南日本新聞の〝9・11〟 ― 2017/08/24
実はこのころ、南日本新聞社はおかしなことになっていた。
一九九二(平成四)年九月十一日。
すべては唐突な発表から始まった。
目高社長(当時)が新社屋建設のための用地取得交渉に入っていると発表した。
発行部数や頁数、カラー紙面の増加に対応できる最新鋭の輪転機が物理的な問題で搬入・設置できないため、新社屋あるいは新工場を建設する必要があるという方針は前々から出ていた。ただし社員は皆、現有地での拡充、建て替えを想像していた。城山の麓ともいえる好位置にあり、市役所や繁華街天文館に近くて市内交通の起点になっており、移転する選択肢は頭になかった。
ところが、社長が発表したのは、人気がなくてどこもかしこも売れ残っている埋立地、与次郎ケ浜だった。
私はすぐに「それはダメだ!」と仰天した。
昭和六十年八月末に鹿児島市を襲った台風13号。当時鹿児島市政担当だった私は市内の混乱の一コマを拾っている。
タイトルは「風雨とともに亀来訪」「思わぬ置き土産」。
「台風の高波にのって〝海の使者〟が訪れた。与次郎ケ浜一帯には、タイやタコからカメまで打ち上げられ、思わぬ台風の置き土産に、後始末に追われる人たちもひとときほほえんだ。
与次郎一丁目の家具店従業員が店の内外の掃除や浸水のくみ出しをしていると、駐車場にできた水たまりに、三十㌢余りの魚が五、六匹スイスイ泳いでおりビックリ。さらに大きなタコまで出てきて『これはすごい』と掃除を続けていると、『まだ何か大きいのがいるぞ』との騒ぎに駆けつければ浦島太郎に出てきそうなウミガメだった。
また与次郎二丁目の道路上にはレンコダイがピチピチ跳ね、近くで片づけをしていた人たちがそそくさと持ち帰った」(昭60・9・1付南日本新聞)
ウミガメとタコの写真が付いている。
鹿児島は台風常襲地帯。正気の沙汰ではない。
しかし、会社の動きは早かった。
発表の直後の十月一日には新社屋建設の方針を打ち出した冊子を全社員に配布。
莫大な投資をしてわざわざ不便なところに移るという。もちろん組合は反発したが、社長は「これは経営権の問題であって、労使協議事項ではない」と突っぱねた。
突っぱねたのも道理で、用地取得交渉中どころか社長はもう勝手に契約書を交わしていた。
年の明けた一月八日には与次郎一丁目の土地を取得し、所有権移転登記を完了した。
これでどうやって反対できるのだろう。
二千坪で三十一億三千七百八十一万円。
坪当たり156万8905円という破格の値段だった。
購入相手は第五富士というパチンコ業者。
溝口敦『パチンコ「30兆円の闇」』(小学館文庫)によると、九二年はパチンコ業界にとって大きな転換点となっている。警察が暴力団に代わって業界を取り込んだというのだ。
同年三月、暴力団対策法施行。八月には初のCR(カードリーダー)機導入。この二つは、警察による暴力団からのシマ捕り、利権確保の二正面作戦だったという。「暴力団の代わりに誰が業界に入ってきたのかといえば、警察OBですよ。警察がギャンブル性アップを認めてパチンコからヤクザを追っ払い、自分の縄張りに取り込んだ。そのあげくが〝パチンコ狂い〟の続発」と警察官出身者が憤慨する。
さらに詳しく見れば、パチンコ店の営業許可はもちろん、店のパチンコ機に違法がないかどうかは所轄署の生活安全課が見る。売り出す前のパチンコ機やパチスロ機は警察庁の外郭団体が試験、検査する。あげくOBはパチンコ業界に再就職する――という仕組みらしい。
県警本部移転→新聞社移転→パチンコ業者の土地を購入。
警察がパチンコ業界を掌握した年に、県警本部の移転先にほど近いパチンコ業者の土地を買ったからといって、もちろん何の関係もあるまい。
ただ、パチンコ業者が持て余していた人気のない土地を新聞社が買ってあげた形に見えるのは確かだ。大義名分である県庁・県警本部の移転先にも実際には大して近くない。三十数億円。業者にとってみれば、バンバンザイだろう。バブル経済崩壊直後である。
(そこに警察の口利きはなかったのか。)
ところで、パチンコ業界といえば、北朝鮮への送金問題がある。
前掲書によれば、「合法、非合法のカネを含め、在日同胞が北朝鮮に送金した額は90年前後が最高で、年間4億㌦と推計してます。当時、日本円にして約600億円」(韓国在日機関の情報筋)だったらしい。
17日の記事「反日地方紙の正体」に書いたように、
一九九一年八月にKが書いた連載「終わりなき旅路――鹿児島の朝鮮人強制連行」。Kとは北内だ。社会部記者の肩書で書いているが、ヒラ記者ではない。デスクだったはずだ。
デスクは記者に書かせるのが仕事で、自ら書くものではない。
それをあえて破ってまで書かねばならなかったのか。
南日本新聞はこの時点で完全に〝赤化〟している。
1992年は宮沢喜一首相による韓国への謝罪外交だ。
まさか、韓国・朝鮮への〝謝罪〟のために、南日本新聞社がパチンコ業者の土地を買ってあげたと言うつもりはない。
単なる妄想である。
一九九二(平成四)年九月十一日。
すべては唐突な発表から始まった。
目高社長(当時)が新社屋建設のための用地取得交渉に入っていると発表した。
発行部数や頁数、カラー紙面の増加に対応できる最新鋭の輪転機が物理的な問題で搬入・設置できないため、新社屋あるいは新工場を建設する必要があるという方針は前々から出ていた。ただし社員は皆、現有地での拡充、建て替えを想像していた。城山の麓ともいえる好位置にあり、市役所や繁華街天文館に近くて市内交通の起点になっており、移転する選択肢は頭になかった。
ところが、社長が発表したのは、人気がなくてどこもかしこも売れ残っている埋立地、与次郎ケ浜だった。
私はすぐに「それはダメだ!」と仰天した。
昭和六十年八月末に鹿児島市を襲った台風13号。当時鹿児島市政担当だった私は市内の混乱の一コマを拾っている。
タイトルは「風雨とともに亀来訪」「思わぬ置き土産」。
「台風の高波にのって〝海の使者〟が訪れた。与次郎ケ浜一帯には、タイやタコからカメまで打ち上げられ、思わぬ台風の置き土産に、後始末に追われる人たちもひとときほほえんだ。
与次郎一丁目の家具店従業員が店の内外の掃除や浸水のくみ出しをしていると、駐車場にできた水たまりに、三十㌢余りの魚が五、六匹スイスイ泳いでおりビックリ。さらに大きなタコまで出てきて『これはすごい』と掃除を続けていると、『まだ何か大きいのがいるぞ』との騒ぎに駆けつければ浦島太郎に出てきそうなウミガメだった。
また与次郎二丁目の道路上にはレンコダイがピチピチ跳ね、近くで片づけをしていた人たちがそそくさと持ち帰った」(昭60・9・1付南日本新聞)
ウミガメとタコの写真が付いている。
鹿児島は台風常襲地帯。正気の沙汰ではない。
しかし、会社の動きは早かった。
発表の直後の十月一日には新社屋建設の方針を打ち出した冊子を全社員に配布。
莫大な投資をしてわざわざ不便なところに移るという。もちろん組合は反発したが、社長は「これは経営権の問題であって、労使協議事項ではない」と突っぱねた。
突っぱねたのも道理で、用地取得交渉中どころか社長はもう勝手に契約書を交わしていた。
年の明けた一月八日には与次郎一丁目の土地を取得し、所有権移転登記を完了した。
これでどうやって反対できるのだろう。
二千坪で三十一億三千七百八十一万円。
坪当たり156万8905円という破格の値段だった。
購入相手は第五富士というパチンコ業者。
溝口敦『パチンコ「30兆円の闇」』(小学館文庫)によると、九二年はパチンコ業界にとって大きな転換点となっている。警察が暴力団に代わって業界を取り込んだというのだ。
同年三月、暴力団対策法施行。八月には初のCR(カードリーダー)機導入。この二つは、警察による暴力団からのシマ捕り、利権確保の二正面作戦だったという。「暴力団の代わりに誰が業界に入ってきたのかといえば、警察OBですよ。警察がギャンブル性アップを認めてパチンコからヤクザを追っ払い、自分の縄張りに取り込んだ。そのあげくが〝パチンコ狂い〟の続発」と警察官出身者が憤慨する。
さらに詳しく見れば、パチンコ店の営業許可はもちろん、店のパチンコ機に違法がないかどうかは所轄署の生活安全課が見る。売り出す前のパチンコ機やパチスロ機は警察庁の外郭団体が試験、検査する。あげくOBはパチンコ業界に再就職する――という仕組みらしい。
県警本部移転→新聞社移転→パチンコ業者の土地を購入。
警察がパチンコ業界を掌握した年に、県警本部の移転先にほど近いパチンコ業者の土地を買ったからといって、もちろん何の関係もあるまい。
ただ、パチンコ業者が持て余していた人気のない土地を新聞社が買ってあげた形に見えるのは確かだ。大義名分である県庁・県警本部の移転先にも実際には大して近くない。三十数億円。業者にとってみれば、バンバンザイだろう。バブル経済崩壊直後である。
(そこに警察の口利きはなかったのか。)
ところで、パチンコ業界といえば、北朝鮮への送金問題がある。
前掲書によれば、「合法、非合法のカネを含め、在日同胞が北朝鮮に送金した額は90年前後が最高で、年間4億㌦と推計してます。当時、日本円にして約600億円」(韓国在日機関の情報筋)だったらしい。
17日の記事「反日地方紙の正体」に書いたように、
一九九一年八月にKが書いた連載「終わりなき旅路――鹿児島の朝鮮人強制連行」。Kとは北内だ。社会部記者の肩書で書いているが、ヒラ記者ではない。デスクだったはずだ。
デスクは記者に書かせるのが仕事で、自ら書くものではない。
それをあえて破ってまで書かねばならなかったのか。
南日本新聞はこの時点で完全に〝赤化〟している。
1992年は宮沢喜一首相による韓国への謝罪外交だ。
まさか、韓国・朝鮮への〝謝罪〟のために、南日本新聞社がパチンコ業者の土地を買ってあげたと言うつもりはない。
単なる妄想である。
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