新年の抱負2023/01/01

今年は九州国立博物館展示解説ボランティア2年目となります。

来館者に「面白くてためになる」ガイドができるよう日々勉強していきます。

なにより日本の歴史に誇りを持ってもらいたいからです。
それは今後ますます重要になってくると思います。

4月からは日本経済大学で「大宰府アカデミー」という月一回の講義が始まります。
2年間という長丁場ですが、独学では得られないものがきっと得られるでしょうから楽しみです。

主催の公益財団法人古都大宰府保存協会の会員にもなっているので、そちらのイベントにも参加していきます。

5月からは太宰府天満宮の大改修が始まります。
3年がかりで、令和9年には25年に一度の式年大祭があります。
これを九博に通いながら見守ります。

つまり今年からは太宰府にどっぷり浸かることになります。

うちから近い九州歴史資料館の「古代史研究」も楽しみです。

5年後、70歳までには歴史ガイドのプロになれるよう頑張ります!

卑弥呼についてのまとめ2023/01/02

記紀の神代の物語(神話)は虚構・ファンタジーだと思われがちだが、実はそう遠い昔の話ではない。

剣や鏡が大活躍しているので分かる。
金属器の伝わった弥生時代(紀元前4世紀~紀元後3世紀)の話なのだ。
したがって、基本的には事実か事実を反映したものと考えていい。

その3世紀、北部九州では女王・卑弥呼の時代に、奈良盆地に崇神天皇という偉大な天皇が現われた。

崇神天皇はハツクニシラス天皇(すめらみこと)と呼ばれる。
初めて国を統治した天皇という意味だ。

崇神紀10年に北陸道、東海道、山陽道、山陰道にそれぞれ将軍を遣わし(四道将軍)、全国平定を進めた。同12年には戸口の調査を命じ、税を課した。

その情報を得た卑弥呼は、崇神は次は九州に攻めてくると危機感を持った。
卑弥呼は魏との同盟で崇神を牽制しようと考える。
景初三年(239年)に魏に使いを送り、翌年、親魏倭王の称号を受けた。
天皇より先に「倭王」と認められたのである。

しかし、女王国(今の水城のあたり)の南には狗奴国(くな、熊=熊襲の国)という、もう一つの脅威があって、しきりに対立してくる。

卑弥呼は最前線で指揮を執るため山門郡のあたりに移り、そこにある邪馬国を従えた。
周辺地域を併合して領土を拡大し、国名を邪馬国から邪馬大国(邪馬台国)に改めた。
戸数7万余戸を数える大国である。
大国にふさわしく、いきま、みましょう、みまわけ、なかと、という4段階もの官職を設けている。長官、局長、部長、課長といったところだろうか。

247年、ついに狗奴国と戦争になる。
卑弥呼は魏の出先である朝鮮の帯方郡に報告する。

同郡から張政らが派遣され、大夫である難升米に詔書と黄幢(黄色の軍旗)を魏から授けた。

これを魏が卑弥呼を見限って難升米を指揮官にしたとみて、その直後に卑弥呼が死んだのは失意の死おそらく自死だろうという説が有力だが、卑弥呼は自分も戦うと打って出て戦死したのかもしれない。

卑弥呼は戦地からやや離れた高良山の麓に葬られた。

卑弥呼が死んで男の王が立てられたが、国がまとまらずに内乱となり千人余りが死んだ。
このため卑弥呼の世継ぎの台与(とよ)という13歳の少女を王としたところ国はおさまった。
台与はさっそく張政らを送り届けるという手腕を見せている。

のちに景行天皇が筑紫を平定しに今の山口県まで来たときに、豊前から船でやって来て帰順を誓った神夏磯媛(かむなつそひめ)が、数十年後の成長した台与の姿だろう。
「その手下は非常に多く、一国の首長である」と紀にある。
名前に神がつくのは只者ではない。
神夏磯媛は剣、鏡、勾玉の3つを船に掲げていた。
三種の神器の初出である。

ちなみに福岡市西区の吉武高木遺跡(紀元前2世紀初め)で、最も古い三種の神器のセットが見つかっている(昨年5/19参照)。福岡発祥なのだ。

パワハラの去らない苦しみ2023/01/03

パワハラで人生をめちゃくちゃにされた。

会社を辞めて15年たつが、思い出さない日はない。

本ブログにすべて書いているので、興味のある方はカテゴリ「Newspaper」で探してみてください。


【教訓】相手に「反撃」しないとこうなります。今の日本と同じです。

魏志東夷伝を通して読んでみた2023/01/04

いわゆる魏志倭人伝は、「魏書」の中の「烏丸鮮卑東夷伝」の最後にある「倭人条」のことである。

森浩一さんが倭人伝しか読まない人に苦言を呈しているので、東夷伝を通して読んでみた。
ちくま学芸文庫の『正史 三国志4』である。
訳書はこれしか見当たらなかった。

森さんの言う通り、面白かった!

2世紀後半、朝鮮半島では韓と濊(わい)の力が強くなって、後漢の楽浪郡では制することができなくなった。

後漢末の建安年間(196-220)、公孫康が楽浪郡の南部を分割して帯方郡をつくって、韓と濊を討った。
以後、倭と韓は帯方郡(公孫氏)の支配を受けることになった。
(倭国は討たれたわけではないので、おそらく朝鮮南岸の倭人のことだろう)

後漢から魏に代わって、2代皇帝の明帝は景初年間(237-239)に帯方・楽浪の両郡に秘かに太守を送って平定させた。

その後、韓の諸国の首長に邑君の印綬を授け、それに次ぐ者たちには邑長の位号を授けた。

景初といえば。

卑弥呼が景初3年に魏に使節を送り、翌年、親魏倭王の称号を受けている。
これはつまり、帯方郡の太守が公孫氏から魏の皇帝に移ったことへの表敬だったわけだ。

こうした当時の国際情勢を踏まえないと、真に倭人伝は理解できないということだ。

今月下旬に九州国立博物館で始まる「加耶展」は魏志倭人伝より少し後の時代(古墳時代)だが、前提となる倭人伝についても理解が深まるものと期待している。

岸田総理の健闘を祈る2023/01/09

岸田総理が本日、G7各国歴訪に旅立った。

岸田総理と安倍元総理との共通点は外交力だ。

安倍元総理は日本で初めて、世界のどこに出しても恥ずかしくない総理大臣だった。

若い人たちは知らないかもしれないが、それまでの首相はとても貧相で恥ずかしかったのだ。
福田親子とか特に情けなかった…。

あの堂々と世界と渡り合う姿は、実は戦後の日本人にとって初めて見る景色だったのだよ。

それが菅前総理で再び貧相な首相に転落してしまい、がっかりだった。
しかし、幸い岸田総理になって、日本はまた存在感を発揮できるようになったのは実にめでたいことだ。

内政について見ると、安倍元総理は史上最長の在任期間と言っても、8年余のうち最後の2年余は肝心の仕上げの期間だったのに反日左翼野党・マスコミの〝異次元〟の攻撃に遭って何もできなかった。

結局、内政については経済対策しかできなかったのである。
いわゆるアベノミクスだが、これも今となっては必ずしも良かったとばかりも言えない。
しょせん日銀の金融緩和頼みだった。
「市場に大量のお金を供給する大規模緩和は金利負担の痛みを抑え、景気対策の大型補正予算編成などを支える経済の〝カンフル剤〟となってきた。しかし、政策支援がなければ生き残れない企業を増やすなど副作用も強く、長期停滞を助長した側面もある」(12/24付産経新聞)

これに対し、岸田総理は安倍路線の明確な発展的解消、つまり安倍さんが最後にやりたかったであろうことを上回るような成果を挙げつつある。12/29付に書いたので繰り返さない。

元日付産経新聞での磯田道史氏との新春対談では、「ぜひ、改憲を実現したい」と述べ、憲法改正も忘れてはいない。
昨年の成果に加えて改憲をも成し遂げれば、間違いなく歴史に残る、戦後最高の首相となる。

改憲での注目点は、自衛隊の明記はもちろんだが、それ以外では参院の合区解消だ。

「参院選を巡る一票の格差の問題については、選挙をやるたびに裁判が行われている状況です。一票の重みをどんな物差しではかるべきなのか。人口だけでいいのか」と述べており、大賛成だ。

立憲民主党などは改憲しなくても法改正でできると反論しているようだが、この背景には選挙のたびごとに全国の反体制的な弁護士たちが違憲訴訟をやるという、うんざりするような状況があるのだ。

これを黙らせるには改憲しかない。
さらには参院だけと言わず、衆議院についても人口割だけの定数決定ではなく、面積なども加味した定数の新しい算出方式を打ち出してほしいものだ。

原発のテロ対策について2023/01/10

私は原発の大推進派だ。
反原発活動家が憎くて憎くて仕方がない。

参院議員の青山繁晴さんが昨夜のフェイスブックに驚くべきことを書いている。

日本の原発は、世界で初めて武装機動隊を常時配置しており、その武器は軽機関銃だという。
どうぞ読んでみてください。

素人学者になりたい2023/01/14

森浩一さんは「考古学は町人の学問である」という。

町人学者の定義は「自分の意志と甲斐性で研究をする人」だそうだ。

「町人」というと、大阪の商人みたいな先入観が邪魔するので、「素人」と言い換えてもいいかもしれない。
「市民」でもいいのだが、この言葉も今では色が付いている。

ともあれ、森さんが町人学者の代表に挙げるのが、「伊都の三王墓」研究の先駆者である、江戸時代の青柳種信と昭和の原田大六の二人である。


福岡には他にも大きな成果を挙げた町人学者(素人学者)がいる。

1999年に古代の山城「阿志岐山城(あしきさんじょう)」を発見した中島聡さんである。

写真の「鉾之記」は、つい先日、筑紫野市歴史博物館で見かけたもの。
説明を撮影するのを忘れてしまったが、やはり青柳種信のように発掘された遺物を描写した江戸時代の記録だ。