豊田有恒『倭の女王・卑弥呼』2022/12/28

もうだいぶ前になるが、豊田有恒の古代史ものが好きで、特にヤマトタケルシリーズ全7巻には夢中になった。

しかし、読まずにそのままになっている本も多い。
その中から『倭の女王・卑弥呼』(徳間文庫)を本棚から取り出して読んだ。

1974年、もう50年近くも前の作品である(文庫版は1980年)。
しかし結論から言うと、とても面白かった。

卑弥呼や邪馬台国のことを学術書で勉強しても、当時の人たち(弥生人)の生の様子は推測でしかなく、隔靴搔痒、もどかしい。
そこは小説家の想像力で補う必要がある。
その目的はじゅうぶん達した。

さらに小説とはいえ、時代的背景は徹底的に調べ上げたというだけあって、知見の点でも参考になった。

12/15付「津古1号墳②」で書いた、21の「旁国」の場所についてである。

豊田有恒氏の比定はかなり納得いくものだ。

斯馬國(しま、糸島半島)
巳百支國(いおき、長崎県杵島郡)
伊邪國(いさ、宇佐?)
都支國 
彌奴國(みな、佐賀県三根町)※吉野ヶ里遺跡
好古都國(ここつ、菊池?)
不呼國(ふこ、島原半島北端)
姐奴國 
對蘇國(鳥栖市)※12/19付柚比遺跡群参照
蘇奴國(長崎県彼杵郡)
呼邑國 
華奴蘇奴國(かなそな、佐賀県神埼町)
鬼國(佐賀県小城郡)
為吾國(いご、福岡県浮羽郡)
鬼奴國 
邪馬國(やめ、福岡県山門郡瀬高町)
躬臣國 
巴利國
支惟國(きい、基肄つまり佐賀県基山町)
烏奴國(うな、大野城市)
奴國

さて、肝心の邪馬台国については、對蘇國(鳥栖市)を乗っ取った卑弥呼が邪馬國を攻め滅ぼして女山(ぞやま)の麓(瀬高町)に都を置いたとする。

旁国の比定場所については、筑後平野のうち今の筑紫野市・小郡市、筑前町が空白になっているので、都支国はやはり津古(小郡市)ではないか、と思う。
また、吉野ヶ里遺跡と並ぶ大集落の平塚川添遺跡(朝倉)がどの国になるのか比定されていない。

豊田有恒『親魏倭王・卑弥呼』2022/12/28

『倭の女王・卑弥呼』の続編『親魏倭王・卑弥呼』を読み始めたところ、途中で本を放り投げたくなった。

これは前編の1年後、1975年の作品である(徳間文庫版は1983年)。

突如、日本の歴史をおとしめる。
「天孫降臨神話は、なにも戦前の日本の専売特許ではない。朝鮮半島には、それこそ掃いて捨てるくらいある」

そして、その根拠にしているのが悪名高き『三国遺事』である。

『三国遺事』は13世紀後半に、高麗の僧・一然によって書かれた、私的な史書だ。

いいですか、13世紀ですよ!

韓国の「檀君神話」なるものは、この『三国遺事』に書かれた、わずか400字弱の文章が唯一のものなのだ。

豊田有恒は目が覚めるのに20年かかった。
1996年に『韓国へ、怒りと悲しみ』(ネスコ)を出版している。