戦争画はルネッサンスだった2020/11/11

一番好きな画家は藤田嗣治。
いつの時代もいいが、中でも戦争画(戦争記録画)に最も関心がある。
それについて8日(日)、福岡市美術館で同館学芸係長の話と、RKBが1981年に制作したドキュメンタリー「絵描きと戦争」の上映があった。
戦争画なんて時代の徒花(あだばな)として見向きもされず研究もあまり進んでいないが、驚いたのはドキュメンタリーの中で一人の画家と一人の評論家が口をそろえて「戦争画はルネッサンスだった」と言ったことだ。
言葉は正確には覚えていないが、日本の油絵はずっと西洋の模倣、影響下にあったが、戦争画によって初めて本物のリアリズムになったという趣旨だったと思う。
言われてみればあり得ないことではない。
戦争画は一般に思われているようにプロパガンダではなかった。
学芸係長が語っていたが「日本が負けているシーンもけっこう描いている。事実を誇張している絵は意外とない。むしろ戦争の悲惨さを訴えているようにも見える」。
日本の画家たちが初めて時代と真剣に向き合って腕を磨いた結果、西洋の物真似から初めて脱し、敗戦後、日本の絵画が花開いたと考えてもおかしくない。目から鱗だった。

8日は講演と上映会で3時間余りあったので、10日再び福岡市美術館を訪れて常設展示まで見てきた。
すると関連企画として「藤田嗣治と関わった画家たち」という展示があった。面白かったのは鹿児島出身の二大巨匠の対照的な関わり方だ。
黒田清輝は美術学校で藤田を教えたが、授業で藤田の絵を悪い例として取り上げた。その後、藤田はパリに行ったが、そこでの絵画に衝撃を受け、黒田指定の絵具箱をたたきつけて壊したという。
一方、海老原喜之助は藤田と生涯にわたって交友があり、藤田の臨終をみとって、葬儀では君代夫人に代わって謝辞を述べたという。
ところで、藤田嗣治もまた林芙美子と接点がある。日中戦争の武漢攻略戦の際、従軍作家と従軍画家として出会っている。そのとき藤田が芙美子を描いた絵も残っている。詳しくは拙著で。