1986年の世界2024/02/05

今、第2回までやってるドラマ「不適切にもほどがある」は、昭和61年(1986年)と現在(2024年)を行ったり来たりする。

昭和61年といえば、3月に息子が生まれた。
(今年もう38歳だ!)

私は28歳だった(12月に29歳となる)。
鹿児島市易居町の新聞社(旧社屋)の社会部記者だった。

1年目は市政担当で、2年目の途中から遊軍に抜擢された。
この年4月から3年目となり、まあ脂が乗っていた時代だったと言っていい。

ドラマを見ていて、そうだったかな?と思うところもあるが、本当にみんな煙草を吸っていた。
各自の机にはアルミの灰皿があって、吸い殻で一杯だった。

机にはパソコンはもちろんワープロもなかった。すべて紙だった。
スマホどころか携帯もない世界。
ネットもないし、検索などできない。

週休1日だった。週休2日になったのはいつだっけなあ。
けっこう週休1日が長かった気がする。
今のサラリーマンは休みが多すぎると思う。

ドラマが始まる前から、昭和63年の文化部時代をよく思い出しているところだった。
後輩の女子社員がいつも私をじっと見つめていた。

そんなこんなで懐かしくドラマを見ている。
久しぶりに宮藤官九郎の脚本を楽しんでいる。
多様性が大事だと言いながら、旧来の常識を認めない今の社会を皮肉るエンターテインメント。さすがだ。

それにしても1970年生まれの宮藤官九郎は、1986年には高校生。
その頃の女子高生はあんなに淫らだったのだろうか。
私の感覚とは違う。そこだけは。

いや、そういえば、友人の親戚の男(けっこう年下)がマクドナルドで大学時代アルバイトしていて、店のバイトの女子高生らと簡単にやりまくっていたと話していたのはあの頃のことではなかったか。
作り話だと思って聞いていた(だってちっともカッコ良くない太り気味の男だ)が、嘘じゃなかったんだな…クドカンもそういう〝恩恵〟にあずかっていたのか…

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