長は一向に「反対は〇人、よって議案は可決されました」と言わず、反対者をずっと立たせたまま。

要は皆の前で晒し者にしているのだ。長い長い時間だった。

屈辱の思い出である。