今日のひとこと2021/08/24

林芙美子

戦場では沢山の人間が死んでいった。羽毛の如く軽く飛び立って行った人命であった。死者の光りを乗せた回想が、波紋のように瞼に拡がって来る。敗戦のあと、あまりにもみじめに、この死者の情緒は俗化しはじめて、死んだものが馬鹿をみたのだと云った、そんなすてばちな言葉も聞くようになった。喬造はこうした言葉に烈しい怒りを持った。巨きな犠牲の魂に対して、生きている人間の脅かしの言動が、喬造には何か食いたりないのである。戦争の様々は忘れ去るべきものではあるだろうけれども、戦争のために散華した数々の魂は、あまりにもいたましく生きた世界から閑却され始めている。喬造の躰のまわりには、べたべたと、この比類なき魂の花粉が渦をなしているのだ。戦場での最後の幾週間、飢えに疲れて、自ら生命を絶った戦友もいた。戦場では気が狂って来るのだ……。

~『麗しき脊髄』(昭和22年6月1日)


「戦争のために散華した数々の魂」や「比類なき魂の花粉」とは、まさに特攻隊のことだろう。
しかし、これと同じ昭和22年、雑誌『ホープ』2月号に組まれていた坂口安吾の「特攻隊に捧ぐ」がGHQの検閲で全文削除されたことを考えれば、林芙美子としてはこれが精一杯の表現だっただろう。
隠れ蓑としてまとっている文章には惑わされず、最も芙美子が伝えたかったところだけを読み取らなければいけない。

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