ボスは敵 知りて支局に残る春 ― 2022/03/04
新聞記者を辞めてミステリー小説を書こうとしていた時期が長かった。
しかし、なかなか良いものが書けない。
じっと家に籠もり、プロットを考えていると、辞めた会社への恨みがふつふつと湧いてくる。
しかし、ネガティブな感情にもとづくものは読者も楽しくあるまい、駄目だとまた悩む。
そんなときに、横山秀夫の言葉に出会った。
横山は「小説を書くことで世の中に復讐してはいけない」という。
だが、それに続けて「執筆の動機はそれだって構わないんです。正のエネルギーよりも負のエネルギーのほうが爆発力が強いですからね。ただ、復讐心に限らず、負の感情を執筆の原動力にした場合、作品にする道程のどこかで昇華しなければいけない、一次的な感情をそのまま字にしてはならない、と常々思っています」と述べている。
これが私の指標となった。
みっともないから自分の胸の内に秘め、会社の誰にも家族にも話したことがなかった数々の〝事件〟。それをフィクションという形に昇華して世に出そうと何年ももがいた。
佐賀市のカルチャーセンターで、「現役プロ作家が教える」文章教室を見つけた。
「もうこれに賭けるしかない。成果が出るまで何年でもしがみついてやる!」と切羽詰まった思いで申し込んだ。
月に二回、土曜日の午後の一時間半。自宅から車で一時間二十分ほどかけて通う。
満を持して、私は会社での出来事をもとにしてプロットを提出した。
もととなった事実は次のようなことだ。
私は36歳の時、鹿児島の新聞社の枕崎支局長になった。
年度末恒例の本社での支局長会議のあと、編集局長が私一人に残るように命じた。
何を言われるかと思いきや、枕崎の市長がうちの社長に支局長を代えてほしいと訴えているというのだ。市長と社長は鹿児島大学の先輩後輩の間柄だという。ついては支局を出てもいいし、残ってもいい、どうするかというのだ。
どうするかと言われても、寝耳に水だ。確かに反市長派の市議と仲が良かったが、それは取材の一環だ。そんなことは記者出身の社長も分かっているだろう。市長の言い分を鵜呑みにしてそのまま局長に伝え、私に伝えるのではなく、社長のところで止めるべきではないか。
なぜ?と戸惑いながらも「残留させてください」というしかなかった。
このプロットに対する、作家(講師)の反応は意外なものだった。
「市長が新聞社の人事に影響力を及ぼしたとしたら、大スキャンダルじゃないですか」。言外に「そんなこと現実にはあり得ないでしょう」と反語のニュアンスがある。
「例えば、こうしたらどうか」――作家は代替案を示し始めた。つまり、こんな現実離れしたプロットでは読者は付いてこない、リアリティーがないから変えろと言っているのだ。
(いや、実際にあったことなんだ……)あとはもう、耳に入らなかった。
そうか、あれは大スキャンダルだったのだ。
何事も気づくのが遅い人間だが、二十年も経ってから気づかされるとは。
大スキャンダルという発想はなかった。個人的なパワーハラスメント(当時そんな言葉はなかったが)として受け取っていた。私ごとだから誰にも打ち明けなかった。
しかし、理不尽な目に遭ったことを表現したい。フィクションとして昇華したいという切実な思いで苦しんでいた。
それが実は、スキャンダル=報道機関の不祥事という社会的な意味を持つものだったとは! コペルニクス的転換が起こった。
プロの作家さえも現実とは思えないような、非常識な仕打ちに自分は遭わされたのだ。
しかし、なかなか良いものが書けない。
じっと家に籠もり、プロットを考えていると、辞めた会社への恨みがふつふつと湧いてくる。
しかし、ネガティブな感情にもとづくものは読者も楽しくあるまい、駄目だとまた悩む。
そんなときに、横山秀夫の言葉に出会った。
横山は「小説を書くことで世の中に復讐してはいけない」という。
だが、それに続けて「執筆の動機はそれだって構わないんです。正のエネルギーよりも負のエネルギーのほうが爆発力が強いですからね。ただ、復讐心に限らず、負の感情を執筆の原動力にした場合、作品にする道程のどこかで昇華しなければいけない、一次的な感情をそのまま字にしてはならない、と常々思っています」と述べている。
これが私の指標となった。
みっともないから自分の胸の内に秘め、会社の誰にも家族にも話したことがなかった数々の〝事件〟。それをフィクションという形に昇華して世に出そうと何年ももがいた。
佐賀市のカルチャーセンターで、「現役プロ作家が教える」文章教室を見つけた。
「もうこれに賭けるしかない。成果が出るまで何年でもしがみついてやる!」と切羽詰まった思いで申し込んだ。
月に二回、土曜日の午後の一時間半。自宅から車で一時間二十分ほどかけて通う。
満を持して、私は会社での出来事をもとにしてプロットを提出した。
もととなった事実は次のようなことだ。
私は36歳の時、鹿児島の新聞社の枕崎支局長になった。
年度末恒例の本社での支局長会議のあと、編集局長が私一人に残るように命じた。
何を言われるかと思いきや、枕崎の市長がうちの社長に支局長を代えてほしいと訴えているというのだ。市長と社長は鹿児島大学の先輩後輩の間柄だという。ついては支局を出てもいいし、残ってもいい、どうするかというのだ。
どうするかと言われても、寝耳に水だ。確かに反市長派の市議と仲が良かったが、それは取材の一環だ。そんなことは記者出身の社長も分かっているだろう。市長の言い分を鵜呑みにしてそのまま局長に伝え、私に伝えるのではなく、社長のところで止めるべきではないか。
なぜ?と戸惑いながらも「残留させてください」というしかなかった。
このプロットに対する、作家(講師)の反応は意外なものだった。
「市長が新聞社の人事に影響力を及ぼしたとしたら、大スキャンダルじゃないですか」。言外に「そんなこと現実にはあり得ないでしょう」と反語のニュアンスがある。
「例えば、こうしたらどうか」――作家は代替案を示し始めた。つまり、こんな現実離れしたプロットでは読者は付いてこない、リアリティーがないから変えろと言っているのだ。
(いや、実際にあったことなんだ……)あとはもう、耳に入らなかった。
そうか、あれは大スキャンダルだったのだ。
何事も気づくのが遅い人間だが、二十年も経ってから気づかされるとは。
大スキャンダルという発想はなかった。個人的なパワーハラスメント(当時そんな言葉はなかったが)として受け取っていた。私ごとだから誰にも打ち明けなかった。
しかし、理不尽な目に遭ったことを表現したい。フィクションとして昇華したいという切実な思いで苦しんでいた。
それが実は、スキャンダル=報道機関の不祥事という社会的な意味を持つものだったとは! コペルニクス的転換が起こった。
プロの作家さえも現実とは思えないような、非常識な仕打ちに自分は遭わされたのだ。
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