スクープにも皮肉2017/08/24

 残留を決めた後の支局三年目。
 つらい状況には何も変わりなかった。

 北内もひどいが、社会部デスクの蟻川が最悪だった。

 私は特ダネを書くのが好きだ。よその新聞やテレビ局に出ていない情報をすっぱ抜く、その快感が記者の仕事をする原動力だったといっていい。
 ところが、社会部に出稿予定を連絡すると、蟻川は、よその新聞より早かろうがどうしようが、事情も知らないくせに読む前から「キミがふだん回っちょらんでよ」と必ず、訳のわからない嫌みを言うのだった。
私は反論しない。翌日の各紙を見て、うちの新聞だけに出ていることを思い知ればいい、と考える。
しかし、蟻川は嫌みを言い続けた。単に私が嫌いで、憎たらしいのだ。

 3年目には知覧中学校のいじめ自殺事件という大きな事件が起こった。
中学三年生が、自宅近くの公民館で、屋根に上がる鉄製梯子にロープをかけて首吊り自殺した。
 遺書に、いじめた生徒たちの名前を名指ししていたため、大変な騒ぎになった。警察も捜査に乗り出した。
 夜遅くまで取材に駆け回り、ようやく原稿をまとめたとき、ふと、遺書は何の筆記用具で書かれていたのか気になった。鉛筆か、ボールペンか。
 すると、紙も気になってくる。ノートの切れ端か、便箋か。
「遺書は鉛筆でノートに殴り書きしてあったという」――そういう一節を入れたかっただけだ。臨場感が増すと思った。
 急いで署の生活安全刑事課長に電話を入れる。
「うーん、それはどうかなあ……」
「え、どうしてですか。鉛筆か、ボールペンか。ノートの切れ端か、それだけですよ」
「私では判断しかねる」
「いいです、分かりましたっ! 署長に回してください」
「いいよ」課長はほっとした様子で署長官舎に電話を繋いだ。
 署の裏手にある一軒家には何度か行ったことがある。署長は単身赴任だった。買ったばかりの私用の液晶一体型パソコンが放ってあったので、初期設定してあげた。一緒に庭の畑を眺め、野菜の出来を褒めた。
 締め切りが迫っている。署長が電話に出ると、挨拶もそこそこに早口で用件を告げた。
「言えない」
 愕然とした。したくもない胡麻擂りまでして関係を築いてきたのに、こんな小さなことも教えてくれないのか。
「ちょっ、ちょっと、待ってください。じゃあ、鉛筆か、ボールペンか、だけでもいいです。捜査には関係ないでしょう。まさか悲嘆のどん底にある両親に尋ねるわけにもいかないから聞いてるんですよ。捜査上の秘密、『犯人にしか知りえない事実』ってわけじゃない」
「言えない」
「畜生」受話器を叩きつけた。
 原稿はそのまま社会部に送稿したが、デスクからその点について突っ込まれることはなかった。その後も誰も問題にしなかった。
 誰も気にしない、どうでもいいことなのだ。名指しの生徒たちが本当にいじめていたのか、その事実認定が本筋であって、遺書の筆記用具など枝葉末節ではないか。
 じゃあ、どうして署長は遺書が何で書かれたかを教えてくれなかったのか。
 その後の混乱で、署長には改めて質す機会を逸した。
 事件はどんどん嫌な方向に流れていった。
 両親ははじめ、いじめの兆候に気づいていたのに対策を取らなかった自分たちを責めていた。ところが、子供のいじめ自殺専門の支援団体がついてから、態度をがらりと変えた。学校といじめ生徒を激しく攻撃し始めた。警察も名指しされた生徒たちを一斉に事情聴取し、〝犯人捜し〟に乗り出さざるを得なくなった。田舎の町ではあっという間に生徒の名前は広まった。
 加害生徒の一人の父親が農薬を飲んだ。発見したのは当該の息子。父親は翌日病院で死亡した。ひと言も謝罪しない親たちもいる中、この父親は事件以降は仕事を休み、通夜も告別式も出席、その後もたびたび謝罪に訪れていた人だった。事件の拡大に、外国の有力な通信社も世界に配信した。
 知覧署は加害生徒たちを暴行容疑で書類送検した。両親は学校設置者の市と保護者を相手取って、高額の損害賠償請求訴訟を準備していると聞く。
 嫌な思いだけが残った事件だった。署長の真意も謎のまま残っている。

 知覧中いじめ自殺事件でもスクープを書いた。
 警察が加害生徒をいつ事情聴取するかが注目された時期だ。
 署長とは筆記具を巡るいざこざがあって、もう聞けない。生活安全刑事課は立ち入り禁止だ。朝から晩まで次長をマークした。ふだんは食えない男だが、大事件だ。いざとなれば熱意に応じるくらいの心意気はあるだろう。
 事件担当記者も一緒だった。
 次長が署を出て帰るとき、二人で両脇から挟みながら駐車場を追いかける。
「生徒を呼ぶのはいつですか」
 黙っている。表情は堅い。
「明日ですか」
 微妙に表情が動いた。
「明日の朝、ですね」
 目を合わさないが、微かに頷いたようにも見える。
「それで書きますよ」
 次長は黙したまま、早足で暗闇に消えていった。
「どう思う」事件記者に聞いた。
「イエスでしょう」
「よし、行こう」
 支局に戻り、「きょう聴取」の記事を書く。
 感触でしかない。そうだと返事したわけでもない。これも間違えれば馘首、命がけのスクープだ。ましてや、加害者と決まったわけでもない、前途ある中学生の記事に絶対に間違いは書けない。
「事件記者って、いつもこんな仕事してるのか、大変だな」
「時代は変わっても、警察はなかなか肝心なことは教えませんから。手持ちのネタをサツ官に当てるという作業はなくならないですね」
 まさに横山秀夫「クライマーズ・ハイ」の世界だ(当時まだ出ていない)。

 翌朝一番に新聞を開く。
「加害生徒きょう聴取」は社会面トップだ。
 しまった。せめて「今日にも聴取」と逃げを打っとくべきだった。興奮して大事を取るのを忘れていた。

 すぐに支度をして署に出かける。
 次長の顔を見て、肩の荷が下りた。
 昨夜と打って変わって穏やかな表情。「書きましたね」という顔をしている。
「予定通りですね。聴取は何時からですか」念のため尋ねる。
「もう始まりました。市内の公民館に分散して聴いてます。あ、でも、行っちゃだめですよ」
「分かってます。そこまで望んでません。何といっても相手は子供ですから」
 ほっとしながら言った。思い出しても背中がヒヤリとする。

 枕崎空港からの日本コンチネンタル空輸の撤退等々。
 スクープを連発しても社会部からの評価は上がるどころか、蟻川デスクは相変わらず「君がふだん回っちょらんでよ」。さすがに受話器を叩きつけた。

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