「挺身隊」との混同2018/10/03

9月13日付本ブログで、朝日新聞2014年8月5日付「慰安婦問題 どう伝えたか 読者の疑問に答えます」という特集記事を取り上げ、中でも 「1990年代当時は研究が乏しく、慰安婦と挺身隊を同一視してしまった」という言い訳が真っ赤なウソであることを証明した。

この「挺身隊との混同」を認めた記事は、朝日にとって本当に不都合なものらしい。
今月の「正論」11月号で、山岡鉄秀氏が、同記事のネット上の英訳に検索逃れのメタタグが埋め込まれていたことを明らかにしている。

さらに検証してみると、英訳のみならず、日本語オリジナルの記事にも検索回避のメタタグが入力されているのを発見した。

また、朝日は慰安婦関連の日本語記事の公開期限を来年4月末までとしている上、この「挺身隊との混同」記事については2015年8月から2017年4月くらいまで1年8か月ほど検索できない状態になっていたという。

氏は「朝日新聞には、どうしてもこの記事を隠したい特別の理由があるのだろうか」と首を傾げている。

再度、2014年8月5日付の読者からの疑問と、朝日新聞からの回答を見てみよう(写真参照、クリックで大きくなります)。

【疑問】朝鮮半島出身の慰安婦について朝日新聞が1990年代初めに書いた記事の一部に、「女子挺身隊」の名で戦場に動員された、という表現がありました。今では慰安婦と女子挺身隊が別だったということは明らかですが、なぜ間違ったのですか。

【読者のみなさまへ】
女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とは全く別です。当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました。

「挺身」とは、「自ら進み出ること。自分の身を投げ出して物事をすること。『独立運動に挺身する』」(広辞苑)、「他に先んじて、自分から進んで事に当たること。『勇躍挺身』」(新潮現代国語辞典)であって、当時の研究もへったくれもない。初歩的な日本語である。
「兵隊に自分の身を売る」意に間違えようがないのだ。
間違えたのは日本人記者ではない可能性がある。

そもそも「1990年代当時は研究が乏しく同一視」とは、チャンチャラおかしい。
同業の新聞記者たちの努力を馬鹿にしているのか。

読売新聞大阪社会部が昭和50年(1975)7月から開始した超・長期連載「戦争」は単行本や文庫になり、大変な評判を呼んだ。
昭和57年から新聞記者になった私も大きな影響を受けた。

あの連載は一体いつまで続いたのだろう。
手元にある「新聞記者が語りつぐ戦争1」(昭和59年、角川文庫)のあとがきを見ると、「あれから九年が経つが、連載は二千五百回を超えていまもつづいている。(略)読売新聞出版局から出版された単行本が十九冊にもなっているが、このたび角川書店の英断で、とりあえず前半分の十巻までが角川文庫に収録されることになった」とある。

また、同シリーズ8(昭和61年)のあとがきでは、単行本が20冊に増えたことが分かるが、そのラインアップに「慰安婦」はない。
朝日新聞が1991年に火をつけるまで、「慰安婦」は戦争のテーマではなかったことが分かる。

というか、戦争報道で読売の後塵を拝した朝日が、起死回生で持ち出したのが「慰安婦」かもしれないという疑いさえある。

ともあれ、読売新聞の戦争報道の影響かどうかは分からないが、少なくとも1980年代から毎年夏には「終戦企画」をやるのが全マスコミの恒例になっている。

1990年代までにもう戦争中の記録はあふれかえっていたわけで、研究が乏しかったなどというのは真っ赤な嘘でしかないのははっきりしている。