鹿児島県立戦争博物館を!2022/06/09

鹿児島県の「知事へのたより」と、所管の文化財課に次の提案を送った。

旧考古資料館の保存活用として「戦争博物館」を提案します

前略
閉館中の旧鹿児島県立博物館考古資料館について現在、保存活用が検討されているようです。
今週それを知り、公開されている保存活用計画にざっと目を通しましたが、整備内容等の検討は令和8年度以降ということで、まだ間に合うのではないかと取り急ぎ提言いたします。

それは薩英戦争(1863年)から太平洋戦争に至る、近現代80年余りの「県立戦争博物館」にしてはどうだろうかということです。
まず第一に、類似の施設がありません。個別には知覧特攻平和会館等いくつかありますが、鹿児島が関わってきた幾多の戦争、その全体をテーマとする施設はありません。
今、ダークツーリズムといって、歴史上の「負の遺産」も積極的に見ようという動きがあります。また、進行中のウクライナ戦争によって国民全体の戦争への関心が高まっていることは言うまでもありません。

西南戦争については熊本の激戦地田原坂に立派な資料館がありますが、肝心の鹿児島には何一つありません。
西郷軍終焉の地、鹿児島市城山町にある本館はまことにふさわしいのではないでしょうか。

日清戦争では大山巌が陸軍の司令官。連合艦隊初代司令長官の伊東祐亨も薩摩出身です。
日露戦争では大山巌が引き続き陸軍を指揮し、そして海軍は何と言っても東郷平八郎です。日本海海戦でバルチック艦隊を破って世界を驚かせました。
姶良市にある日露戦争の凱旋門は国の登録有形文化財で、全国で二つしか残っていないうちの一つです。静岡県浜松市の凱旋門はレンガ造りで、姶良市のものは現存する唯一の石造凱旋門といわれています。

太平洋戦争の真珠湾攻撃では、鹿児島湾(錦江湾)が飛行機の突入訓練に使われたのは有名な話です。

特攻隊は鹿児島の知覧、万世、鹿屋、串良から飛び立ちました。戦艦大和の慰霊も毎年、枕崎や徳之島で行われています。

鹿児島市加治屋町の甲突河畔に、「沖縄軍司令官 牛島満大将生い立ちの碑」が建っています。
沖縄戦で自決した最後の陸軍大将で、最初の陸軍大将である西郷隆盛を崇拝し、「今西郷」と呼ばれていたそうです。

鹿児島大空襲は昭和20年に計8回、死者3,329人、負傷者4,633人の被害を出しました。鹿児島女子興業の「教務日誌」に空襲の様子が書かれていたと昨年話題になりましたが、調査結果が待たれます。
以上、ざっと挙げただけでもこれだけの後世に伝えるべき史実があります。ぜひ戦争博物館の開設を検討下さるようお願いいたします。